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「はい、お待たせしました。今日のお夕飯は十穀米と蕪の味噌汁、サトイモの煮っ転がしと冷奴、それからさばの煮付けですよ」
顔を上げた幸音の鼻孔を味噌の香りがくすぐった。
透が青い花柄の盆に味噌汁やらご飯やらを乗せて現れた。手際よく濃い緑色のランチョマットの上に夕飯が乗せられていく。香るだけで心が落ち着くような気持ちがして、幸音は「これだよ、これ」と小さく呟く。
見た目にも美しく、丁寧に盛り付けられた鯖の煮付けの焼き皿。白地の安い器も何故だか透が盛り付けするだけで料亭の皿のように見えるから不思議だった。茗荷が一本、バッテン印を付けられた鯖の上皮に乗っている。鯖はよく味がしみているようで、琥珀色のこってりとしたタレをドレープの如く纏い存在を主張していた。
粟や黍、古代米などと共に炊き上げられた米は普通の白米とは違い、かといって赤飯ほど赤くもなく、美しい薄紫色に色づいている。味噌汁の中の蕪は、丁寧に皮が剥ぎ取られ、出汁で下処理でもしたのだろう、果肉がうっすらと透明になっていた。サトイモの煮っ転がしの上には刻んだ柚子が盛ってあるし、冷奴の上にはたっぷりのきざみ葱と鰹節が踊っていて、見た目にも食欲をそそる。
「さあ召し上がれ」
「いただきます」
幸音は両手を合わせて頭を垂れた。サトイモに箸を付けながら小さく欠伸をすると、幸音のためにお茶を淹れた透が先ほどまで恵美子が座っていた椅子を引き寄せて腰を下ろす。恵美子は台所で自分が食べた後の食器を洗っている最中だ。
「さっちゃん、今日はいったい何があったの?」
恵美子の鼻歌を耳にしながら幸音はサトイモを口に運んだ。するとじっくりと染みこんだ甘辛い出汁の味とサトイモ独特の粘っこい甘さが口の中を駆け巡る。オフクロの味である。
幸音はじっくりとサトイモを咀嚼して名残惜しげに嚥下すると、醤油指しを片手に取り少しだけ冷奴につけた。
「副店長がパソコンに触って店のパソコンを全滅ショートさせた挙句、火災警報器と警備用センサーが誤作動してセキリティ会社がやってきて、それからヨーコさんが警察に悠馬くんを変質者として突き出そうとした」
「わー」
「ところを、何とか三月さんとあたしが押し留めようとしたんだけど、全身水を被って文字通り死人か幽霊か吸血鬼か死神かわけのわかんなくなった三月さんを見たセキリティ会社の人が超驚いて警防を振り回して、うっかりヨーコさんに当たって乱闘騒ぎ。・・・地獄だった」
喋れば喋るほど、悪夢のような一時間が思い出され幸音は切なくなった。頭痛までしてきて、二日酔いの後のように脳内が割れ鐘を叩いたようにわんわんと鳴り響いていた。
「それじゃ、明日のバイトにも差し障り、出そうかなー」
食器を洗い終え、リビングに戻ってきた恵美子が呟いた。コタツにもぐりこんで籠にこんもりと盛られた小さな青っぽい蜜柑に手を伸ばす。
「恵美子ちゃん、柿の存在忘れてるよ。ほら」
「ああー。すっかり忘れてた。ゴメンゴメン、よっちゃんが食べれない分、しっかり食べとかなきゃね」
種まで取り除かれた柿が盛られた皿を透から両手で受け取った恵美子は、再びコタツに体半分を埋めた。
「今日も大変だったねさっちゃん。ほら、お茶飲みなよ。冷え切った体もあったまるよ」
透が差し出した湯飲みが白い湯気を立てている。
白い手袋を嵌めなければ氷のように冷たい透くんの指先を見つめながら、幸音は静かに頷いた。
今日もぶっ飛んだ一日だった。
明日はいったいどんなトラブルが起きるのか、今から楽しみ(不安)でならない。
「あ、そういえば。今日、職業安定所からさっちゃん宛にお手紙届いてたよ」
「ハローワークから?」
ちょっと待ってねと言い置いて、透くんが席をのっそりと立ち上がる。
ダイニングの傍ら、透が購入を二週間悩みに悩んだゴパン焼き機を乗せる電子レンジの黄色い編み籠の中に一通の茶封筒が納まっていた。90円で届くタイプの代物で、湿気のためか少しよれている。
「はい。これ」
差し出された茶封筒を左手で受け取って幸音は十穀米を口に含んだ後、箸を置いた。
封筒の表書きにはなるほど、「職業安定所、ハローワーク立前」との文字が刻印されている。裏には幸音の家の住所と、幸音本人の名前が印字されていた。まさしく、幸音宛の封筒である。
「今日の面接も散々だったみたいだって友達から聞いたよ。次こそはいいところだといいね」
透の情報網についてとやかく言うつもりはないが、これではあの場所でいったい何が起き、何がどうなったのかも詳細に知っている様子である。ストーカーではないが、ストーカーも裸足で逃げ出す透くんの情報網の凄さを幸音は今更ながらに痛感した。
「はい。これ封筒カッターね」
手渡された赤く四角い小さなカッター。
四つの角の一角に小さな窪みがあり、底に尖った歯が覗いている。まるで小犬の歯のようだ。その中に封筒の上部を差し込んでスライドさせると、封筒の糊付けに四苦八苦することもなく、いとも簡単に封を切ることが出来る優れものである。こういう細かなところに気が利くのが透くんのいいところだった。
動くたびにかさかさと音を立てる本日は四角い紙袋姿の透の横で、幸音は封筒を開く。中から三つ折になった白い取り出して開くと、二枚あることがわかった。
「なになに。・・・・・職業安定所から求人票の送付について。拝啓 晩秋の折、ますますご清祥のことと存じます。平素は職業安定所をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。さてこの度ご送付させていただきました求人票の件について」
二枚目の紙をスライドさせて取り上げると、なるほど、いつも職業安定所で印刷してくる求人票がそこにあった。事業所名と所在地、賃金、待遇、保険、賞与、勤務時間、面接方法などが事細かに明記してある。
幸音は透に求人票を差し出し、自分は手紙の続きを読んだ。
「お送りさせていただきました求人票、事業主からの要望を頂き、ご送付させていただきます。つきましては、12月1日までに職業安定所に来られるか、下記電話番号まで面接の有無についてご連絡下さい。なお、職業紹介カードの発行につきましては面接が決まり次第発行させていただきます。敬具。・・・・・・だってさ」
「つまり、この会社の事業主がさっちゃんを採用したいから面接に来て欲しいって事?」
幸音は難しい顔をしながら透に読み上げていた手紙を渡す。交換に求人票を手にとって幸音はざっと目を通した。
表面的に見れば別段奇妙なところもない普通の事業所に思えた。
給料は総支給で17万8千円。
保険等も完備。
交通費も上限四万円まで支給されるらしい。
週休完全二日制で勤務時間は朝の九時から夕方の五時半まで。
一時間半休憩確保。
年金制度は三年目以上から。
賞与は年二回、約二倍の給与がボーナスに当該するようだ。
事業所はハローワークのある立前町の隣、初市にあるようで求人票裏面の地図によれば国道二号線沿いに居を構えているらしい。駅からは徒歩で十分程度のようで、この距離なら通えぬ距離でもないし運転免許を所持している身の上としては車さえあれば通勤も出来そうだ。
ちなみに自家用車通勤も許可されるようである。
「年齢は30歳以下。若年者積極採用なんたらってやつか。事業所人数はパートが2名、社員が18名、総勢20名ね。必須資格は・・・」
「資格は?」
用紙の文面に目を通し終わった透が続きを促す。
番組がつまらなくてチャンネルを変えた恵美子が柿を口に突っ込みながら、幸音に振り返った。
ふとした沈黙が振りおり、幸音はすっかり冷めてしまった蕪の味噌汁の水面に映る自分の間抜けな顔を見つめた。
「要資格、魔術師ライセンスA以上取得者」