第5話 ヒル救い
「沼? あるが……何をする気だ。瀉血か? あれはやりたがる医者が多いが、俺は血を抜くだけで病気が治るなんて」
訝しげに言い募る男性騎士を、カトリーヌが、動くようになった右手で制した。
「沼で、何を?」
「ヒルです。ヒルを医療に転用する」
(即効性が必要なんだ。今すぐ、血液中の凝固因子を叩ける、天然の注射器……!)
「ヒルの唾液には『ヒルジン』という、血を固まらせない強力な成分が含まれているんです。吸いついた瞬間、血管に直接薬を送り込んでくれる。……見た目は悪いですが、今すぐ再発を防ぐには、ヒルが最強です」
騎士たちは絶句した。だが、当のカトリーヌは、カラカラと笑った。
「毒蛇だって食らってやるさ。取りに行くぞ、そのヒルを!」
「カトリーヌさんは、寝ててください!」
*
街道から少し外れた、森の奥。
案内された場所は、湿気た土と腐った水草の臭いが立ち込める、どんよりとした沼地だった。水面は緑色の藻に覆われ、時折、得体の知れない泡がブクリと浮かび上がる。
同行した二人の騎士が、嫌そうな顔で鼻を覆った。
「うう、本当にここに、その……薬になるヒルがいるのか?」
「います。こういう場所こそ、奴らの楽園だ」
ギルバートは平然と答え、水際へと進み出た。隣に立つレイチェルが、沼の水面をじっと見つめる。そのオパールのような瞳が、濁った水底を透過するように輝いた。
「……『博物学大全・第四巻・蠕虫の項』」
レイチェルが、いつものように抑揚のない声で、脳内のデータベースを読み上げ始める。
「ヒル。沼地や淀んだ水辺に生息する、黒く、滑り気のある虫。体に吸盤を持ち、獣や人の皮膚に食いつき、生き血をすする。古来より、体内の悪い『体液』を吸い出し、体の調和を取り戻すために用いられる、とある」
騎士たちが、やっぱり瀉血じゃないか、と顔を見合わせた。
ギルバートは苦笑する。中世レベルの認識では、そう書かれているのが当然だ。だが、重要なのは『生き血をすする』という点だ。吸い続けるためには、血を固まらせないための成分、ヒルジンを出し続けなければならない。
「まず、このハンマーを、『ヒル漁の網』にしないとな。そうだな、素材は……高分子ポリマーがいい」
ギルバートが、ハンマーに魔力を流し込む。
「非侵襲的変換――蜘蛛膜の檻 (アラクノイド・ケージ)!」
青白い光が、三角形のハンマーヘッドを包み込む。硬い樹脂が消え、乳白色の、しなやかな網へと変化していく。網目は細かく、表面は滑らかで、獲物を優しく包み込む「袋」の形状をしている。
「えっ、ハンマーの先が……網になった!?」
騎士たちが目を丸くする。
「レイチェル、『悪い体液を吸い出す虫』を、大量に確保するぞ。スキャン、開始」
「了解。……二時の方向、距離四メートル。水草の陰。三匹」
レイチェルが小さな指先で示す。
ギルバートは、手にしたミスリル製の柄を構えた。
手首のスナップを利かせる。
シュルリ、と音がして、銀色の柄が釣竿のように伸びた。
先端についた「蜘蛛膜の檻」が、水面すれすれを滑る。
バシャッ。
水飛沫が上がった次の瞬間、乳白色の網が、水草の陰に潜んでいた黒く蠢くものを、優しく、包み込むようにすくい上げた。
網の中で、ヒルが驚いたように身をよじっているが、柔らかい繊維はヒルを傷つけない。
騎士が持っていた木の桶の中に、ひょいっとリリースする。
「うわっ!?」
桶を持っていた騎士がのけぞる。中を覗き込むと、黒光りするヒルが、傷ひとつなく元気よくのたうち回っていた。
「す、すごい……傷ひとつない」
「次。十時の方向、六メートル。流木の近く。群れがいる」
「了解!」
ギルバートの腕が唸る。伸びた柄は、狙ったポイントへ正確に飛来する。
ザバァッ!
柔軟なネットは水流の抵抗を受け流し、五匹まとめて、ふわりとキャッチする。
ポン、ポン、パシャッ、ポン。
リズミカルな音が響くたびに、黄色や黒褐色のヒルたちが次々と宙を舞い、桶の中へと吸い込まれていく。
それはまるで、達人による金魚すくいならぬ、ヒルすくいだった。
「武器で、虫捕りをしているのか……? なんという手練れだ」
騎士たちが、呆気にとられたような声を漏らす。
「……ちょっと楽しいな、これ」
そのうち、騎士たちも積極的に桶を動かして、空飛ぶヒルをキャッチしだした。
ギルバートは、額の汗を拭いながら、網を見つめて満足げに頷いた。
「大漁、大漁。これだけあれば、当分は血栓の心配はない」
桶の中は、またたく間に、元気なヒルでいっぱいになった。うねうねと動く様は、なかなかに壮観だ。
「……五十、六十匹。終了。これでいいか」
ギルバートが「リトラクト」と唱えると、乳白色の網はシュルシュルと巻き戻り、再び堅牢な三角形の樹脂製ハンマーヘッドへと戻った。
ギルバートは、意気揚々と街道の方へ歩き出した。
レイチェルが、その隣を静かについていく。
二人と、そして騎士たちの背中には、奇妙な連帯感と達成感が漂っていた。
*
数十分後。
カトリーヌのふくらはぎに、1匹の黒いヒルが吸い付いていた。
「……よし。これで、そう簡単には血栓はできないはずです。明日からは1日2匹、明後日からは3匹、明々後日からは4匹に増やします。もし歯茎から血が滲んだり、打ち身とか、出血が増えるようなら、血液がサラサラになりすぎています。その時は、ヒルの数を減らします」
(日本では未承認だけど、ヒルジンを原料にした『レピルジン』って、21世紀でも使われてたよな。抗凝固薬だ。たしか、レピルジンに換算すれば、4匹程度が、カトリーヌさんの体重における安全な投与量の上限のはず……)
明日以降も、容態が落ち着くまで診察することを約束し、また口止めをして、その日は解散となった。
*
ギルバートは、騎士団長が笑顔で手渡してきた、ずっしりと重い金貨の袋を、懐へ放り込んだ。
夕暮れの中、二人の影が街道を歩いていく。
レイチェルが、兄のコートを握る力を強めた。
「……兄。さすが、知らなかった、すごい」
棒読みであるが、一応労おうとしているらしい。レイチェルの言葉は、嘘や媚がないから、信じられる。
「……凄くない。多分、俺に大人としての立場があって、もっと金とか設備とかがあって、ちゃんとした医者なら……できることは、もっとある。明日からも、本当はヒルじゃなくて、飲み薬のほうが続けやすいし」
(強力な血液サラサラ薬を作れたら……きっともっと、沢山の人を救えるのかな? 心房細動の治療薬のジギタリスも、元は草から作るんだよな? 薬なんて作ったことないけど)
ギルバートは、遠く沈む夕日を眺めた。
(……いや、俺はもう、医者はやめたんだ。せっかく異世界にいるんだ、もっと他の仕事を)
その独白とは裏腹に。ギルバートの指先は、まだ救った命の拍動を、その温もりを、鮮明に記憶している。
(でも……空飛ぶ魔法学園なら、きっと魔法治療士になることも可能だよな? 二人ぶんの学費って、いくらくらい……? 億?)
夕闇の中に、天空に浮かぶ島なんてあるわけがない。それなのに、何となく視線を上げた。
(……えっ?)
キラリ、と、空が微かに光ったのは、果たして一番星だったのか。




