第3話 神経学的兎狩り
レイチェルの視線が、街道脇の深い茂みを射抜く。
ギルバートは瞬時に表情を引き締めた。
「うん、金の匂いだ」
ギルバートが目を凝らす。
魔物を『金』、と表現するレイチェルには、やはり俺以外の教育者が必要だ、と思いながら。
十メートル先のシダ植物の陰。
草地に、白い絨毯のような一区画ができている。
白い毛玉が動いている。
長い耳。 額に生えた、一本の螺旋状の角と、赤くつり上がった、凶暴そうな瞳。
ユニコーン・ラビット。
冒険者が最初に狩る、入門用の魔物だ。
「……うわぁ、大量発生か」
十匹、いや二十匹はいるだろうか。
一匹なら野犬程度だが、これだけの数となれば脅威度は跳ね上がる。
「スタンピード(暴走)の前兆……だが」
ギルバートの唇が吊り上がる。
腰のホルスターに手を伸ばす。
ミスリル銀で作らせた特注の打腱器。
冷やりとした金属の感触が、掌に馴染む。
それは、使い慣れた相棒。
「好都合だ。一網打尽にすれば、当面の生活費になる」
「損傷したら、二束三文」
「分かってる。角も毛皮も傷つけずに、全羽仕留める」
ギルバートはハンマーを構える。
「レイチェル、接続。ユニコーン・ラビットの横隔膜の支配神経は?」
「不明。C3-5と推察。3時の方向、距離12メートル、心拍数140。……『王立魔物生態学大全・第108版、324ページ。
項目名:ユニコーン・ラビット(一角兎)。
分類:魔獣綱・重歯目・一角獣科。
生息域:大陸中央部の森林地帯全域。全長:50~80センチメートル。個体差あり。 特徴:額中央に螺旋状の角を有し、微弱な魔力を帯びる。繁殖期には気性が荒くなり、集団でのスタンピード(暴走)が報告されている。
素材価値:角は解熱剤の原料として銀貨3枚。毛皮は防寒具として銅貨50枚。肝は精力剤として――』」
レイチェルが、小さな手を差し出しながら、丸暗記している辞典を、滔々と読み上げる。
ギルバートは、ハンマーを持たない左手で、その手を握りしめた。
ひんやりとした体温。
次の瞬間。
脳が揺れるような浮遊感とともに、ギルバートの視覚中枢が、レイチェルのオパール・アイ――魔眼と同期する。
世界が、反転する。
色彩が消え失せ、森が灰色のレントゲン写真のような世界へと変貌する。
その無機質な静寂の中で、鮮烈な「生」の輝きが明滅する。
二十の心臓が、赤い光球として脈打ち、ドクン、ドクンとリズムを刻む。
レイチェルが告げた3時方向。
脳から脊髄、末梢の四肢へと張り巡らされた神経網が、青緑色の電流となって、チリチリと火花を散らしている。
美しい、生命の配線図。
(何度見ても、すげえな……。CTスキャンどころの騒ぎじゃない。全身のfMRI……それよりもずっと簡便で広範囲で精緻。神経まで見えるし……)
しかしギルバートには、感嘆に浸っている暇はない。
「横隔膜の支配神経、C3、C4、C5。ま、首の後ろ叩いとけば、神経根に魔力届くだろ」
ギルバートがつぶやく。
首には、8本の神経根があり、背骨と一緒に走る脊髄から順番に出ていって、腕や胸に伸びている。
C3、というのは、つまり上から3番目の首の神経、ということだ。
ユニコーン・ラビットたちが、こちらの殺気に気づく。 脈拍が、少し速まった。
一斉に、後脚の筋肉に青緑の信号が奔流のように流れ込む。
跳躍の構え。
「遅い」
ギルバートが踏み込む。
右手のハンマーを振りかぶる。
手首のスナップを利かせる。
シュルリ、と柄が伸びる。
今回の作戦は、反射ではなく、単純に魔力で神経を叩くというものだ。
呼吸の大部分を担う、横隔膜。ここにつながる神経を叩けば呼吸が停止する。苦しむ間もなく、意識を失う。
「C3-5(シー・スリー・ファイブ)……横隔神経――Silence!」
銀色の閃光が走る。
ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ!
鞭のようにしなるハンマーヘッドが、正確無比にユニコーン・ラビットたちの急所を穿つ。
一撃必殺。
先頭の一匹が、空中で糸が切れたように脱力し、どう、と倒れる。
続く二匹目、三匹目。
ギルバートは踊るようにハンマーを振るう。 次々と、白い毛玉が沈黙していく。
美しい軌道。
残るは、最後の一匹。 群れの最後尾にいた、一際大きな個体だ。
「ラスト!」
ギルバートは勝利を確信し、フィニッシュの体勢に入る。 ハンマーが伸びる。
狙いは首筋、C4神経根。
その刹那。
ユニコーン・ラビットが、身をよじって前方に動いた。
「あ」
ギルバートの声が裏返る。 狙いが、ずれる。
首のやや上部を狙ったハンマーヘッドは、ユニコーン・ラビットが動いたことで、より下方の首の付け根へと吸い込まれていく。
――バチンッ!
鈍く、重い音が響いた。
打撃点は、C4ではない。
もっと下。
第六神経根(C6)付近。
レイチェルと共有する視界の中で、打撃を受けた首の付け根から、右の前足にかけて。
一本の太い神経のラインが、まるで落雷を受けたかのように、激しく発光した。
バヂヂヂヂッ!
視界が白く染まるほどの、強烈な神経放電。
C6神経根への物理的衝撃が、過剰な電気信号となり、前足の筋肉を強制収縮させた。
「ブギュッ!?」
ユニコーン・ラビットが奇妙な悲鳴を上げる。
逃げようとした瞬間、右の前足が曲がる
支えを失ったユニコーン・ラビットは、盛大に顔面から地面に突っ込み、でんぐり返しをして木の根に激突した。
ピクピクと、右前足が痙攣している。
ギルバートは、慌てて駆け寄る。目を回しているユニコーン・ラビットの首をトン、と叩いて、完全に気絶させた。
「……ふぅ」
ギルバートは額の汗を拭う。
周囲には、眠るようなユニコーン・ラビットの山。
結果としては、大戦果だ。
レイチェルの手を離す。
世界に色彩が戻る。
「……兄」
背後から、冷ややかな声。
振り向くと、レイチェルがジト目でギルバートを見上げていた。
「最後、C6だった」
「うっ」
ギルバートは言葉に詰まる。
だが、すぐに気を取り直し、ふんぞり返った。
「ば、馬鹿言え! あれも計算のうちだ! 大物はしぶといからな、呼吸を止めるより、運動機能を奪ったほうが確実なんだよ! わざとだ、わざと!」
「……嘘はだめ」
「結果オーライだ! 見ろ、この大量の毛皮を! これでしばらくは安泰だぞ!」
ギルバートは強引に話を打ち切ると、獲物の一匹を高々と掲げた。
木漏れ日が、ユニコーン・ラビットの白い毛皮と、ギルバートの金髪を照らす。
「次。ユニコーン・ラビットの好むハーブ、おびき寄せる」
「次からはそうしたら効率がいいって? 確かに、囲い罠にすれば一網打尽できそうだ。ま、今日はこのユニコーン・ラビットたちを換金して、うまい飯を食うぞ! 学費の請求書も俺たちを待っている!」
ギルバートは大股で歩き出す。その顔には、隠しきれない俗物根性と、兄としての責任感が同居している。
レイチェルが駆け寄って、俺と手をつないできた。歩きながら、つながれた俺の手首に、小さな耳を当てた。
「好きだなーレイチェル、人の脈の音聴くの」
「兄の、だけ。安心。他の、ノイズ、消える」
「俺はレイチェルほど耳良くないから、その感覚は分からないけどさ。俺の脈波でよければ、いくらでも聴いとけよ。タダだし」
「うん」
小さく、本当に小さく、レイチェルの口輪筋が収縮しーー微笑みを形づくった。
*
街に入った。
瀟洒な洋風建築の立ち並ぶ、おしゃれな町並みが広がっていた。
「医者! 医者はいないか!」
宿を探すべく、街道を歩いていたギルバートは、反射的に足を止める。




