第1話 公爵家切除術
病巣は、早期に切除すべきだ。
進行すれば、全身を蝕む。
たとえその病巣が、自らの生まれ育った「家」であったとしても。
王城、謁見の間。
極限まで張り詰めた空気が、肌を刺す。
磨き上げられた大理石の床。
そこに、俺――ギルバートは膝をつく。
視線を上げる。
正面の玉座には、この国の支配者である国王が座す。
玉座の脇には、銀色の髪と青い瞳を持つ9才の少年、アレクサンドル第二王子が立っていた。
アレクサンドルの大きな瞳が、涙をたたえて、俺を見つめていた。色白の肌も、ぷっくりした桜色の唇も……美少女のような繊細な美貌が、今は青ざめて、哀れを誘う。
ギルバートは構わず、口上を続けた。 変声期前の、よく通るボーイソプラノ。
「……以上が、我が父、バルトランド公爵による国庫横領、ならびに隣国との内通を示す証拠でございます」
ギルバートは、脇に抱えていた革袋を開き、証拠の書類を取り出した。一礼して国王に近づき、両手でその束を捧げ持った。十歳の細腕には、余る重さ。腕が微かに震える。
国王が、書類を受け取り、重々しく告げた。
「ギルバートよ。実の父を告発するか」
「膿は出し切らねばなりません。たとえ身内であっても」
「……見事な覚悟だ。末恐ろしい子供よ。だが、連座は免れぬぞ」
その言葉を、待っていた。
俯いたギルバートの唇が、わずかに弧を描く。金色の前髪が、その表情を隠す。
計算通りだ。
実家の悪事は、もはや隠蔽不可能なステージまで進行していた。
ならば、自分から告発し、司法取引に近い情状酌量を勝ち取る。
そして、『公爵家』という沈みゆく泥船から、合法的に脱出する。
これこそが、最善の『損切り』だ。
「……バルトランド家を取り潰す。両親は投獄。ギルバート、および妹のレイチェルは、平民への降格とする。……実に、惜しいが」
「寛大なるご処置、感謝いたします」
ギルバートは、深く頭を下げた。
その緑色の瞳の奥で、冷徹な理性が光った。
ギルバートは立ち上がる。踵を返す。
巨大な扉の向こうへ。
自由な世界へ。
*
王城の裏口と城下町をつなぐ、小さな跳ね橋。
中天に向かう太陽が、石造りの橋を煌めかせている。
風が吹く。
コートの裾がはためく。
豪奢な貴族服は捨てた。
今は、機能性を重視した白衣風のロングコートを身にまとっている。
ポケットには、医療器具が詰まっている。
これだけが、ギルバートの武器。
橋の中央に差し掛かった時。
背後から、慌ただしい足音が響いた。
金属の擦れる音も混じる。
「待ってくれ、ギルバート義兄上!」
聞き覚えのある声。
振り返るまでもない。アレクサンドル王子だ。
ギルバートは、小さく息を吐く。
立ち止まらずに、そのまま歩き続ける。
「家族になるって、言ったじゃないか! 義兄上、俺を……一人にするの」
振り返りもしないギルバートの背に、アレクサンドルが叫ぶ。
息を切らし、頬を紅潮させたアレクサンドルの姿が、ギルバートの目に浮かぶようだった。
アレクサンドルの背後の、護衛騎士たちの困惑顔も。
(言ったっけ? 言ったんだろうな……『俺』の意識が宿る前の、ギルバートが。無責任にも……アレクの孤独を癒やしたかったか、取り入りたかったか、で)
振り返って駆け寄って、『泣くな』と、アレクサンドルの頭を撫でられたら、それが許されたら、どんなに良いだろう。けれど、悪役の家系と縁を切らねば、アレクサンドルの経歴に傷がつく。
「大丈夫ー。再来年、魔法学校に入れば、アレク様は素敵な仲間と、恋に出会うよー。異世界から来た聖女が、本当の家族になってくれるよー」
少し距離のあるアレクサンドルに届けようと、大きな声を出した。内容と相まって、間の抜けた響きになった。
きっと、この世界の元となった――かつて姉に押し付けられた、女性向けゲームのシナリオ通り。
アレクサンドルは幸せになるはずだ。
(俺と妹が、魔法学校で悪役兄妹ムーブしないけど……多分大丈夫だよな?)
シナリオの強制力というやつを、信じるしかない。
「いつもの『予言』? 嫌だ! 家族になるのは、義兄上がいい!」
アレクサンドルが、首を振っているのが、見える気がした。
婚約者候補であったのに、『妹が良い』、とは、言ってくれないらしい。無理もないか。
意思疎通が難しい、無表情で常に理性的な義妹。
(よく観れば、小さいけど表情も変わるし、可愛いんだけどなー。可愛いんだぞー、うちの義妹。ま、レイチェルの魅力に気づくには、アレクはまだ、少し幼すぎるかなー)
立ち止まって、振り返る。アレクサンドルの、涙をたたえた、深い海のような目を見る。ギルバートは、ハッキリと口に出す。
「もう、俺を兄とは呼ぶな。俺は、平民だ」
「……言っても、ダメなら」
アレクサンドルの目つきが変わる。
腰に帯びた、練習用の模擬剣を、右手で一気に引き抜く。
護衛の騎士たちが、『殿下!』と叫ぶ。
「力ずくでも、連れ戻す!」
「……これ、王都では見せたくなかったんだけどな」
ギルバートの剣は、王城に入る時に取り上げられている。ギルバートは、懐から、一本の棒を取り出した。
銀色に輝く、奇妙な形状の棒。
先端に、三角形の樹脂のヘッドがついている。
打腱器。
前世で使用していた脳神経内科医の診察道具を、武器に転用したものだ。
この世界特有の希少金属、ミスリル合金で特注させた逸品である。
「動かないで。怪我させたくない」
シュッ、と音がする。
魔力を帯びたハンマーの柄が、10mほど伸びる。
鞭のように、しなる。
アレクサンドルが、初めて見る武器に虚をつかれた顔で、一瞬対応が遅れる。
アレクサンドルが剣を振り上げる。
王族として英才教育を受けた剣筋だ、9才の少年とはいえ、決して悪くはない。が、遅い。
(まず狙うは、C7神経根領域)
人間の体は、電気仕掛けの精密機械だ。
脳からの指令が脊髄を下り、末梢神経を通って筋肉を動かす。
だが、脳を経由しない「近道」が存在する。それが、手足の腱を叩いた時に生じる、反射だ。
「C7神経根……橈骨神経伝導」
ギルバートの手首が翻る。ミスリルの打腱器が、銀色の軌跡を描き、アレクサンドルの右肘の上部外側目掛け、伸びていく。
「上腕三頭筋反射――Burst!」
上腕三頭筋。
二の腕にある、肘を伸ばすための筋肉だ。
その末端。 肘頭と呼ばれる肘の骨の、やや上部に、 上腕三頭筋腱が存在する。
狙うは一点。
腱の中央部。
――バチンッ!
三角のハンマーヘッドと上腕三頭筋が衝突し、鈍く重い音が響く。
瞬間、物理的な衝撃と込められた魔力が、腱の奥にあるセンサー「筋紡錘」を強烈に伸展させる。
『筋肉が引き伸ばされた!』という緊急警報が、神経を駆け上がり、首の付け根にある上から七番目の首の神経・C7へ到達。信号は脳へ報告に行く暇すら与えられず、脊髄内で折り返し、運動神経へと命令を下す。
『筋肉が切れぬように、直ちに縮め!』
本人の意思など介在しない、強制的な生体防御反応。
アレクサンドルの曲がっていた肘が、バネ仕掛けのように跳ね伸びた。
「うわっ!? 手がっ」
アレクサンドルが声を上げる。
意図せずに伸び切った右腕から、剣がすっぽ抜ける。
カラン、カランッ。
石畳の上を、剣が転がる。
何が起きたのか、アレクサンドルは理解できない。
呆然と、自分の右手を見つめるアレクサンドル。
その隙を、ギルバートは逃さない。
少し距離を詰め、 流れるような動作で、身を低くする。
次は、下半身。
姿勢を保持する要、大腿四頭筋。
その張力が集中する場所。
「L4神経根……大腿神経伝導」
膝蓋骨、いわゆる膝の皿の、直下。
「膝蓋腱反射――Burst!」
――バチンッ! バチンッ!
ギルバートの打腱器のヘッドが、的確にアレクサンドルの両側の膝蓋腱を捉える。
大腿四頭筋が急激に収縮する。
アレクサンドルの膝から下が、前方に跳ね上がる。
「なんでっ? 足が、勝手にっ?!」
重心が崩れる。
支持脚としての機能が、瞬間的に失われる。
アレクサンドルの体が、ガクンと沈む。
勝手に足が前に蹴り出されたことで、立つことができなくなったのだ。
ギルバートは、駆け寄ってアレクサンドルの体を支えた。ギルバートは、地面に両膝をつく。
まるで、アレクサンドルに許しを請うかのように。
護衛の騎士たちが、剣を抜く。ざわめきが広がる。
「魔法か!?」
「詠唱もなしに!?」
「呪いか!?」
殺気立った視線が、ギルバートに集中する。
ギルバートは、打腱器をシュルリと縮める。
懐にしまう。
肩をすくめ、護衛騎士に視線を向けた。
「ただの神経学です……すぐに立てるようになる。しばらくお部屋で休ませてください。王子をたぶらかす悪役令息は、消えますので」
立ち上がり、歩き出す。
「……お大事に」
「……義兄上は何も悪くない! 平民になること、ないじゃないか! せめてどこかの養子になるとか」
膝をついたまま、アレクサンドルが叫ぶ。
まだ、諦めていない。
その執念と真っ直ぐさは、いかにもゲームのメインヒーローらしい。また、王者の資質かもしれない。
「いや、子供とはいえ……悪事で得た金で贅沢してたんだから、俺も悪いんじゃないか? それに、高貴なる者の義務ってヤツ、俺みたいな上滑りのお調子者には重くてね。平民になれてホッとしてるよ」
「嘘だ」
その言葉に、ギルバートの胸の奥がチクリと痛む。
そう、嘘だ。
半分は。
公爵家での生活は、贅沢で、何不自由ない暮らしだった。最高の教育も受けられた。
好き嫌いの激しい、養育の難しい妹にとっても、最適な環境だった。
それらを捨てるのが、惜しくないわけがない。
だが。
(……1人殺して犯罪、100万人殺して英雄)
ふと、そんな言葉が脳裏をよぎる。
戦争になれば、王族や貴族は兵を率いる。多くの命を奪う。
国を守るという大義名分のもとに。
「いい王様になってよ。誰も、戦で泣かないように」
口には出せない思いが、胸を占める。
(……外科についていけなくてドロップアウトしたような、ダメ医でもさ。どんだけ、要領悪くて、やる気も燃え尽きててもさ。前世で医者だったんだよ、俺は)
瞼の裏に、白い病室が浮かぶ。
人工呼吸器の規則的な音。心電図の波形。泣き叫ぶ家族の声。
(ひと一人助けるのに、心臓を、肺を、神経を、毎分毎秒24時間見つめてきたんだよ。俺だけじゃなくて、看護師さんも、MEさんも、リハの療法士さんも、他の医者も、皆で)
一つの命をつなぎ止めるために、何人もが、知識と技術と魂を削る。
そうやって守った命が、あっけなく消えることもある。けれど命が助かったなら、どれほど患者本人や、家族や、医療者たちが喜ぶか。
命は、重い。
(……その1人の、100万人の重みを、俺は知ってる。だから、ごめん)
アレクサンドルの嗚咽が、背後から聞こえる。
振り返らない。
(公爵になれなくて、戦に行かなくてすんで、ホッとしてんだ)
これは、逃げだ。けれど今のギルバートには、実家の悪事・公爵となる未来・いずれ来る破滅フラグ……これら全てに、自分とレイチェルの命を守りつつ対応するには、『損切り』以上の選択肢を思いつかなかった。
安全な王都を飛び出せば、魔物が跋扈し、魔法が飛び交う危険な世界。
だが、ギルバートの口元には、不敵な笑みが浮かんでいた。
「さて、稼ぐか」
元・悪役令息にして、元・脳神経内科医。
すでに何者でも無いギルバートの、新しい冒険が、今始まる。




