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ゴーレムに転生した俺。癒音ハンターの歩荷(ボッカ)となりて、騒がしくも愛おしい異世界を闊歩する。  作者: 団田図


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最終話 響け、愛と再生のタクト

 世界の底で、マエストロが指揮棒を振り上げた。

 だが、その男――御城瓦正樹レムが構えると、それは世界を統べる王笏おうしゃくのような厳粛さを帯びた。


「準備はいいか、ユッコ」


 マサキは背後のユッコに声をかける。視線は前方の巨大な敵、『熱脈鎮響壁テンプラチュア・ウォール』に釘付けにしたままだ。

 壁は今や、赤黒いマグマのような輝きを放ち、周囲の空間ごと捻じ曲げるほどの高熱と重力を撒き散らしている。

 生身の人間なら、立っているだけで炭になる距離だ。

 だが、レムの体は耐えていた。かつてゴーレムとして生きた数ヶ月間、その魂に焼き付いた「コア」の残滓ざんしが、見えない鎧となって彼を守っているのだ。


「うん……いつでもいいよ、マサキ!」


 ユッコが涙を拭い、両手に大量のシェルレックを抱えて立ち上がる。

 その顔はすすで汚れ、服はあちこち焦げているが、瞳の輝きだけは最高潮に達していた。


「よし。演目は『東京狂詩曲(ラプソディ)』。観客はあの強欲な壁、たった一つだ」


 レムがニヤリと笑う。

 倒れていた父エルフ、シンシクルも、娘に支えられて体を起こした。彼は信じられないものを見る目で、目の前の人間の青年を見つめていた。


「無茶だ……。あれはただのエネルギーの塊ではない。物理法則そのものが暴走しているんだぞ」

「だからこそです、お義父さん」


 レムはわざと軽口を叩いた。

「物理法則だけでできた世界の音を、たっぷり食わせてやりますよ。消化不良で動けなくなるほどにね」


 レムが息を吸い込む。

 肺に熱気が満ちる。

 かつて音大のホールで感じた緊張感とは違う。これは命のやり取りだ。

 だが、やることは変わらない。

 バラバラな音を束ね、一つの意志へと昇華させること。


「始めよう。――総員トゥッティ、かかれ!!」


 レムがタクトを鋭く振り下ろした。


          ◇


「いっけぇぇぇぇぇーっ!!」


 ユッコが絶叫と共に、抱えていた全てのシェルレックを一斉に起動した。

 数にして数十個。日本での短い滞在期間に、二人が駆けずり回って集めた「日常の轟音」たちが、一気に解き放たれる。


 ガガガガガガガガガッ!!(道路工事の削岩機)

 プァァァァァーン!!(大型トラックのクラクション)

 ジャラジャラジャラ! キュインキュイン!(ゲームセンターの勝利音)

 ガタンゴトン、ガタンゴトン!(満員電車の走行音)

 「いらっしゃいませぇー!」「閉店セール実施中でーす!」(スーパーの呼び込み)


 それは、音楽と呼ぶにはあまりにも無秩序で、暴力的で、猥雑わいざつなノイズの洪水だった。

 美しさのかけらもない。魔力の「ま」の字もない。

 ただひたすらに、人間たちが生きて、働き、欲望を燃やした証としての「生活音」。


 ゴオオッ……!?


 壁が反応した。

 突如として浴びせられた、未知の波形の奔流に、吸引の渦が乱れる。

 消化できない。理解できない。

 この音はなんだ? 熱くもなく、冷たくもなく、ただ騒々しいだけのこのエネルギーは?


「そのままだと弾かれる! 俺に合わせろ!」


 レムが叫び、タクトを横にぐ。

 彼は「聴」いていた。

 この混沌としたノイズの中に潜む、隠されたリズムを。


(削岩機のBPMは120。電車のガタンゴトンは三連符。ゲーム筐体の電子音は高音域の装飾音……いける、繋がる!)


 レムの脳内で、バラバラだったノイズが楽譜の上に配置されていく。

 彼は指揮棒を振るうことで、空気の振動そのものに干渉した。

 ゴーレムだった頃の怪力と、人間としての繊細な感性。その二つが融合し、物理的な「音の操作」を可能にする。


「工事現場、ベースを刻め! 電車はミドルで支えろ! 呼び込みの声はコーラスだ!」


 レムの指示に従い(と錯覚するほど)、音の波が形を変えていく。

 無秩序な雑音が、一つの巨大なうねりとなり、鋭利な刃を持つ「旋律」へと収束していく。

 それは『波形の書き換え(ウェーブ・ハック)』。

 壁が「音」として認識し吸収しようとする瞬間に、その構造を書き換え、「物理的な衝撃波」へと変換する神業。


「フォルテシモ(もっと強く)! まだ足りない! もっと寄越せユッコ!」

「任せて! とっておきがあるよ!」


 ユッコが最後の、日本で録音に使った超巨大な虹色貝を掲げた。

 そこに入っているのは、特定の音ではない。

 渋谷のスクランブル交差点。

 数千人の足音、話し声、息遣い、衣擦れの音。

 形を持たない、膨大な「人間の生体エネルギー」の塊だ。


 ドォォォォォォォォォ……。


 重低音が響く。

 壁が大きく波打った。そのエネルギーに恐怖しているかのように。


「親父さん! 壁の『核』はどこだ! 一番効く場所を教えてくれ!」


 レムが叫ぶ。

 シンシクルは目を見開き、震える手で壁の中央、赤黒く渦巻く一点を指差した。


「あそこだ……! 熱変換炉の中枢! あそこを貫けば、システムがリセットされる!」

了解ラジャー! ……ユッコ、フィナーレだ! 全部ぶち込むぞ!」


 レムは全身のバネを使い、タクトを天に突き上げ、そして振り下ろした。

 

 ――クレッシェンド(だんだん強く)、そしてスフォルツァンド(特に強く)!!


 束ねられた日本の大騒音が、一本の巨大な「音の槍」となって具現化した。

 空気の層が目に見えるほど圧縮され、虹色の光を纏いながら、一直線に壁の中枢へと突き進む。


 ドッガァァァァァァァァァン!!!!!


 直撃。

 壁の咆哮がかき消されるほどの衝撃音。

 音の槍は、壁の防御結界を紙のように引き裂き、その深奥にある中枢核へと突き刺さった。


 ギィィィィン……プシュゥゥゥゥ……。


 壁の動きが止まる。

 赤黒い輝きが、急速に色を失っていく。

 まるで、食べ過ぎて動けなくなった巨人のように。あるいは、憑き物が落ちたように。


 次の瞬間。

 壁全体から、柔らかな白い光が溢れ出した。

 暴力的だった熱波が消え、代わりに心地よい、春の日差しのような温風が吹き抜けていく。


「……成功、したのか?」


 シンシクルが呆然と呟く。

 壁の脈動は、穏やかで規則正しいリズムへと変わっていた。

 シュォォォ……という静かな排気音。

 それは、世界を焦がす熱ではなく、凍てつく大地を優しく温める、本来の「暖房」としての機能を取り戻した音だった。


 大静寂は去った。

 遠くから、微かに風の音が聞こえる。

 地下水が滴る音が聞こえる。

 世界に、音が戻ってきたのだ。


          ◇


「やった……やったよ、マサキ!」


 ユッコが飛びついてきた。

 勢い余って二人して地面に転がる。

 彼女は俺の上に乗ったまま、顔中を煤だらけにして、くしゃくしゃの笑顔で泣いていた。


「すごかった! あんな指揮、見たことない! 音が目に見えるみたいだった!」

「……重いぞ、ユッコ。岩の体じゃないんだから手加減してくれ」


 俺は苦笑しながら、彼女の背中に手を回した。

 心臓が早鐘を打っている。生きてる。俺たちも、この世界も。


 シンシクルが足を引きずりながら近づいてきた。

 彼は穏やかな顔になった壁を見上げ、それから俺たちを見て、深く頭を下げた。


「……礼を言う。君たちのおかげで、私は過ちを犯さずに済んだ。世界も、娘も、守ることができた」

「頭を上げてください。俺はただ、相棒と一緒に暴れただけですから」


 体を起こすと、シンシクルは真面目な顔で俺の手を見た。


「だが……代償は大きかったな」


 左手の甲。

 そこにあったはずの虹色の魔法陣は、完全に消滅していた。

 日本からここへ戻るための転移で、全ての魔力を使い果たしてしまったのだ。

 「千年歌姫の真珠」はもうない。

 つまり、俺が日本へ帰る手段は、永遠に失われたことになる。


「君は、向こうの世界を捨ててまで……」

「マサキ……」


 ユッコが悲しげに眉を寄せる。

 俺は自分の手を一瞥いちべつし、それから晴れやかな顔で空を見上げた。


「いいんですよ。向こうの世界には、俺より優秀な指揮者はごまんといます。でも、この世界で、こんなデタラメな指揮ができるのは俺だけだ」


 彼はユッコに向き直った。


「それに、俺は気づいたんです。俺が一番いい音を奏でられる場所は、完璧に整音されたホールじゃない。……お前が笑っている、この騒がしい世界なんだって」


 ユッコの瞳から、再び涙が溢れ出した。

 今度は悲しみの涙ではない。


「……うん。うん! もっとたくさんの音を集めに行こう! 一生をかけて一緒に!」

「はは、この星が狭いと感じるほどまで、一緒に闊歩しよう!」


 二人は笑い合った。

 地底の闇が晴れ、天井の岩の隙間から、細い陽光が差し込んでくる。

 それは新しい時代の幕開けを告げるスポットライトのようだった。


          ◇


 ――それから、数ヶ月後。


 街道を行く二人の姿があった。

 一人は、身の丈以上の巨大な荷物を軽々と背負う、黒髪の青年。

 もう一人は、その隣で楽しげに鼻歌を歌う、エルフの少女。


「ねえレム、次の街には『歌う水晶』っていうレア音源があるんだって! 高く売れるよ~!」

「へいへい。その前に、この依頼の荷物を届けないとな。……しっかし、この背嚢はいのう、前より重くなってないか?」

「気のせいだよ! 愛の重さだと思って耐えて!」


 レム――この世界では本名のマサキよりも、通り名の「レム」の方が定着してしまった。人間の姿でありながら、「伝説の剛腕歩荷(ボッカ)」として名を馳せていた。

 ゴーレム時代のコアの影響か、彼の怪力と頑丈さは人間離れしており、魔物が出ても素手で追い払ってしまうほどだ。


 ユッコは相変わらず「癒音ハンター」を続けているが、最近はその目的が少し変わっていた。

 父を探す旅は終わった。今は、レムと一緒に世界中の「美しい音」を集め、それを二人で聞くことが目的になっていた。


「あ、そうだレム。海に行こうよ、海!」

「海? またか?」

「だって、まだ見せてないもん! 私のとびっきりのビキニ姿!」


 ユッコが悪戯っぽくウインクする。

 レムは呆れたように溜息をついたが、その口元は緩んでいた。


「……わかったよ。でも、録音だけは勘弁してくれよな」

「えーっ? 『レムがデレた時の声色』とか、絶対プレミアつくと思うのに!」

「売るな!」


 二人の笑い声が、青い空に響きわたる。

 風が木の葉を揺らす音。

 小川のせせらぎ。

 遠くの街の賑わい。

 世界は、こんなにも豊かな音で満ちている。


 レムは荷物を担ぎ直し、隣を歩く最愛のパートナーの手を握った。

 岩の手ではない、温かい手で。

 その掌から伝わる鼓動こそが、彼にとっての最高の名曲だった。


 騒がしくも愛おしい、音を探す二人の旅は、これからもずっと続いていく。

 エンドロールの代わりに、二人の足音が、どこまでも軽快に響き渡っていた。





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