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ゴーレムに転生した俺。癒音ハンターの歩荷(ボッカ)となりて、騒がしくも愛おしい異世界を闊歩する。  作者: 団田図


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最終章④ はかない弾薬補充ミッション

 光のトンネルを抜けた瞬間、全身を襲ったのは強烈な「重み」と「痛み」だった。

 無敵だった岩の鎧は消え失せ、代わりに柔らかく、もろい生身の肉体の感覚が戻ってくる。


 ――ザッブゥゥゥン!!


 冷たい水が、容赦なく俺を包み込んだ。

 塩辛い味。鼻腔を突く磯の香り。そして、肺を焼き尽くすような窒息感。

 ここは海だ。あの夏の日、俺が溺れた日本の海だ。


(……苦しい!)


 手足を動かそうとするが、岩の体のような怪力は出ない。それどころか、事故の直後に戻った俺の体は、激痛で悲鳴を上げていた。頭蓋骨が軋むような痛み。意識が遠のいていく。

 やっぱり、俺はここで死ぬ運命だったのか――。


 そう諦めかけた時、暗い海中に緑色の光が弾けた。


「……ンッ!(レム!)」


 泡と共に、柔らかな腕が俺の体を抱きしめた。

 薄目を開けると、そこには必死の形相のエルフの少女がいた。

 ユッコだ。

 彼女の手のひらが、俺の傷ついた後頭部を覆っている。温かい魔力の波動が流れ込み、砕けかけた骨と、千切れかけた神経を瞬時に繋ぎ合わせていく。

 『治癒魔法ヒール』。

 この世界には存在しないはずの奇跡が、俺の命を現世に繋ぎ止めた。


 ユッコは俺の腰を抱きかかえると、力強いキックで海面を目指した。

 水面が近づく。太陽の光が揺らめいている。


 プハァッ!!


 二人は同時に海面へ顔を出した。

 眩しい夏の日差し。蝉の声。そして、遠くから聞こえる海水浴客のざわめき。


「はぁ……はぁ……! レム、生きてる!? 息してる!?」

「ゲホッ、ゴホッ……! あ、ああ……なんとか……」


 喉から出たのは、岩が擦れる音ではない。人間の、俺自身の声だった。

 俺は自分の手を見た。

 岩の塊ではない。血管が透けて見える、肌色の皮膚を持つ人間の手。

 俺は、人間に戻ったのだ。


「よかったぁ……! レムが人間に戻った瞬間、死んじゃったらどうしようって……!」


 ユッコが俺の首に抱きつき、涙声で叫ぶ。

 俺たちは生きて、日本に帰ってきたのだ。


          ◇


 浜辺の喧騒を避け、俺たちは人気のない岩場に身を隠した。

 ずぶ濡れの服を絞りながら、改めて互いの姿を確認する。

 俺は、どこにでもいる日本の大学生、御城瓦ごじょうがわら正樹まさきの姿に。

 そしてユッコは、異世界のエルフの姿のまま、ここに実体化していた。


「わあ……レム、本当に人間なんだね。岩じゃないから、触るとプニプニしてる」


 ユッコが俺の頬を突き、不思議そうに観察してくる。

 長い耳が目立つ。俺はとりあえず、着ていたラッシュガードのフードを彼女に被せた。


「ユッコ、ここではその耳は目立ちすぎる。隠しておいてくれ」

「うん、わかった! ……ねえレム、ここがあなたの世界? すっごく……うるさいね!」


 彼女が目を輝かせて周囲を見回す。

 その言葉通り、日本は音に溢れていた。

 ミンミンと鳴く蝉の大合唱。遠くを走る車の走行音。上空を通過する飛行機のジェット音。

 異世界では「大静寂」によって失われつつあった音が、ここでは暴力的なまでに空気を震わせている。


「最高だよレム! 宝の山だ! これなら壁をお腹いっぱいにさせられるよ!」


 ユッコはポーチから、シェルレックを取り出した。

 俺たちのミッションは明確だ。

 異世界の時間は止まっている。焦る必要はない。

 この世界の、ありとあらゆる「雑音ノイズ」を集め、最強の弾薬を作ること。


「よし、行こうユッコ。俺の部屋が近くにある。そこを拠点に、音集めミッションの開始だ。それから、俺の本当の名前はマサキって言うんだ」

「おーっ! じゃあ案内して、マサキ!」


 初めて呼ばれた本名に、少し照れくささを感じながら、俺は彼女の手を引いて歩き出した。

 岩の手ではない、温かい人間の手で。


          ◇


 それからの数日間は、まるで夢のような時間だった。

 俺の狭いアパートでの同棲生活。ユッコは見るもの全てに興奮し、子供のようにはしゃぎ回った。

 冷蔵庫のブーンというモーター音に感動し、風鈴の音に「前衛的!」と拍手を送り、ドライヤーの音には「風の魔法みたい!」と驚喜した。


 そして俺たちは、街へと繰り出した。


 まずは、駅前のゲームセンター。

 自動ドアが開いた瞬間、洪水のような電子音と金属音が溢れ出す。

 ジャラジャラジャラ! キュインキュイン! 勝負に勝った時のファンファーレ!

 そんな騒音も、ユッコにとっては極上のシンフォニーだった。


「すごいすごい! 何この音の洪水! 脳みそが痺れるぅ!」

「こいつは強烈だぞ。壁も消化不良間違いなしだ」


 次に、工事現場。

 アスファルトを砕く削岩機の音。ガガガガガガッ!!

 重機のバックブザー。ピーッ、ピーッ、ピーッ。

 鉄骨を打ち付ける金属音。カーン、カーン!


「リズムが暴れてる! 命の叫びって感じ! この音もらった、私がっぴ!」


 ユッコはシェルレックを掲げ、次々と日本の日常音を吸い込ませていく。

 満員電車の軋み音。スクランブル交差点の喧騒。バッティングセンターの打球音。

 俺たちが普段「うるさい」と感じて耳を塞ぐようなノイズこそが、異世界の壁にとっては猛毒であり、救済の鍵なのだ。


 音を集める旅は、いつしか二人のデートになっていた。

 コンビニでアイスを買い、夜の公園でブランコに乗りながら、ひとつのシェルレックの殻口に耳を傾けて録音した音を聞く。

 岩の体だった頃にはできなかった、細やかな触れ合い。

 ユッコの髪の匂い。柔らかな肌の感触。

 互いの気持ちは、言葉にしなくても痛いほど伝わっていた。


 だが、幸せな時間は残酷なほど早く過ぎ去る。

 空シェルレックの残量がゼロに近づいていた。


 ある夜。

 アパートのベランダで、俺たちは並んで夜空を見上げていた。

 東京の空は明るすぎて、星はほとんど見えないが、一つだけの満月が浮かんでいた。


「……ねえ、マサキ」


 ユッコが静かに口を開いた。

 いつも被っているフードを外し、長い耳を夜風に晒している。


「マサキの世界は、平和だね。音がいっぱいで、誰も凍えてなくて……温かい」

「ああ。……まあ、いいところだよ」

「マサキは、ここの住人なんだよね」


 彼女の言葉に、俺は少しドキリとした。

 ユッコは俺の顔をじっと見つめている。その碧眼が、街灯の光を反射して揺れていた。


「岩の体じゃなくなって、元のイケメンに戻って。……ここでは、死ぬ心配もしなくていい。家族も友達もいるんでしょ?」

「ユッコ、何を……」

「ううん、なんでもない!」


 彼女は急に明るい声を出して、俺の背中をバンと叩いた。


「さあ、明日は仕上げだよ! シェルレックもパンパンだし、そろそろ向こうに戻る準備をしなきゃね!」

「……そうだな。親父さんも待ってる」


 俺は彼女の笑顔の裏にある影に、気づかないふりをした。

 気づきたくなかったのかもしれない。

 この平穏な日常が、ずっと続けばいいと願っていたから。


          ◇


 翌日の夜明け前。

 ふと目が覚めると、隣に寝ていたはずのユッコがいなかった。

 トイレか? と思ったが、気配がない。

 胸騒ぎがした。

 跳ね起きてリビングへ行くと、テーブルの上に一つのシェルレックが置かれていた。


「……まさか」


 俺はシェルレックを掴み、再生ボタンを押した。

 ユッコの声が流れる。いつもより少し低く、震えている声。


『マサキ、おはよう。……勝手なことして、ごめんね』


 録音の中で、彼女は泣いていた。


『私ね、ここに来てわかったの。マサキは、この平和な世界で生きるべき人だって。あんな滅びかけの異世界に、連れて行っちゃいけないって』


「ふざけるな……!」


『壁を止めるのは、私一人でやる。集めた音があれば、きっと大丈夫。だからマサキは、ここで幸せになって。……私のことは忘れて、素敵な彼女を作って、おじいちゃんになるまで生きて』


 ――ズキン。

 胸が張り裂けそうだった。

 彼女は最初から決めていたのだ。俺をここに置いていくことを。

 生身の人間が次元を超えるリスク。戦場へ戻る危険。

 それら全てから俺を守るために、彼女は一人で帰ったのだ。


『……レム。ううん、マサキ。あなたと出会えて、私の人生は最高に騒がしくて、楽しかったよ。ありがとう。さようなら』


 プツッ。

 録音が終わる。


「……バカ野郎が!!」


 俺はテーブルを叩きつけた。

 守る? 幸せになれ?

 お前がいない世界で、どうやって幸せになれって言うんだ。

 俺が求めているのは、平和な日常じゃない。お前と一緒に笑い合う未来だ。

 たとえそれが、明日をも知れぬ無音の異世界だとしても。


 俺は左手を見た。

 手の甲には、まだ虹色の魔法陣が輝いている。

 異世界への切符は「往復分」。

 つまり――俺の分の復路切符は、まだここにある。


「待ってろ、ユッコ。勝手に終わらせてたまるか」


 俺はユッコが残したシェルレックを掴み、ポケットにねじ込んだ。

 部屋を見渡す。

 平和な日本。静かな夜明け。

 俺はそれらに別れを告げた。

 もう迷いはない。俺の居場所は、ここじゃない。

 あの騒がしいエルフの隣こそが、俺の帰るべき場所だ。


 俺は魔法陣に魔力を込めた。

 かつてゴーレムのコアとして機能していた魂が、熱く脈打つのを感じる。


転送開始トランスポート!!」


 部屋が光に包まれる。

 俺は自ら、修羅の地へと飛び込んだ。


          ◇


 ――異世界、最深部。


 光の粒子と共に実体化した俺の目に飛び込んできたのは、絶望的な光景だった。


 ゴオオオオオオオッ!!


 熱脈鎮響壁テンプラチュア・ウォールが、以前よりもさらに激しく暴走している。

 その前に、小さな影が二つ。

 倒れ伏した父エルフ・シンシクルと、その前に立ち塞がるユッコだ。


「やめろぉぉぉぉっ!!」


 ユッコが叫び、シェルレックから日本の騒音を放っている。

 だが、壁の勢いは止まらない。

 彼女が放つ音ごと、彼女自身を飲み込もうと、赤黒い触手のような熱波が迫っていた。

 ユッコの髪が焦げ、肌が焼かれる。


「パパ……ごめん……私、ダメだった……」


 ユッコが膝をつく。

 彼女の瞳から光が消えかけ、死の影が忍び寄る。

 熱波が彼女を捉えた、その瞬間。


 ズドォォォォォォン!!


 上空から何かが降ってきた。

 轟音と共に大地が割れ、砂煙が舞い上がる。

 熱波が弾き飛ばされ、霧散する。


「え……?」


 ユッコが呆然と顔を上げる。

 舞い上がる土煙の中、一人の男が立ち上がった。

 ラッシュガードにジーンズ姿。場違いなほど軽装な、黒髪の青年。

 だが、その体からは、岩のゴーレムにも劣らない力強い闘気が立ち上っている。


「……マ、サキ……?」


 ユッコの声が震える。

 俺は振り返り、ニカっと笑って見せた。かつて岩の体でそうしたように、親指を立てて。


「悪いな、忘れ物だ」


 俺はポケットから、彼女が置いていったシェルレックを取り出し、放り投げた。

 ユッコが慌ててキャッチする。


「な、なんで……! どうして来ちゃったの!? バカ! 死んじゃうよ!」

「言ったろ。俺は荷物持ちだ。お前の荷物が重すぎるなら、俺が全部持ってやる」


 俺は前を向いた。

 目の前には、世界を喰らう巨大な壁。

 生身の体だ。岩の鎧はない。

 だが、不思議と恐怖はなかった。体内には、あの頃の「コア」の残滓ざんしが熱く燃えているのがわかる。

 防御力なら、まだゴーレム並みにあるようだ。


「さあ、クライマックスだ、ユッコ! 親父さんも見てるぞ! 世界で一番うるさいコンサートを始めようぜ!」


 俺が叫ぶと、ユッコは涙を拭い、今までで一番の笑顔を見せた。

 彼女はシェルレックを構える。

 俺は、日本から持ってきた指揮棒タクトをズボンのポケットから引き抜いて構える。


 役者は揃った。

 指揮者マエストロと、演奏者ハンター

 そして観客は、暴走する世界のシステムただ一つ。


「行くよ、レム!」

「おう!」


 二人の声が重なり、最後の戦いの幕が上がった。

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