第2話 灼熱の産声と、逃走の協奏曲
海沿いの街道を、奇妙な二人連れが歩いていた。
一人は、背丈ほどもある巨大な背嚢を軽々と担いだ岩の巨人。もう一人は、その巨人の周りを蝶のように飛び回りながら、絶え間なく喋り続けるエルフの少女だ。
「ねえレム、知ってる? この『シェルレック』ってね、ただの巻貝じゃないの。特別な魔力処理がしてあって、音を閉じ込めることができるんだよ。でもね、一回録音したらそれっきり! 上書き保存不可の使い捨てなの。不便だよねぇ、もっとこう、魔法でピピッと何回でも使えたらいいのに!」
少女――ユッコは、レムが担ぐ背嚢から美しい巻貝を取り出し、太陽にかざして見せた。
巨人のレムは、無言で首肯く。
彼には言葉がない。だが、その青白く光る瞳は、彼女の話をしっかりと聞いていることを示していた。
「だからこそ、ハンターの腕の見せ所ってわけ。私はね、世界中に散らばる『癒やしの音』を集める『癒音ハンター』なの。珍しい音を録って、街で売って、そのお金で旅をして……そうやって、いつかパパを見つけるんだ」
ユッコは少しだけ寂しそうに微笑んだが、すぐに明るい表情に戻って前方を指差した。
「さあ、今日の目的地はあそこ! 『灼熱のボグレット火山』だよ!」
彼女の指差す先には、噴煙を上げる荒々しい赤茶色の山がそびえ立っていた。
◇
ボグレット火山。
そこは、三百年前に大魔王を討伐した「かの勇者」が、愛剣を鍛え上げた場所として知られる伝説の地だ。
山腹に近づくにつれ、気温は急激に上昇した。地面からは陽炎が立ち上り、空気そのものが歪んで見える。
二人の眼下には、緩やかな死の川――溶岩流が見えてきた。
赤黒く光るその液体は、極めて粘度が高い。まるで煮詰めた水飴のように、メリメリ、ズズズ……と重苦しい音を立てて、ゆっくりと海へ向かって流れている。
その熱量は凄まじかった。
地面に落ちている枯れ枝や、わずかに積もった塵や埃が、溶岩に触れることもなく、近づくだけでバチバチと音を立てて発火し、焼き切られていく。
生きた植物などひとたまりもない。一瞬で炭化し、赤い濁流に飲み込まれ、その一部となって消えていくのだ。
「うぅ……あつぅ……。エルフには過酷な環境だよぉ……」
火口付近まで登ってきたユッコは、玉のような汗を流してへばっていた。
服をパタパタとあおぐが、熱風が来るだけで涼しくはない。
『グォ……(おい、大丈夫か)』
レムが心配そうに覗き込む。
岩石でできた彼の体は、熱には滅法強い。むしろ、温泉に入っているような心地よささえ感じていたが、生身のユッコには地獄だろう。
「だ、大丈夫……。ここにあるはずなの。伝説の『煉獄双頭翼竜』の巣が……!」
フラフラになりながらも、ユッコは火口の縁へと進む。
レムはすっと彼女の風上に立ち、その巨大な体で熱風を遮った。
動く防波堤ならぬ、防熱壁だ。
「あ、風が止んだ……。レムが盾になってくれてるの? ありがとう、涼しい!」
レムの影に入り、一息ついたユッコが火口の内側を覗き込む。
そして、その碧眼を大きく見開いた。
「あった……! 見てレム、あれ!」
火口の内側にある岩棚のくぼみに、異様な存在感を放つ物体があった。
真っ赤に輝く、巨大な卵だ。
神の使いとも言われる伝説のモンスター、煉獄双頭翼竜の卵に間違いない。
よく見れば、その表面には細かな亀裂が走り始めている。
「生まれそう! レム、背中の荷物からシェルレックを一つちょーだい!」
レムは背嚢から素早く巻貝を取り出し、ユッコに渡す。
彼女は真剣な表情で卵を見据え、巻貝のスイッチに指をかけた。
「よし……。この音もらった! 私が録っぴ!」
ユッコが録音開始の合図を送る。
レムは静かにその場にしゃがみ込み、全神経を「聴覚」へと集中させた。
◇
♪~煉獄双頭翼竜のヒナ
指揮棒を構えるときのような静謐さが、俺の心を満たす。
熱波の音、風の音、遠くの波音。それらすべてのノイズを脳内でフィルタリングし、ただ一点、眼下の卵へと意識をチューニングする。
世界が、スローモーションになる。
眼下に広がるのは、死と誕生が同居する灼熱の揺り籠だ。
千度はあろうかという溶岩の池。キャラメルを溶かしたかのような高い粘度の液体が、グツグツと不穏なリズムで煮えたぎっている。
赤熱したマグマの底から、ゆっくりと、あぶくのように気泡が上がってくる。
膨らみ、限界を迎え、弾ける。
……ボコッ。……パチッ。
重く、湿った破裂音が、不規則な間隔で鼓膜を揺らす。それはまるで、この火山の心音のようだ。
その熱気の中、米俵ほどの大きさの卵が、マグマの照り返しを受けて鮮烈な赤色に発光している。
強烈な熱波を浴びながら、命の殻に走ったヒビが、微かに広がっていく。
――コツ。
聞こえた。
卵の内側から、硬いもので壁を叩く音。
小さな、けれど力強い、世界へのノック。
――コツ、コツ。
いや、単音ではない。
共鳴している。
卵の右側と左側、二箇所からほぼ同時に、内壁をつつく音が響いているのだ。
まるで熟練のパーカッション奏者が二人、目配せだけでリズムを合わせているかのような、完璧なシンクロニシティ。
――パキッ、ピシッ。
硬質な殻が悲鳴を上げ、亀裂が走る音が加速する。
クレッシェンドしていく破壊の旋律。
そして。
パカァッ!
乾いた音と共に、卵の上半分が弾け飛んだ。
立ち上る湯気の中に、その姿が現れる。
濡れた体毛。よちよちと動く翼。
体は一つ。だが、首は二つ。
『ピョ……』『……クワッ』
二つの頭が、初めて肺に空気を取り込み、声を上げる。
右の頭は小鳥のような高音で。左の頭は水鳥のような愛嬌のある低音で。
『ピョワッ!』『クワピィ!』
二つの産声が重なり合い、火口の反響を利用して、えも言われぬ和音を奏でた。
獰猛なモンスターの幼体とは思えない、なんと無垢で、癒やされる響きだろうか。
二つの頭は互いに顔を見合わせ、確かめるように鳴き交わす。
ピヨとクワの間にある、名状しがたい音階の揺らぎ。
このままずっと、この二重奏に耳を傾けていたい――。
だが、その至福の時間は、地底からの地響きによって遮られた。
ゴゴゴゴゴゴ……ズオオオオオオ……。
空気が震えるほどの、低い唸り声。
風の音ではない。火山の鳴動でもない。
これは、呼吸音だ。
圧倒的な質量を持った「何か」が、火口の底から急上昇してくる気配。
母親だ。
我が子の産声を聞きつけ、親が戻ってくる。
まずい。これは「感動の対面」なんて生易しいイベントじゃない。
侵入者を排除するための、殺戮のファンファーレだ!
~♪
◇
「録れたぁ~! すっごいレア音源ゲット!」
録音を終えたユッコは、迫りくる危機になど気づかず、満面の笑みでシェルレックを掲げていた。
「ねえ聞いたレム? 『ピョワッ』だって! メチャントかわいかったぁ~! この和音、絶対高く売れるよ!」
彼女は上機嫌で鼻歌を歌いながら、足元に落ちていた卵の殻の欠片を拾い上げた。
宝石のように赤く輝くその破片を、大事そうにポケットにしまい込む。
「これもお土産にしよっと。……あ、そうだ、ヒナたちにも挨拶して……」
『グォッ!(バカ、逃げるぞ!)』
レムは悠長に手を振ろうとするユッコの腰を、米俵のようにひょいと抱え上げた。
「え、きゃっ!? ちょっとレム、いきなり何す――」
「ギョエエエエエエエエッ!!」
ユッコの抗議は、火口の底から響き渡った凄まじい咆哮にかき消された。
巨大な影が、溶岩の幕を破って飛び出してくる。
翼長二十メートルはあろうかという、成体の煉獄双頭翼竜だ。四つの目が、憎悪に燃えてこちらを睨んでいる。
「うわわわ! お母さん激怒じゃん! ごめんなさい、ちょっと音もらっただけですぅ!」
レムはユッコを小脇に抱えたまま、岩場を蹴って猛ダッシュを開始した。
背後で灼熱のブレスが炸裂し、岩がドロドロに溶ける音がする。
ドス、ドス、ドス!
ゴーレムの健脚が唸りを上げ、斜面を滑り降りていく。
腕の中のユッコは「わーっ! ジェットコースターみたい!」と、恐怖よりもスリルを楽しんでいる様子で足をバタつかせている。
(……やれやれ)
このお気楽な相棒を守るためなら、多少の命がけも悪くはない。
レムは心の中で苦笑しつつ、轟音をバックミュージックに、次の目的地へとひた走るのだった。




