第17話 ゴブリンの闇市と、欲深きコインの雨
湿った土の匂いと、機械油の香り、そして何かが焦げるような熱気が混ざり合う場所。
地上から続く長い長い坑道を抜けた先に、その巨大な地下空間は広がっていた。
『スクラップ・バザール』。
世界中からガラクタと宝物が流れ着き、欲望と商魂が渦巻く、ゴブリンたちの闇市である。
「うわぁ……! 目がチカチカするよぉ」
エルフの少女ユッコが、雑多に積み上げられた商品の山を前に目を丸くした。
錆びついた剣、欠けた魔道具、正体不明の骨、怪しげな薬瓶。所狭しと並べられた露店の間を、小柄な緑色の肌をしたゴブリンたちが忙しなく駆け回っている。
彼らの甲高い話し声と、値切り交渉の怒号が、地下の岩盤に反響して独特の活気を生み出していた。
「ここなら、パパの手がかりになるような古い記録とか見つかるかもね。レム、はぐれないようにね!」
ユッコが振り返ると、岩の巨人レムは興味深そうに、積み上げられた古代の歯車を見つめていた。
彼の巨体は、この狭い通路ではひときわ目立つ。行き交うゴブリンたちが、ギョッとして道を空け、その後ろ姿を値踏みするような目で見送っていた。
その視線の意味に、二人が気づいたのは、市場の奥深くにある「大取引所」と呼ばれる広場に差し掛かった時だった。
「ケケッ! 旦那ぁ、いい石持ってるねぇ!」
突然、ダミ声と共に数人のゴブリン商人が立ちはだかった。
彼らは金貨のネックレスをジャラジャラとさせ、貪欲な光を宿した瞳でレムを見上げている。
「見たことねぇ純度だ。ミスリルか? それとも生きた遺跡の建材か? こいつは高く売れるぜぇ!買ってやるよ」
「おい、解体屋を呼んでこい! バラして切り売りすれば、城が建つぞ!」
ゴブリンたちが、レムを「客」ではなく「商品」として取り囲む。
彼らにとって、意思を持つゴーレムなど、ただの歩く鉱脈にしか見えていないのだ。
レムは困惑し、一歩後ずさった。力づくで追い払うことは簡単だが、それでは騒ぎが大きくなり、情報収集どころではなくなってしまう。
「ちょっと! あんたたち、何言ってるの!?」
鋭い声が響いた。
ユッコが、レムとゴブリンたちの間に割って入ったのだ。
彼女は小さな体をいっぱいに広げ、自分より数は多いが背丈は同じくらいのゴブリンたちを睨みつけた。
「この子は売り物じゃないわ! 私の大切な相棒で、世界一の騎士なんだから!」
「ああん? エルフの嬢ちゃん、騎士だぁ? ただのデカい石ころだろ」
「石ころじゃない! レムには心があるの! 指一本でも触れたら、私が許さないんだから!」
ユッコは腰のシェルレックを突きつけ、一歩も引かずに啖呵を切った。
その剣幕に、ゴブリンたちがたじろぐ。
金儲けのことしか頭にない彼らだが、それゆえに「本気で怒らせてはいけない相手」を見抜く嗅覚は鋭い。このエルフの少女の瞳には、金貨の輝きよりも強い、譲れない意志の炎が燃えていた。
「チッ……わかったよ。悪かったな、嬢ちゃん」
リーダー格のゴブリン、ガメツが手を挙げた。
「俺たちゃ商売人だ。トラブルで商品を傷つけるのはごめんだからな。……それに、その『騎士』さんの迫力、確かにタダモノじゃねぇ」
ガメツは、レムの静かな威圧感(と、ユッコを守ろうと構えた岩の拳)に冷や汗をかきながら、愛想笑いを浮かべた。
「詫び代わりに、面白いもん見せてやるよ。ちょうど今から、ここでデケェ商談が成立するところなんだ」
ガメツが指差した先には、広場の中央にある巨大な鉄のテーブルがあった。
そこには、裏社会の大物とおぼしき二組の商人が向かい合っている。
片方の商人が合図をすると、屈強な用心棒が、ズシリと重そうな革袋をいくつもテーブルの上に持ち上げた。
「おいおい、まさかあれ全部……」
周囲の野次馬たちが息を呑む。
袋の口紐が解かれる。中身は、すべて金貨だ。
ユッコの耳がピクリと動いた。
大量のコイン。それが一気に解き放たれる音。
「……来る!」
ユッコはゴブリンたちへの怒りも忘れ、ハンターの顔になった。
彼女は素早くシェルレックを構える。
「この音もらった! 私が録っぴ!」
商人が袋を逆さまにした瞬間、ユッコの指がスイッチを押した。
◇
♪~商談成立、罪深き黄金の急襲
地下空間のざわめきがフェードアウトし、俺の意識はテーブルの上の一点へと集中する。
革袋の口が開き、暗闇の中に閉じ込められていた黄金の奔流が、重力に従って雪崩れ落ちる。
――ジャラララララッ!!
鼓膜を叩くのは、圧倒的な「量」の暴力だ。
一枚一枚は、指先で弾けばチーンと澄んだ音を鳴らす、小さな金属片に過ぎない。
だが、それが数千、数万という単位で集まった時、それは硬質な滝となる。
ガシャン、チャリッ、ジャララ……。
金と金がぶつかり合う、鋭く、それでいて重厚な摩擦音。
そこには温度がない。冷徹な金属の響きだ。
しかし、不思議なことに、その音からは人間の体温よりも熱い「熱」を感じる。
欲望の熱だ。
これを手に入れたい、もっと増やしたい、誰にも渡したくない。
コインの一枚一枚に染み付いた、無数の持ち主たちの執念が、ぶつかり合いながら火花を散らしているようだ。
キンッ! ……チャリーン。
山積みになったコインの頂上から、数枚がこぼれ落ち、鉄のテーブルの上で跳ねる。
回転しながら徐々に振幅を弱め、最後にピタリと止まるまでの、微細な振動音。
それは、世界で最も正直なチャイムだ。
言葉は嘘をつく。契約書は改ざんできる。笑顔は偽れる。
けれど、この金属が放つ質量と音だけは、残酷なまでに正確な「価値」を刻む。
俺は岩の体で、その音波を受け止める。
かつて人間だった世界でも、お金の音は人を狂わせ、同時に人を救ってきた。
ここでも同じだ。
この地下に響くジャラジャラという音は、ゴブリンたちの生きる糧であり、彼らのプライドのファンファーレなのだ。
濁りのない、純粋な強欲の音色。
それが洪水のように溢れ出し、テーブルを埋め尽くし、聞く者の理性を麻痺させていく。
美しいとさえ思ってしまうのは、俺もまた、何かを欲しているからだろうか。
日本へ帰りたいという願い。
ユッコを守りたいという願い。
黄金の輝きと音の波に溺れながら、俺は自分の胸の奥にある「空洞」が、少しだけ熱くなるのを感じていた。
~♪
◇
金貨の山が築かれ、取引が成立すると、広場は割れんばかりの喝采と指笛に包まれた。
「うっわー……すごい音だったね。耳の奥でまだジャラジャラ言ってるよ」
ユッコが呆れたように、けれど満足げにシェルレックをしまった。
「へへっ、いいもん見れただろ?」
ゴブリンのガメツが、ニヤニヤと笑いながら近づいてきた。
彼は懐から、親指大のガラス玉を取り出し、レムに放り投げた。
「ほらよ。詫びの品だ」
レムがキャッチしたそれは、中に気泡が入った、少し歪なガラス玉だった。薄っすらと青く発光しているが、魔力も感じられない、ただの子供の玩具のようなガラクタだ。
「なんだ、ただのビー玉じゃん。ケチだなぁ」
ユッコが唇を尖らせるが、レムはそのガラス玉をじっと見つめていた。
そして、胸にある岩の裂け目――コアを守る装甲の隙間――に、それをそっと押し込んだ。
カチリ、と小さな音がして、ガラス玉が収まる。
まるで、勲章を飾るように。
「え? レム、そんなガラクタ、大事にするの?」
ユッコが笑うと、レムは自分の胸をドンと叩き、そしてユッコを指差した。
『グォン(お前が俺を守ってくれた、その時の記念だ)』
言葉はなくても、その真意は伝わったようだ。
ユッコは少し顔を赤くし、照れ隠しに鼻をこすった。
「も、もう! レムったら、変なところで律儀なんだから……」
ガメツは二人のやり取りを見て、鼻を鳴らした。
「チッ、甘ったるいねぇ。……ま、気をつけて行くんだな」
去り際、ガメツの声色が少しだけ低くなった。
「最近、商売仲間の何人かが帰ってこねぇんだ」
「帰ってこない?」
「ああ。『最果て』と呼ばれる北の渓谷へ行った連中だ。あの辺りは最近、やけに静かすぎるって噂だ。……風の音すら消えちまったみたいにな」
静かすぎる。
その言葉に、ユッコの表情が強張る。
レムもまた、胸にしまったガラス玉の冷たさを感じながら、ガメツの背中を見送った。
世界の異変は、確実に進行している。
賑やかな市場の喧騒の裏で、忍び寄る「静寂」の足音が、レムの聴覚には確かに聞こえた気がした。
「……行こう、レム。パパも、その静かな場所に向かったのかもしれない」
ユッコがレムの手を引く。
二人は雑多な欲望の街を抜け、地上への出口へと歩き出した。
レムの胸の中で、青いガラス玉だけが、小さな希望のように微かな光を放っていた。




