第15話 闘技場の熱砂と、オークの鬨の声
乾いた風が、荒野の砂塵を巻き上げて吹き抜ける。
視界の先には、赤茶けた大地にそびえ立つ、巨大な円形闘技場のコロッセオがあった。
石と鉄で組み上げられたその建造物は、見る者を威圧するような武骨さを誇示している。
『コロッセオ・オブ・マッスル』。
その直球すぎる名前が示す通り、ここは大陸中から自慢の腕っぷしを持つ荒くれ者たちが集い、最強の座を競い合う筋肉の聖地である。
「うひゃあ……あつぅ……。ここ、気温も高いけど、熱気がすごくない?」
エルフの少女ユッコが、手でパタパタと顔をあおぎながら言った。
彼女の額には汗が滲み、金色の髪が少し肌に張り付いている。
周囲を見渡せば、行き交うのは筋骨隆々とした戦士たちばかり。特に目立つのは、豚のような鼻と牙、そして丸太のように太い腕を持つ種族、オークたちだ。
「ここに来る人たち、みんな服の面積が少ないよぉ。目のやり場に困っちゃう」
『グォン(まあ、闘技場だからな)』
岩の巨人レムは、平然と歩を進める。
岩石でできた彼の体は、暑さ寒さに影響されない。ただ、周囲からの視線がやけに熱いことには気づいていた。
「オイ見ろよ、あのデカブツ!」
「すげぇキレだ……! なんて硬そうな筋肉なんだ!」
オークたちが足を止め、レムを指差してざわめいている。
どうやら彼らの目には、レムの岩肌が「極限まで鍛え上げられ、岩のように硬くなった筋肉」として映っているらしい。
「おい、そこの御仁!」
ドスドスと地響きを立てて近づいてきたのは、一際巨大なオークだった。
身長はレムより少し低い程度だが、横幅は二倍はある。全身に古傷があり、首には巨大な獣の牙のネックレスを下げていた。
この闘技場の顔役、猛牛・オーガストだ。
「見事だ……。これほどの『仕上がり』は見たことがねぇ。触ってもいいか?」
オーガストは許可も待たずに、レムの岩の二の腕を太い指でグニグニと押した。
当然、岩なので微動だにしない。
「カッチカチ……! まるで岩石そのものじゃねぇか!」
『グォ……(岩だからな)』
レムの心のツッコミは届かない。オーガストは感動に打ち震え、キラキラした瞳でレムを見上げた。
「気に入った! 貴様、いい筋肉鎧だ! 俺の練習に付き合ってくれ! その鋼の肉体に、俺の拳を叩き込みてぇ!」
有無を言わさぬ勢いで、レムはオークたちのトレーニング場へと連行されてしまった。
ユッコはといえば、「あはは、レムってばモテモテ~!」と他人事のように笑いながらついてくる。
◇
トレーニング場といっても、そこは闘技場の裏手にある資材置き場のような場所だった。
オークたちは試合に向けたアップとして、巨大な岩を持ち上げたり、互いにタックルを繰り返したりしている。
そんな中、闘技場の修繕に使われる石材が高く積み上げられているエリアがあった。
「おーい、レム! こっちから見ると闘技場の中が少し見えるよ!」
ユッコが好奇心に駆られ、積み上げられた石材の近くに寄っていった。
その時だ。
近くでトレーニングしていたオークの一人が、勢い余って石材の山に激突してしまった。
ズズズ……グラッ!
バランスを崩した石材の山が、悲鳴を上げて崩落を始める。
その真下には、ユッコがいた。
「えっ……?」
ユッコが空を見上げる。数百キロの石塊が、頭上から降り注ぐ。
逃げる暇はない。
「危ねぇっ!!」
オークたちが叫ぶ。
だが、誰よりも速く動いた影があった。
レムだ。
彼は瞬時に地面を蹴り、スライディングの要領でユッコの元へ滑り込むと、彼女に覆いかぶさるようにして四つん這いになった。
ドガァッ! ズドン! ガガガッ!
凄まじい衝撃音と土煙が舞い上がる。
巨大な石材が次々とレムの背中に直撃し、あるいは弾かれ、あるいは砕け散る。
だが、レムは一歩も引かなかった。
膝を地面にめり込ませ、歯(のような岩)を食いしばり、自身の背中を最強の「盾」として固定したのだ。
その姿は、まさしく不動の要塞。
やがて崩落が止まり、土煙が晴れていく。
瓦礫の山の中で、レムはゆっくりと身を起こした。
その懐には、無傷のユッコが抱えられている。
「レ、レム……?」
『グォン(怪我はないか)』
レムが首を傾げる。彼の背中には無数の傷がつき、表面の岩が削れていたが、構造的なダメージはないようだった。
「お、おおおおおお……ッ!!」
周囲から、野太い嗚咽が漏れた。
見れば、オーガストをはじめとするオークたちが、ボロボロと涙を流しているではないか。
「なんて漢らしい行動だ……! 自分の身を挺して、小さき者を守り抜く! これぞ筋肉の正しい使い方! これぞマッスル・スピリッツ!」
「兄貴……いや、師匠と呼ばせてくだせぇ!」
オークたちはレムを取り囲み、暑苦しいほどのハグを繰り返した。
どうやら、ただのトレーニング相手から、尊敬すべき「漢の中の漢」へと昇格したらしい。
◇
その一件のお礼として、レムとユッコは闘技場の最前列、来賓席(本来は部族長が座る席)へと招待された。
これから始まるのは、本日のメインイベント。
五十人のオーク戦士たちが入り乱れて戦う、無差別級バトルロイヤルだ。
すり鉢状の観客席は、すでに満員だった。
観客たちの興奮した叫び声と足踏みが、地響きとなって会場全体を揺らしている。
闘技場の中央には、武器を手にした戦士たちが円陣を組むように距離を取って対峙している。
ピリピリとした殺気が、肌を刺す。
「すごい熱気……! 空気がビリビリしてるよ」
ユッコが身を乗り出す。
中央に立つ審判役のオークが、巨大な法螺貝を構えた。
それが、戦いの幕開けを告げる合図だ。
「来るよレム! 戦士たちの魂の叫び!」
ユッコは背嚢からシェルレックを取り出し、闘技場の中心へと向けた。
その表情は真剣そのものだ。野蛮だと敬遠されがちなオークたちの、嘘偽りのない情熱。それを記録することに、彼女は価値を見出していた。
「この音もらった! 私が録っぴ!」
法螺貝の音が響くと同時に、ユッコがスイッチを押した。
◇
♪~オーク戦士たちの鬨の声と、闘争のドラム
ブオオオオオオオオ……!
法螺貝の低い音色が、熱砂のフィールドに染み渡る。
それが引き金だった。
静止していた五十の筋肉の塊が、一斉に爆発的なエネルギーを解放する。
――ドンドン、ドンドン!!
最初に聞こえたのは、太鼓の音ではない。
肉だ。
分厚い胸板を、拳で激しく叩く音。
分厚い皮膚と、その下にある強靭な筋肉、そして肺に溜め込まれた空気が共鳴し、バスドラムのような重低音を生み出している。
ドンドン、ドンドン!
それは心臓の鼓動の拡張だ。己の生きている証を、敵に、そして世界に誇示するための原初のビート。
――ガシャン! ガンッ! ジャララッ!
続いて、鉄と鉄が噛み合う音が重なる。
斧で盾を叩く音。剣を打ち鳴らす音。足につけた鎖が砂を噛む音。
洗練された楽器の音色ではない。
不協和音だ。
だが、その濁った金属音には「嘘」がない。
これから血を流し、骨を砕く覚悟を決めた者たちだけが出せる、冷徹で、それでいて灼熱の響き。
そして、それら全ての音を飲み込むように、咆哮が上がる。
『ウガアアアアアアアアアアッ!!!』
『ルオオオオオオオオオオッ!!!』
五十人の喉から放たれる、魂の絶叫。
言葉ではない。意味などいらない。
ただ「俺はここにいる」「俺は強い」「俺が勝つ」という、生存本能の塊が音波となって襲いかかってくる。
空気が震える。
観客席の床石がビリビリと痺れ、俺の岩の体の奥底、コアまでもが共振する。
怖いか? いや、違う。
これは「熱」だ。
俺の中にある、忘れかけていた闘争本能に火をつける、着火剤のような音。
かつて人間だった頃、スタジアムで聞いた応援の大歓声を思い出す。
あれも凄かった。だが、これはもっと直接的だ。
スポーツではない。殺し合いのバトルだ。
一歩間違えば死ぬかもしれない極限状態で、それでも彼らは笑い、叫び、自らを鼓舞している。
ドンドン、ガシャン、ウガアアアッ!
不規則に見えて、そこには不思議な一体感がある。
リズムが揃っていく。
誰も指揮などしていないのに、全員の「勝ちたい」という欲望の波長が重なり合い、巨大なうねりとなって天へと昇っていく。
それは野蛮なノイズではない。
生命賛歌だ。
泥と汗と血にまみれながら、それでも明日を掴み取ろうとする、生き物としての根源的な力強さ。
俺の岩の拳が、無意識に固く握りしめられる。
いい音だ。
小細工なしの、全力の音。
俺もまた、この熱狂の一部になりたいと、理性を超えた部分が叫んでいる気がした。
~♪
◇
鬨の声が最高潮に達した瞬間、戦士たちが一斉に激突した。
そこから先は、ただの乱戦だった。
砂煙が舞い、怒号と金属音が入り乱れる。
レムは静かに録音を停止したユッコを見た。
彼女は顔を紅潮させ、興奮冷めやらぬ様子でシェルレックを握りしめている。
「すっごい……! 耳がキーンってするけど、なんか体の底から力が湧いてくる音だよ!」
彼女はシェルレックを掲げ、ニカっと笑った。
「これは『オーク式・魂の決起集会』ってタイトルにしよう! 元気がない時に聞いたら、一発で目が覚めるエナジードリンクみたいな音源になるはず!」
『グォン(なるほど、いい例えだ)』
試合は一時間ほど続き、最後はオーガストの豪快なラリアットが決まって幕を閉じた。
勝者も敗者も、試合が終わればノーサイドだ。彼らは肩を組み、互いの健闘を称え合っている。
闘技場を去る際、オーガストが包帯だらけの体で二人を見送りに来てくれた。
「レム師匠! またいつでも来てくれ! 次こそは俺の拳で、その岩肌を砕いてみせるからな!」
オーガストはニカっと笑い、レムの背中をバシッと叩いた。
ガインッ、という硬い音が響く。
それは痛みを伴う挨拶だったが、そこには確かな友情と敬意が込められていた。
『グォ(お前も強かったぞ)』
レムがサムズアップを返すと、オークたちは野太い歓声を上げて彼らを見送った。
闘技場を背に、荒野を歩く二人。
風はまだ熱く、乾いている。だが、その熱さは不快なものではなかった。
「強さって、いろいろあるんだね」
ユッコが空を見上げながら呟く。
「相手を倒す強さもあれば、レムみたいに、誰かを守って耐える強さもある。……今日のレム、メチャントかっこよかったよ」
彼女は少しはにかみながら、レムの腕をギュッと抱きしめた。
レムは何も言わず、ただ前を見据えて歩き続けた。
その岩の胸の奥には、闘技場の熱気がまだ燻っている。
守るための強さ。それは、かつてライフセーバーだった彼が求め続け、そして今、この異形の体で体現しようとしているものだ。
二人の影が、荒野に長く伸びる。
次なる音を求めて、旅は続く。熱砂の彼方へと。




