第11話 龍神の釜と、爆炎の中華鍋
その都市は、巨大な龍の背中に抱かれていた。
比喩ではない。天を突く岩山に巻き付くように彫られた、全長数キロにも及ぶ巨大な石造りの龍。その胴体や鱗の隙間に張り付くように無数の建物が並び、常に白い湯気を噴き上げている。
食の都「龍都」。
大陸中からありとあらゆる食材が集まり、昼夜を問わず厨房の火が消えることのない、熱気と食欲の魔都である。
「ん~っ! いい匂い! 空気がもう美味しいよレム!」
街の正門をくぐった瞬間、エルフの少女ユッコが鼻をひくつかせて叫んだ。
彼女の言う通りだ。路地裏からは香辛料の刺激的な香りが、大通りからは肉が焼ける香ばしい煙が漂い、それらが混ざり合って暴力的なまでに胃袋を刺激してくる。
岩の巨人レムは、隣を歩く相棒の興奮ぶりを微笑ましく見下ろした。もっとも、彼には胃袋がないので空腹を感じることはないのだが、活気ある街の雰囲気は嫌いではなかった。
通りには様々な種族が行き交っている。中華鍋を振るう腕っぷしの太い龍人族、麺をすするドワーフ、そして観光客の人間たち。
どこからか聞こえる包丁のリズムと、油が爆ぜる音。ここは街全体がひとつの巨大な厨房のようだ。
「さてと、まずは名物の『龍包』でも食べに行こうか……って、あれ?」
意気揚々と歩き出したユッコが、急に足を止めて背中のポーチをごそごそと探り始めた。
その表情が、次第に焦りの色を帯びていく。
「な、ない……」
『グォ?(どうした、財布でも落としたか?)』
「違うの、シェルレックだよ! ストックが一本もない!」
ユッコが裏返したポーチからは、空っぽの埃だけが舞い落ちた。
シェルレックは一度録音すると上書きができない使い切りタイプだ。ここまでの旅で、珊瑚の産卵だの氷瀑の崩落だのと使いまくった結果、いつの間にか在庫が尽きていたらしい。
音を商売道具とする癒音ハンターにとって、録音機材がないのは致命的だ。
「やっちゃったぁ……。これじゃあ、どんなにいい音が鳴ってても録れないよぉ」
がっくりと肩を落とすユッコ。だが、すぐに何かに気づいたように顔を上げた。
「待って。ここって海に近いよね? もしかして、材料そのものを調達できるんじゃ?」
シェルレックの正体は、特殊な魔力処理を施した巻貝の殻だ。
加工済みの完成品を買うと高いが、原産地で貝を拾って加工屋に持ち込めば、格安で手に入るどころか、自分好みのスペックに仕上げることもできる。
特にこの龍都近海は、良質な巻貝の産地としても有名なのだ。
「よし、予定変更! レム、海へ行くよ! 狙うは超特大のシェルレック!」
食い気よりも商売っ気。ユッコの切り替えの早さは、もはや才能だった。
◇
龍都の裏手に広がる岩場は、激しい潮流がぶつかり合う荒々しい海だった。
波飛沫が舞う中、レムとユッコは岩場を歩いていた。
「うーん、小さいのばっかりだなぁ。もっとこう、ドーン!としたのが欲しいんだけど」
ユッコが波打ち際で貝殻を拾っては、不満げに海へ返している。
シェルレックは、貝のサイズが大きければ大きいほど、長時間かつ高音質での録音が可能になる。彼女が求めているのは、アルバム一枚分くらい録れそうな大物だ。
レムは海を見つめた。
かつて指揮者として、オーケストラ全体の音を聞き分けていた耳と感覚。それは岩の体になっても健在だ。
波の音には、様々な周波数が混じっている。
岩に砕ける高音。砂を洗う中音。そして、海底の地形や沈殿物に反響する重低音。
もし、この海の中に巨大な空洞を持つ貝が沈んでいるなら、そこから特有の反響音が聞こえるはずだ。
レムは静かに右手を上げた。
指揮棒を振るうように、空気を撫でる。
意識を集中させる。
波のノイズをカットし、深海からの響きだけを抽出する。
(……聞こえる。あっちだ)
レムの指先が、沖合にある岩礁の裏側をピタリと指し示した。
そこには、一際重く、深い水の揺らぎがある。
『グォッ!(こっちだ、ユッコ)』
「えっ、わかるの? さすがレム、頼りになるぅ!」
レムはザブザブと海に入り、ユッコを肩に乗せて岩礁へと向かった。
そして海中に手を突っ込み、岩の隙間に挟まっていた「それ」を引き抜いた。
ズズズズッ……。
現れたのは、大人の頭ほどもある巨大な巻貝だった。
表面は長い年月を経て虹色に輝き、ずっしりとした重みがある。
「で、でかっ! すごーい! これなら最高の音が録れるよ!」
ユッコが歓声を上げる。中身もまだ入っているようで、蓋がしっかりと閉じていた。
これを加工すれば、一級品の機材になるだろう。
二人は大漁の成果を抱え、意気揚々と街へ戻った。
◇
拾った貝を持ち込んだのは、下町にある一軒の料理店だった。
『炎龍楼』。
加工屋に聞くと、「中身を取り出すなら、あそこの親父に料理してもらうのが一番だ。綺麗に身を外してくれるし、殻も磨いてくれる」と言われたのだ。
暖簾をくぐると、熱気と共に「いらっしゃい!」という野太い声が飛んできた。
厨房に立っていたのは、赤い鱗を持つ巨漢の龍人族。頭にねじり鉢巻をし、丸太のような腕で中華鍋を振っている。
この店の主、ワン料理長だ。
「へぇ、こりゃ見事な『虹色巻き』だ。最近じゃ滅多にお目にかかれねぇ上物だぞ」
ワン料理長は、レムがカウンターに置いた巨大貝を見て目を細めた。
「こいつを食って、殻を加工したいってわけか。いいだろう。だがな、こいつの身は硬い。下ごしらえに力が要るんだ。そこの岩の旦那、手伝ってくれるかい?」
レムは無言で頷き、腕まくりをするジェスチャーを見せた。
ワン料理長がニヤリと笑う。
「話が早いな。よし、まずは香辛料の粉砕だ! 普通のすりこぎじゃ日が暮れちまう!」
渡されたのは、鋼鉄製の巨大な臼と、岩のように硬い乾燥スパイスの山。
レムは迷わず右の拳を振り上げた。
ゴッ! ガガッ! ゴリゴリゴリ!
ゴーレムの怪力による高速連打。硬いスパイスが瞬く間に微細な粉末へと変わっていく。
「おおっ! いい手際だ! 機械より早ぇ!」
厨房にリズムが生まれる。
レムが粉砕し、ワンが刻み、ユッコが皿を並べる。
言葉はなくとも、料理という共通の目的が三人を繋いでいく。レムにとって、これは音楽のセッションと同じだった。
やがて、巨大な貝の身は綺麗に取り出され、薄造りの刺し身と、肝の炒め物となってテーブルに並んだ。
メインディッシュはまだこれからだが、まずは前菜だ。
「いっただっきまーす!」
ユッコが箸を伸ばし、透き通るような貝の身を口に運ぶ。
コリッ、とした小気味よい音。
「ん~~~っ! 甘い! 歯ごたえ最高! 海のミルクが口の中で爆発してるぅ!」
彼女は頬を押さえて身悶えする。
そして、ふとレムの方を見た。
レムは食べられない。ただ、彼女が美味しそうに食べるのを静かに見守っているだけだ。
ユッコは少し考え、一番美味しそうな部位を箸で摘むと、レムの目の前に差し出した。
「はい、レム。あーん!」
レムは驚いて、少し後ずさる。俺は岩だぞ、と。
だが、ユッコは引かない。
「知ってるよ、食べられないのは。でもね、気持ちは分け合えるでしょ? ほら、口を開けて!」
彼女の真剣な瞳に負け、レムは観念して幻の口をあんぐりと開けるフリをした。
ユッコはそれを自分の口へ放り込む。
もぐもぐ、ごっくん。
彼女は目を閉じ、恍惚の表情を浮かべ、その味、香り、食感の全てを全身で表現してみせた。
美味しい、という感情の波動。
レムは不思議と、自分の胸のあたりが満たされるのを感じた。
味覚はない。だが、彼女の笑顔が最高の調味料となって、心を満腹にしてくれる。
レムは膨らんだ腹(岩)をさするように、満足げなポーズをとってみせた。
「ふふっ、ごちそうさまでした! さあ親父さん、次はいよいよメインだね!」
前菜を平らげたユッコの声に、ワン料理長が不敵に笑う。
彼は厨房の中央にある、巨大な黒鉄の中華鍋の前に立った。
火力を最大にする。
ボウッ! と赤い炎が立ち上り、天井を舐める。
「おうよ! この店一番の看板メニュー、『爆炎海鮮炒飯』のお出ましだ! 耳の穴かっぽじって、魂で聞きやがれ!」
油が鍋肌を滑り、白煙が上がる。
その圧倒的な熱量は、まさに龍の吐息。
ユッコが目を輝かせ、懐から加工を終えたばかりのシェルレックを取り出した。
「来た……これだよ! この熱気、この迫力! この音もらった! 私が録っぴ!」
録音開始のスイッチが押される。
レムは厨房の隅で腕を組み、その「演奏」の始まりを静かに見つめた。
◇
♪~龍都の厨房、鍋の呼吸
世界から雑音が消え、俺の意識は炎と鉄が支配する聖域へと引きずり込まれる。
――ボッ、ゴオオオオォォォ……!
まずは炎の独唱だ。
バーナーから噴き出す青白い炎が、鍋底を舐め尽くし、酸素を貪り食う音。
それは破壊的なまでに暴力的で、それでいて生命力に満ち溢れた轟音。
鍋肌の温度は数百度。鉄が熱を帯び、膨張し、微かに悲鳴を上げている。
そこへ、油が投入される。
――チュァァァン!
液体と高熱の衝突音。一瞬の静寂のあと、食材たちが踊り場へ投げ込まれる。
――ジャァァァァァァッ!!
爆発だ。
野菜の水分、海鮮の旨味、米のデンプン。それら全てが瞬時に加熱され、内包していたエネルギーを一気に解放する。
重厚で、分厚いノイズの壁が鼓膜を叩く。
だが、それは決して不快ではない。
雨音にも似ているが、もっと乾いていて、攻撃的だ。食欲という本能を直接揺さぶる、黄金色の雨音。
そこへ指揮者のリズムが加わる。
――カン! カカン! ガン!
鉄のお玉が鍋肌を叩く、硬質な金属音。
重たい中華鍋を振り上げるたびに、米粒たちが空中で黄金のアーチを描く。
パラパラ、サラサラ……。
着地した米たちが再び鍋肌で跳ね、また空へと舞い上がる。
カン、カカン、ジャァァッ!
カン、カカン、ボゥッ!
鍋を振る音と、炎が爆ぜる音。
二つのリズムが完璧に同期している。
これは格闘技だ。
鉄と炎と、男の腕力がぶつかり合う、命のパーカッション。
海老が赤く染まりながら歓喜の声を上げ、ネギが焦げながら香ばしいアリアを歌う。
全ての食材が、この灼熱の舞台で、その命の最後の輝きを放っている。
「鍋の呼吸」。
高温の鍋だけが生み出せる、独特の焦げた香りと風味。
音を聞いているだけなのに、なぜか匂いまで漂ってくるようだ。
喉が鳴る。血が騒ぐ。
生きるということは、食べること。
食べることは、命を燃やすこと。
この音には、迷いも悩みもない。
ただひたすらに、「美味いものを食わせてやる」という、作り手の熱い魂だけが響いている。
――カンッ! ジャッ!
最後のひと振り。
全ての具材が空中で一つになり、皿の上へと着地する。
フィナーレだ。
立ち上る湯気の中に、俺は確かに見た。
炎の龍が、満足げに天へと昇っていく姿を。
~♪
◇
録音停止のスイッチを押したユッコは、しばらくの間、放心したように湯気の向こうを見つめていた。
やがて、我に返ったように深呼吸をする。
「……すごい。熱気が、音から溢れてきそう」
出来上がったばかりの黄金色の山。その頂点には、先ほどの貝の身がゴロゴロと散りばめられている。
ワン料理長が、汗を拭いながらニカっと笑った。
「へいお待ち! 冷めねぇうちに食いな!」
「うん! ありがとーっ!」
ユッコはスプーンを手に取り、一心不乱に炒飯を頬張り始めた。
言葉はいらない。ハフハフと息を吐きながら、スプーンを動かす手が止まらない様子が、何よりの称賛だった。
ふと、皿の底が見え始めた頃、カチン、とスプーンが硬いものに当たった。
炒められた貝の身の中に、何か白くないものが混じっている。
「ん? なんだろ、これ……石?」
ユッコが摘み上げたのは、小指の先ほどの小さな球体だった。
油にまみれてはいるが、拭き取ると、それは驚くべき輝きを放ち始めた。
ただの白ではない。
見る角度によって、赤、青、緑、紫と、複雑に色を変える虹色の光沢。
「き、綺麗……。真珠?」
ワン料理長がそれを覗き込み、あんぐりと口を開けた。
「おいおい、嘘だろ……。そいつぁ『虹色巻き』の中でも、一千年生きたヌシからしか取れねぇっていう幻の秘宝、『千年歌姫の真珠』じゃねぇか!」
「ええっ!? そんなすごいものなの!?」
千年歌姫の真珠。
それは伝説のおとぎ話に出てくるアイテムだ。千年の時を生きた貝が、海の全ての音と記憶を層にして閉じ込めた結晶。
通常の真珠とは違い、強大な魔力を秘めているという。
レムはハッとした。
あの時、海の中で感じた異様に重い「低音」。あれは、この真珠が発していた千年の重みだったのかもしれない。
ただの大きい貝だと思って拾ったものが、まさか伝説級のアイテムだったとは。
「姉ちゃん、あんたツイてるぜ。そいつは金貨の山よりも価値がある。大事にしな」
ワン料理長に言われ、ユッコは恐る恐る真珠をハンカチに包み、大切に懐へしまった。
「なんか、食べるつもりで拾ったのに、とんでもないおまけが付いてきちゃったね……」
ユッコは照れ笑いを浮かべ、満腹のお腹をさすった。
レムもまた、彼女の笑顔と、心地よい厨房の熱気に包まれながら、静かにサムズアップを送った。
この時の二人はまだ知らない。
偶然手に入れたこの小さな真珠が、やがて二人の運命を大きく左右する「帰還への鍵」になることを。
そして、この龍都での出会いが、世界の深淵へと続く扉の前に彼らを立たせていることを。
だが今はただ、美味しい料理と、最高の音があればそれでいい。
龍神の街の夜は、爆炎と笑い声と共に更けていくのだった。




