第99話 星の門、最後の夜行
カイとハルが辿り着いたのは、空に浮かぶ巨大な“星の門”。
その先へ進むことで、旅は終わりを迎える――
だが最後の夜、風が二人に“もう一度だけ振り返れ”と告げていた。
夜の風は静かに、そして深く流れていた。
昼間の光に満ちた“始まりの街”は、今や淡い群青色に染まり、遠くの灯りが星のように瞬いている。
カイとハルは街の外れに立っていた。
そこから続く白い石畳の坂道は、まるで空のどこかへ向かうように伸びており、その先に――巨大な光の輪が浮かんでいた。
「……あれが、星の門?」
ハルが呟く。
声は少し震えていたが、瞳はまっすぐに輝いている。
「うん。列車が最後に通る場所だって、聞いたことがある」
カイはそっと息を吸い、胸の奥の鼓動を確かめた。
胸にぶら下げた銀の懐中時計は、静かに針を刻み続けている。
何度見ても、あの“時刻なき鉄道”とは違う――自分自身の時間だ。
星の門は、まるで天の川から切り取った光の輪のようだった。
濃密な星粒が無数に渦巻き、中心では白い霧がゆっくりと流れている。
それは門なのに、鏡にも見える。
未来と過去が混じり合う境界線というより、“選択そのもの”の姿のようでもあった。
坂道を踏みしめながら二人はゆっくり進んだ。
風が吹くたびに、小さな光の粒が舞い上がる。
それは祈りの花から生まれた粒子なのか、あるいは夜空から降ってきたものなのか――その境目さえ曖昧になっていた。
「カイ」
ハルが立ち止まった。
星の門まであとわずか。けれど、その足取りには迷いがどこか残っている。
「僕……この先へ行くのが、少しだけ怖い」
カイは静かに頷いた。
「わかるよ。僕もそうだった」
懐かしい感覚が胸を刺した。
ユウを失ったあの日、自分は“眠り町”へ逃げるように向かった。
だから今、ハルが抱いている迷いが痛いほどわかる。
「でもね、ハル」
カイは続けた。
「怖いって気持ちは、進むためにあるんだ。
自分が何かを大事に思っている証拠だから」
ハルは目を瞬き、ゆっくりと息を吐いた。
「大事に……か」
小さな声だった。
しかし少しして、少年は笑顔を見せた。
それはどこかユウに似た笑顔だった。
「……僕にも、大事なものができたよ、カイ」
「それは?」
「君と、そしてこの街で見つけた全部」
その言葉に、夜の風が柔らかく揺れた。
二人は再び歩き出した。
門の近くになるほど、空気が軽くなる。
肌に触れる風さえ少し温かい。
それは昼の残光が混じっているからではない。
星の門そのものが“光の呼吸”をしているからだ。
ひとつの影が門の前に立っていた。
白いスカーフをなびかせた少女――“渡し守”だ。
「来ましたね」
少女は微笑んだ。
その微笑みには懐かしさと誇らしさ、そして少しの別れの色が混ざっていた。
「君がここにいるということは……」
カイが言うと、少女は頷いた。
「はい。星の門は、誰にでも開くわけではありません。
“夜を越え、朝を選んだ者”だけが進める場所です」
ハルが門を見上げる。
輪の中心には無数の光が渦を巻いており、その奥に何かの風景が少しずつ浮かんでいる。
街並みのようにも見えるし、列車のレールにも見える。
あるいは――誰かの記憶の中身かもしれない。
「越えたら、どうなるんですか?」
ハルの問いに、少女はそっと目を細めた。
「それはあなたたち次第。
過去へ戻る人もいる。
未来に進む人もいる。
そして……ただ“会いたい人”に、もう一度だけ会える者もいます」
その言葉に、カイの胸が揺れた。
ユウの笑顔がちらつく。
風が頬を撫で、懐中時計が僅かに震えた。
――トクン。
「行けよ、カイ」
あの声が重なる。
「……ハル、一緒に行こう」
カイが言うと、ハルは迷いなく頷いた。
二人は星の門へ歩みを進めた。
足元の光が反応し、まるでレールのような道を描き始める。
“時刻なき鉄道”の景色が重なる。
夜の川原に降りてきたあの列車の記憶が淡く蘇る。
門の中心に手を伸ばすと、指先が温かい光の層に触れた。
まるで水の膜のような柔らかさ。
しかし、確かな境界線でもある。
カイは最後に振り返った。
始まりの街の灯りが遠く、小さく揺れている。
広場の時計塔が、静かに深い夜を照らしていた。
そしてカイは気づいた。
――この瞬間こそが“最後の夜行”だと。
「行こう、ハル」
「うん!」
二人は光の膜を越えた。
夜空が反転し、星々が音を奏でる。
風が一瞬止まり、次に大きく吹き抜ける。
透明な汽笛の音が響き、彼らの姿を光の中に運んでいった。
星の門が静かに閉じる。
その中心には――新しい夜明けの色が灯っていた。
星の門を越えたカイとハル。
それは別れではなく、旅が“次の形”へ進むための扉だった。
最後の夜行は、静かに――新たな夜明けへ動き出す。




