第98話 星影の広場、風の便り
夜を知らない“始まりの街”にも、ひそやかな影は訪れる。
星の光が降る広場で、カイは風が運ぶ“もう一つの知らせ”を受け取る。
夕暮れの色が街を包んでいた。
“始まりの街”には夜が来ない――そう聞かされていたが、街の端にある古い広場は、わずかに薄い影を宿す。
日が低くなると、石畳が紫色に染まりはじめ、噴水の縁には星の気配が落ちるのだ。
カイはその広場の中央に立っていた。
手には、懐中時計。
“時刻なき鉄道”の紋章が刻まれたその銀色は、夕空の光を受けて淡く輝いていた。
「……針、今日は少し進むのが早い気がするな」
時間が生きもののように、彼のリズムで鼓動しているのが分かる。
始まりの街に来てから、カイはずっと「歩く時間」を覚えた。
焦らず、引きずらず、ただ目の前の道を大切に進むように。
風が吹く。
噴水の水面が揺れ、光が跳ねた。
その瞬間――石畳の上に、小さな白い紙がふわりと落ちた。
「……手紙?」
拾い上げると、それは折られた一枚の便箋だった。
封筒には入っておらず、風にのって旅をしてきたようだった。
胸が少しだけ高鳴る。
ユウのことを思った。
風の道を越えたあの日、自分が託した手紙が誰かに届いたように、今度は誰かが自分に届けてくれたのだろうか。
便箋を開くと、整った文字が記されていた。
**《カイさんへ
あなたのこと、街でいろいろ聞きました。
“夜を越えた旅人さん”だと。
あなたがこの街に来てから、風の流れが変わったと。
わたしは、あなたより少し前にこの街に着きました。
でも、まだ自分の“時刻”が見つかっていません。
もしよかったら、明日の朝、風見塔の下でお会いできませんか?
わたしはずっと誰かを探しているのです。
その答えが、あなたの旅の中にある気がして。
――リツ》**
「……リツ?」
聞き覚えのない名だった。
けれど手紙の文面には、不思議と懐かしさがあった。
探している“誰か”――そう書いてあったが、その気配は、どこかで触れたことがあるように感じられる。
「僕と同じ、旅人……なのかな」
カイは便箋を折り、胸のポケットにしまった。
気づけば、懐中時計の針がひときわ大きく震えたように見えた。
広場の噴水では、白い花が一輪浮かび上がっていた。
祈りの花。
誰かの想いが流れ着いた証だ。
カイはそっと手を伸ばし、花を掬い上げた。
花弁は冷たく、けれど心地よい光を放っている。
胸の奥に静かな感情が満ちる。
「明日の朝、風見塔……か」
風見塔は、街の中でも一番高い場所に立つ古塔。
そこから見える景色は、旅人たちが“次の道”へ出るための指標だと聞いたことがある。
手紙の内容を思い返す。
リツという少女――いや、文字だけでは年齢も分からない。
けれど“探している”という言葉には、痛みではなく、希望が込められていた。
カイは噴水の縁に腰を掛けた。
空に浮かぶ星の気配を見上げる。
夜は来ない街でも、星はいつも少しだけ浮かんでいるという。
それは、旅人たちの祈りを映す鏡だからだ。
「僕が……誰かの答えになれるのかな」
そう呟いた瞬間、風がまたそっと吹いた。
懐中時計の針が、カチリとひとつ音を刻む。
――それは、進むための合図だった。
カイは立ち上がった。
風が白い花を揺らし、噴水の水面に星が揺れた。
明日の朝。
風見塔の下で。
新しい“旅路の鍵”が待っている。
それは、ユウと歩いた夜の終わりから続く、
カイが自分の“時”で切り開く次の物語のはじまりだった。
風が運んできた手紙は、次の旅人の影を連れてきた。
“リツ”という名が示すものは、カイの新しい時刻の扉。
朝の風見塔で、物語は静かに動き出す――。




