第97話 風灯りの宿、夜明け前の約束
長い旅路の果て、カイとハルは「風灯りの宿」へ辿り着く。
そこで聞こえたのは、列車の遠い呼び声。
夜明け前、ふたりは新たな約束を交わす。
街道を歩き続けたふたりは、やがて丘のふもとに建つ宿へと辿り着いた。
“風灯りの宿”――木造の建物で、屋根には小さな風車がいくつも並んでいる。
風が吹くたびに、それらがカラカラと静かに音を奏でる。
まるで、この宿そのものがひとつの楽器であるかのようだ。
「ここが……」
ハルが目を輝かせる。
「うん。地図はなかったけど、風に導かれた気がする」
カイは笑って答えた。
ふたりが扉を押すと、小さなベルがチリンと鳴った。
中には、あたたかい灯りがともり、木の香りが漂っていた。
奥から、丸背の女将が現れた。
「いらっしゃい。旅のおふたりさんでしょう?」
カイもハルも頷いた。
「ここは、旅の“節目”に立ち寄る人が多いんですよ。
あなたたちにも、きっと必要な時間になるわ」
案内されたのは、窓辺に並んだ二つのベッドの部屋だった。
外には草原が広がり、空には星が瞬いている。
風車の影が壁にうつり、ゆらゆらと揺れていた。
夜が深まり、ふたりは窓を開けた。
すると、風がひとしきり吹き込み、遠いどこかで汽笛のような音がした。
カイは息を呑んだ。
「……聞こえた?」
「うん。列車の音?」
ハルの声がかすかに震えていた。
カイは静かに頷いた。
「“時刻なき鉄道”だ。夜明けの前の時間帯にだけ、この世界に声を落としていく」
「呼んでるのかな……僕らを」
「たぶんね。でも、今すぐ乗る必要はないよ。
僕たちには、まだ歩く時間がある」
ハルは窓から夜空を見上げた。
星のひとつが流れ、草原に淡い光を落とした。
「ねえ、カイ」
「うん?」
「もし……もし僕がまた迷ったら、そのときは一緒に探してくれる?」
カイは笑った。
「もちろんだよ。僕だって迷うかもしれないし、そのときは君が引っ張ってくれ」
「うん!」
静かな夜風が部屋を包み、ランプの灯りが小さく揺れた。
ふたりはベッドに腰を下ろし、風の音を聴きながら話を続けた。
途中、ハルがふと黙る。
窓の外を見るその目は、どこか遠くを見ていた。
「……ユウって、どんな人だったの?」
カイの胸に、懐かしい響きが灯る。
「優しくて、へたくそな嘘つきで、よく笑うやつだった」
「へたくそな嘘つき?」
「そう。強がりばかり言ってた。
でも、本当は僕よりずっと弱くて……
それでも誰よりも、僕を生かそうとしてくれた」
ハルは静かに目を伏せ、そして微笑んだ。
「なんか……会ってみたかったな」
「きっと、会えてるよ」
「え?」
「君の中に、ユウの光はちゃんと息づいてる。
手紙が君に届いたのが、その証拠だよ」
ハルの目が大きく開く。
しばらくして、ゆっくりと笑った。
「じゃあ……僕、ちゃんと受け継げてるのかな」
「うん。十分すぎるくらいに」
ふたりはしばらく沈黙し、風の音に耳を傾けた。
宿の外で風車が回り、草花がさざめいている。
遠くの空で、もう一度だけ汽笛が鳴った。
さっきより近く、けれど優しい音だった。
「カイ」
「うん?」
「いつか――あの列車に乗ろうよ。
一緒に」
カイは少しだけ驚いたが、すぐに笑った。
「……ああ。約束する。
そのときは、夜じゃなくて、朝の列車に乗ろう」
「うん!」
窓の外に、わずかな薄明かりが見えた。
夜明けが近い。
ふたりの影が長く伸び、ひとつに重なる。
カイは目を閉じ、胸の奥にそっと手を置いた。
鼓動が静かに響く。
“いま”という時刻が、確かに刻まれている。
――風よ、伝えてくれ。
この約束が、次の旅を照らすように。
ランプの火がゆらぎ、夜がゆっくりとほどけていく。
ふたりの眠りを包むように、風灯りの宿は静かに息づいていた。
夜明け前、ふたりは新しい約束を交わした。
それは列車でも夢でもない、“生きる”という旅そのものへの誓い。
光が近づき、物語は次の章へ歩き出す。




