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夜の川原に降りてくる列車  作者: たむ


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第91話 夜の川原、ふたりで見る列車

冬の夜、カイは久しぶりに現実の「夜の川原」へ向かう。

隣を歩くのは、新しい友ハル。

かつて一人きりで待っていた列車を、今度は「ふたり」で見る夜が始まる。

 川原に近づくにつれて、空気が一段と冷たくなっていった。

 吐く息は白く、街灯の光が遠くでぼんやりとにじんでいる。

 アスファルトの道が砂利道に変わると、足音の響きも少し軽くなった。


 「寒いね」

 隣で歩くハルが、首元のマフラーをぎゅっと握りしめる。

 カイは笑って、自分のマフラーの端をつまんだ。

 「……冬の川は、冷たいほうがいいんだよ」

 「それ、どこかで聞いたことあるセリフですね」

 ハルがくすっと笑う。

 カイ自身も、思わず苦笑した。


 ――生きてるって感じがするからさ。


 あの冬の病室でユウが言った言葉は、もう胸の奥で鋭い棘ではない。

 今は、冷たい空気の中で静かに灯る、小さな灯火のような記憶になっている。


 「ねえ、本当にあるんですか? “列車が降りてくる川原”なんて」

 ハルが、少しだけ上目遣いでカイを見る。

 どこか不安そうで、でもどこか楽しみにしている顔。


 「あるよ。……少なくとも、僕には“あった”。

  ここで、夜の空から列車が降りてきて、僕はそのまま乗り込んだんだ」

 「夢とか、比喩とかじゃなくて?」

 「夢かもしれないし、そうじゃないかもしれない。

  でもあの旅がなかったら、僕は今ここにいない」


 ハルは「ふうん」と小さく息を吐き、足元の石をつま先で蹴った。

 その仕草は、どこか昔の自分に似ていた。


 川原に着く。

 街の明かりから少し離れた場所。

 水音だけが、かすかなリズムを刻んでいる。

 川面には、街の光と星の光が混ざり合って揺れていた。


 「ここ……思ってたより、普通ですね」

 ハルがそう言う。

 カイは頷いた。

 「最初に来たときも、ただの川原にしか見えなかったよ。

  でも、ある夜、ここに“時刻のない列車”が降りてきた」


 ふと、胸ポケットの重みが気になった。

 手を差し入れると、そこには銀色の懐中時計がある。

 “始まりの街”で渡し守の少女から受け取った、自分専用の時計。

 今も静かに、確かな「今」を刻んでいた。


 カイはそれを取り出し、夜空にかざした。

 針は、ゆっくりと動き続けている。

 ハルが興味深そうに覗き込んだ。


 「それ、いつも持ち歩いてるんですね」

「うん。これは、向こうの世界から“持ち帰ってきた証”みたいなものだから」

 「向こうの世界……“始まりの街”?」

 「そう。列車を降りたあとで着いた街。

  時計はちゃんと動いてるのに、誰も急いでない不思議な場所」


 ハルは少し黙り込んだ。

 やがて、ぽつりと言った。


 「……ぼくも、行けるかな、そこ」


 風が吹き、二人のマフラーを揺らした。

 カイは懐中時計を握り直し、ゆっくりと答える。


 「もしかしたら、もう心のどこかで行ってるのかもしれないよ。

  風に手紙を預けたって、言ってたよね。あの白い封筒」


 ハルの目が少し丸くなる。

 そう、あの午後。

 カイから受け取った“ユウ宛ての手紙”は、ハルの心の中で別の物語へと変わっていった。

 病院の窓から見た空へ、彼は自分の言葉を乗せて風に放ったのだ。


 「……列車はさ、“逃げるため”にも、“連れて行くため”にも来ない。

  きっと、“気づかせるため”にだけ来るんだと思う」


 ハルは足元の砂利をぎゅっと踏みしめて、川のほうを見つめた。

 頬は少し青白いが、その目だけは静かに強い光を宿している。


 「ねえ、カイさん」

 「うん」

 「ぼく、正直に言うと、ちょっと怖いんです。

  病気のことも、これからのことも。

  でも……逃げるためにここに来たくはないって思って」


 その言葉に、胸が痛くなる。

 かつての自分は、まさに“逃げるため”にこの川原に立っていたからだ。

 眠りたい。何もかも忘れてしまいたい。

 そう願って夜の川原に降りてきた列車に、そのまま身を任せた。


 「ハル」

 カイは空を見上げた。

 星の間を、薄い雲がゆっくりと流れている。


 「もし列車が来ても、今度は僕、乗らない。

  ここで、君と一緒に“見送る”。

  僕たちが乗らない列車が、それでも空を走ってるってことを、ちゃんと見ていたい」


 そう言った瞬間だった。


 川の向こうに、白い霧がすっと立ちのぼった。

 風は吹いていないのに、霧だけが夜空に向かって伸びていく。

 川面の星の光が一列に並び、その上を何かが走った。


 「……聞こえますか?」

 ハルが、小さな声で言った。


 耳を澄ます。

 遠くで、懐かしい音がした。


 ――シュウウウ……カタン、カタン……。


 線路を走るような、だが現実にはありえない方向から響く音。

 空の上。

 まだ誰も時刻をつけていない、あの高さから。


 やがて、夜空の一角が白く裂ける。

 星明かりよりも淡く、街灯よりも冷たい、銀色の光。

 その中を、あの列車が走っていた。


 “時刻なき鉄道”。


 最初に見たときと同じ外観なのに、今はどこか違って見えた。

 車窓はまぶしく光り、中の様子は見えない。

 けれど、そこに誰かが座っている気配だけは伝わってくる。

 眠りたい人、泣きたい人、忘れたくない人。

 いくつもの祈りが、夜の車両を満たしている。


 ハルが、ぎゅっとカイの袖をつかんだ。

 「すごい……本当に、空を走ってる」

 「見えるんだね」

 「ええ。たぶん、カイさんと一緒だからです」


 列車は、川原の上で一瞬だけ速度を緩めた。

 前回はここに“停車”した。

 あのときの自分は、招かれるままに乗り込んだ。

 けれど今回は――


 「止まらない……」

 ハルが呟く。

 その声には、安堵と名残惜しさが入り混じっていた。


 列車は、ほんの少しだけ窓の光を強めると、速度を上げた。

 銀色の尾をひきながら、夜空の奥へと走り去っていく。

 その軌跡が、星座のようにしばらく空に残っていた。


 「今の……」

 ハルが言葉を探すように口を開く。

 「なんだか、“行かなくていい”って言われた気がしました」


 カイは頷いた。

 胸の奥で、懐中時計の鼓動と自分の心臓の音が重なっている。


 「たぶん、そうだよ。

  今、あの列車に乗る必要はないって。

  ここにも、歩ける道があるって」


 ふたりの足元には、川べりの細い道が延びている。

 街のほうへ戻る道。

 病院へ、家へ、明日へと続く現実の道。


 「ねえ、カイさん」

 「うん」

 「ぼく、ちゃんと治療、続けます。

  怖いけど、やっぱりまだ、見たいものがあるから」


 ハルは少し笑って、川の流れを見つめた。

 「この川の朝も、もう一回、見てみたい。

  それに――“始まりの街”ってやつも、いつか自分の足で行ってみたい」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが静かにほどけた。

 ユウを失ったとき、カイは「もう二度と誰かを救えない」と思っていた。

 自分にはそんな力はない、と。

 けれど今、ハルの口から出てくる「生きたい」という言葉は、

 確かにここにある“現在”で、彼と共有している願いだった。


 「じゃあ、約束しようか」

 カイは空を指さした。

 列車の軌跡は、もうほとんど消えかけている。

 それでも、そこに“道”があったことだけは分かる。


 「いつかまた、この川原で。

  今度は“朝”に、ふたりで来よう。

  その時にはさ――夜の列車じゃなくて、

  朝の光だけを、飽きるまで見ていよう」


 ハルは目を細めて笑った。

 「いいですね、それ。

  朝の川原で、パンでもかじりながら話しましょう」

 「パンはやっぱり、あの街のカフェのやつがいいな」

 「ぼくも一度行ってみたいです、“Morning Moon Café”」


 そう言って笑うハルの顔は、もう「誰かの影」ではなかった。

 ユウと似ている部分は確かにある。

 でも、彼は彼自身だ。

 生きて、迷って、怖がって、それでも前に進もうとしているひとりの少年だ。


 川面を、冷たい風が撫でていく。

 星々の光が波に砕け、小さな火花のようにきらめいた。


 カイは懐中時計をそっと閉じた。

 時刻は、現実世界の夜の中の、とるに足らない一瞬。

 それでも、その「一瞬」が確かに彼らの胸に刻まれていく。


 「帰ろうか」

 カイが言うと、ハルは力強く頷いた。

 ふたりは並んで歩き出す。


 その背中を、もう列車は迎えに来ない。

 今度は列車のほうが、遠い空からそっと彼らを見送っているのだ。


 ――“時刻なき鉄道”は、

  一度乗った者の心の中で、

  いつまでも見えないレールを走り続ける。


 冷たい冬の夜の川原。

 そこを歩く二つの影は、やがて街灯の光の中へと溶けていった。

かつて「逃げるための駅」だった夜の川原は、

今、カイとハルにとって「生きると決める場所」に変わった。

降りてくる列車を見送ることで、ふたりは自分たちの足で続く道を選び始める。

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