第87話 星見丘のふたり、風の書庫へ
星見丘から街へ戻る途中、カイとハルの前に現れたのは、
風に守られた古い“書庫”。
そこには時の旅人だけが読める本が眠っていた――。
夕暮れの丘を降りるとき、カイとハルの背中を穏やかな風が押していた。
空は薄紫、遠くの雲は金色に染まり、街へ続く道は柔らかく光っている。
「カイさん、あそこ……光ってる!」
ハルが指さした先に、小さな建物があった。
蔦に覆われた石造りの小屋。
窓は割れているのに、内部から淡い灯りがこぼれている。
「街の外れに、こんな場所が……?」
カイが呟くと、風がそっと足元を吹き抜けた。
まるで“行ってみろ”と言うように。
二人は近づいた。
扉には古い文字でこう刻まれていた。
《風の書庫 ──時を越える者、ここに入る》
「書庫……?」
「旅人専用なのかな」
扉を押すと、ふわりと風が舞い上がった。
内部には無数の本棚が並び、天井まで届く本がびっしりと積まれている。
だが、どの本も埃ひとつない。
まるで風が掃除しているかのように、空気が澄んでいた。
「ここ、すごい……」
ハルは目を輝かせながら本棚の間を走り回った。
カイも周囲を見渡しながら、ある本棚に近づいた。
背表紙のない本が、一冊だけ浮かび上がるようにして目に留まった。
指先を触れると、柔らかな光を放ち、勝手にページが開いた。
そこには、走り書きのような文字が並んでいた。
――《夜の川原に降りてくる列車を見た。
あれに乗って、誰かに会いに行こうと思う》
「……これ、僕だ」
カイの声が震えた。
ページをめくると、ユウのこと、追憶の原、白い樹、黎明……
自分がたどってきた記憶が、物語としてそこに記されていた。
「カイさん!これ見て!」
ハルが別の棚から一冊の本を抱えてきた。
表紙には《ハルの日記》と書かれている。
「僕……こんなの書いた覚えないのに」
ページを開くと、そこには彼の“これから”が書かれていた。
――《いつか大切なひとと旅に出る。
風がくれた手紙を胸に、光の道を歩く》
カイは静かに言った。
「この書庫は――未来と過去が交わる場所なんだな。
僕らの旅の続きも、ここに記録されていくんだ」
ハルはページを見つめながら、小さな声で呟いた。
「この“大切なひと”って……カイさん?」
カイは少し照れたように笑い、ハルの頭を撫でた。
「かもな。でも君が決めるんだ。
僕じゃなくてもいい。
君が誰かと出会う旅をするとき、その相手が“大切なひと”なんだよ」
ハルは目を丸くしたが、すぐに笑顔になった。
「じゃあ、今はカイさんでいいよ」
書庫の天井から、光の粒が舞い降りてきた。
まるで誰かが祝福しているように暖かい。
そのとき、入り口で風が強く吹いた。
扉の上の風鈴が鳴る。
チリン……チリリン……
カイとハルが振り向いた瞬間、
本棚の奥からひとつの“影”がゆっくり近づいてきた。
影は小さく、最初は子供のように見えた。
だが光が当たると、その姿がはっきりした。
――白い外套をまとい、星のような瞳をした少女。
「あなたたちが来るのを待っていました」
風のような声だった。
「私は“書庫の守り手”。
あなたたちの物語は、まだ終わりではありません」
カイは息を呑んだ。
ハルは思わず後ろに隠れる。
少女は柔らかく微笑んだ。
「怖がらなくていいわ。
あなたたちには“読むべき未来”があるの」
彼女は二冊の本を差し出した。
一冊は白い表紙、もう一冊は青い表紙。
「白はカイ。青はハル。
“続き”はあなたたち自身が書くのです」
風が書庫を駆け抜け、ページが揺れた。
その一瞬、外の世界の色が変わるようにさえ感じられた。
「行きましょう」
少女は扉の外へと手を差し出した。
「あなたたちの旅は、ここから“新章”へ進むのです」
風の書庫で出会った“守り手”は、
カイとハルに新しい物語の扉を渡した。
彼らの旅は、過去でも夜でもなく――
未来へ進む章へ入ろうとしていた。




