第85話 星降る野に響く二つの鼓動
旅を続けるカイとハルは、夜明け前の野原で足を止めた。
星と風が交わるその場所で、二人の胸に“同じ音”が響き始める。
夜と朝の境目は、いつも静かだった。
風が止んだわけではない。
鳥が眠っているわけでもない。
ただ世界が、ひとつ息を吸い込むように気配を潜める――そんな時間だった。
カイは焚き火の前で膝を抱え、遠くの地平線を眺めていた。
星々はまだ瞬き、空はうっすらと青みを帯びている。
その青と黒が混じり合う“夜明け未満”の色は、カイにとって特別な時間だった。
ハルは寝袋の中で丸くなりながら、うっすらと目を開いた。
「……もう起きてるんですか?」
「うん。癖なんだ、こういう色の空だと。なんか……目が覚める」
「旅の癖ですね」
そう言ってハルは起き上がり、カイの隣に来た。
二人が歩き始めて、もう何日が経っただろう。
“始まりの街”を出たあと、彼らは地図も目的地もない旅を続けていた。
風の向くまま、光の降るまま、ただ歩く。
それがカイの選んだ新しい“時刻”だった。
「カイさん」
焚き火の赤い光に照らされながら、ハルが言った。
「昨日、夢を見たんです」
「夢?」
「はい。誰かが僕に言うんです。
“ここからは、お前の時刻だ”って」
カイは驚いたように顔を上げた。
その言葉は、かつて自分が渡し守の少女から受け取ったものに似ていた。
「……どんな声だった?」
「不思議と、懐かしい声でした。
あたたかくて、だけど少し寂しそうで……。
カイさんがユウさんの話をするたび、思い出す声に近い気もして」
ハルは胸に手を当てた。
「僕、生きてるって感じるんです。
カイさんと歩いてると、もっと強く」
カイは焚き火に手をかざしながら、静かに頷いた。
「……僕もだよ、ハル。
誰かと歩くって、こんなに心が軽くなるものなんだな。
ユウと歩いてたときも、たぶんこんな感じだった」
火がパチリと弾けた。
風が草原をなで、小さな光の粒が舞った。
夜露を含んだ草の葉が星の光を反射する。
まるで、大地そのものが星を宿しているようだった。
「カイさん」
「うん?」
「僕、ひとつお願いがあるんです」
ハルは夜空を見上げたまま言った。
「この先に何があるかわからなくても、
僕……カイさんと一緒に旅をしたい。
どんな朝でも、どんな夜でも」
カイはしばらく黙っていた。
胸の奥に、暖かい光がじわりと広がっていく。
二人分の影が焚き火に揺れ、その影はゆっくりと重なった。
「当たり前だよ、ハル」
カイは柔らかく笑った。
「僕も、お前と歩きたい。
“時刻なき鉄道”はもう走ってないけど……
僕らの足が、僕らのレールだろ?」
ハルは驚いたように目を見開き、そしてふっと笑った。
その笑顔は、かつてカイが愛した友の笑顔に似ていた。
けれどハルはハルだった。
ユウの代わりではなく、ユウの想いを受け継ぐ“新しい命”だった。
夜風が二人の間を通り抜けると、草原の向こうから柔らかな音が聞こえた。
遠くで風車が回る音か、あるいは……列車の音に似ている気もした。
「カイさん、今の音……」
「うん。たぶん、風のいたずらだよ」
そう言いながら、カイはそっと空を見上げた。
空には、星が一つだけ強く輝いていた。
その輝きは、まるで“見守る誰か”のように温かかった。
ハルが小さく呟く。
「僕ら、どこまで行けるんでしょう」
「どこまでも行けるさ。
“時刻”を決めるのは……僕ら自身だ」
二人の胸に、同じ鼓動が響いていた。
トクン、トクン――それはまるで、同じレールの上を走る心の音だった。
東の空がうっすらと明るむ。
草原が色を変え、世界が再び息を吹き返し始める。
二人は立ち上がり、荷物を背負った。
「じゃあ、行こうか、ハル」
「はい。今日の“時刻”を探しに」
朝の光が二人の背中を押した。
草原がゆれ、星の残像が消えていく。
しかし胸の鼓動だけは、消えずに残った。
まるでこれから歩く旅路を照らす灯火のように。
こうして、カイとハルは再び歩き始めた。
風を“背中の車掌”にしながら。
そして遠く、地平線の向こうで――
ほんの一瞬、“列車の影”が光の中に消えるのを、カイは確かに見た。
それは祝福の合図だった。
星の野で重なった二人の鼓動。
それは過去から未来へ受け継がれた“旅の灯火”だった。
カイとハルの旅は、ここからさらに深く続いていく。




