第81話 風灯の丘、夜明け前の祈り
カイとハルは、街の外れにある“風灯の丘”へ向かう。
そこでは夜明け前、風の中に祈りが灯るという。
二人は静かな闇の中で、それぞれの想いに向き合う。
風が静かになった深夜、街の灯がひとつ、またひとつと消えていく。
カイは肩に羽織った薄いマントを押さえながら、丘へと続く白い石段を登っていた。
その隣にはハルが歩いている。
眠気を押し殺しつつも、瞳はどこか期待に満ちていた。
「カイさん、風灯の丘って、本当に“祈りが見える”んですか?」
「見える、というより……“聞こえる”のかもしれない。
先に来た旅人たちが、そう言ってたよ」
「声が聞こえる……みたいな?」
「もっと静かなものだよ。
たぶん、胸の奥に触れるような……そんな音だと思う」
ハルは頷き、石段を踏みしめながら上を見上げた。
丘の頂上には小さな祈祷台があると聞いた。
そこから朝一番の風が吹き、亡き者への祈りや、まだ届かぬ想いが光となって空に昇る。
ハルが小さく息を吐いた。
「風に祈りが乗るなんて、ちょっと不思議ですね」
「不思議だけど……この街なら、きっと本当に起きるんだと思う」
街に来てから多くの“奇跡”を目にしてきた。
手紙を運ぶ風、影に宿る声、そして夜の列車。
どれも現実とは思えないのに、嘘ではないと分かる。
ここは――心が作る世界なのかもしれない。
しばらくして、ふたりは丘の頂に辿り着いた。
そこには風に磨かれた木の祈祷台があり、周囲には無数の白い風車が立っている。
風車はまだ動かず、夜明けを待つように静かに佇んでいた。
「きれい……」
ハルが呟き、祈祷台に近づいた。
祈祷台の中央にはガラスの皿が置かれ、そこに細い蝋燭が一本だけ立っている。
夜の闇の中で、蝋燭の炎が揺れ、橙の光を投げかけていた。
カイはその光を見つめながら、胸の奥に重く沈むものを感じた。
「ここに来ると……不思議と、いろんなことを思い出すんだ」
「ユウさんのことですか?」
ハルの問いに、カイはゆっくりと頷いた。
「そうだね。
あいつのことを思い出すたびに胸が痛くなった。
でも今は……あの痛みが、僕を生かしてくれている気がするんだ」
風がわずかに吹き、風車がコトン、と小さく揺れた。
夜明けにはまだ早いが、そんな予兆を感じさせた。
ハルは祈祷台に手を置き、蝋燭を見つめた。
その横顔は、ふだんの無邪気さよりもずっと大人びて見えた。
「カイさん……僕、ずっと聞けなかったことがあるんです」
「ん?」
ハルは唇を噛み、思い切ったように言った。
「僕って……ユウさんに似てますか?」
カイの心臓が一瞬止まるような感覚が走った。
その問いをしてほしくないと思っていた。
しかし同時に、それを避けてはいけないとも感じていた。
「似てるよ」
カイは正直に答えた。
「驚くほど、似てる」
ハルの表情が揺れた。
「やっぱり……そうなんですね」
「でも――」
カイは彼の肩に手を置いた。
「君はユウじゃない。
ユウに似ているから大事なんじゃない。
君自身だから、大事なんだ」
ハルはゆっくりと目を細めた。
その瞳に、夜の星が反射するように光が宿る。
「カイさんの言葉は……なんだか、風みたいですね」
「風?」
「はい。
痛いところにも、優しいところにもちゃんと吹いてくれる」
カイは笑った。
「それは褒め言葉でいいのかな」
「もちろんです!」
そんなやり取りをしていると、東の空が少しだけ色づき始めた。
青と黒の境界が淡い紫になり、雲が金に染まりかける。
すると突然、丘全体に風が吹き抜けた。
風車がいっせいに回り始め、光の粒が風に浮かび上がる。
ガラス皿の蝋燭の炎が揺れ、炎の芯が透明な光を放つ。
「はじまった……」
カイは息を呑んだ。
風が丘を包み、光の粒が舞い上がる。
粒はひとつひとつが“祈り”なのだろう。
誰かを想う気持ち、誰かを見送りたい願い、誰かを抱きしめた記憶。
すべてが風にのり、空に昇っていく。
カイも目を閉じた。
胸の奥に大切にしまってきた名前を、静かに風に預ける。
「ユウ……ありがとう」
そのとき、はっきりと聞こえた。
――「カイ」
風の中に、あの日の声があった。
もう涙は出なかった。
ただ、すべてが温かかった。
ハルが隣で目を開き、風に向かってつぶやいた。
「ありがとう……カイさんを守ってくれて」
東の空が明るくなり、最初の光が丘に差し込む。
風車たちがきらめき、光の粒が空の奥へ消えていった。
夜明け前の丘には、静かな祈りだけが残った。
風灯の丘で、カイとハルはそれぞれの想いを風に託した。
夜と朝のあいだで、祈りは光となり、二人の胸に新しい旅路の灯をともした。




