第75話 風の岬、ひとひらの灯
旅を続けるカイとハルは、風が渦巻く岬へとたどり着く。
そこには“ひとひらの灯”と呼ばれる不思議な光があった――。
海へせり出した岬は、昼でも薄い靄がかかっていた。
カイは風に押されながら歩き、ようやく頂上へたどり着いた。
背後ではハルが、両手を広げて楽しそうに風を受けている。
「カイさーん! すごい風だよ!」
「吹き飛ばされるなよ!」
声が風に乗って跳ね返る。
岬の先には、白く丸い灯台が立っていた。
不思議なことに、灯台は古そうなのに、その天辺では絶えず淡い光が回っている。
しかしその光は、普通の灯ではなかった。
昼の太陽に溶けるような、軽く漂うような、不思議な光。
「これが……“ひとひらの灯”か」
カイは呟いた。
始まりの街で、老人から聞いたことがある。
――風が強い日にだけ、灯台の光が“ひとひら”に分かれ、
迷える者のもとへふわりと届くのだという。
ハルが隣に来て、興味深そうに灯台を見上げた。
「なんだか、誰かが呼んでるみたいだね」
「呼んでる?」
「うん。あったかい声がするんだ。
“おいで”って……」
カイは胸がざわめいた。
彼もどこかで、その気配を感じていた。
風に混ざる懐かしい匂い、ほのかな呼びかけ――。
灯台の根元には、小さな扉があった。
古びているが、鍵は掛かっていない。
カイが押すと、風とともに扉は開いた。
二人は中に入った。
階段は狭く、足元がぎしぎし鳴る。
「気を付けろよ」
「大丈夫!」
ハルは軽い足取りで先に登っていく。
灯台の頂上は広い空間になっていた。
中央には、丸いレンズのような台座があり、
その内側で“灯”が小さく揺れていた。
「きれい……」
ハルが息を呑む。
灯はたしかに“ひとひら”だった。
花びらの形をした光が、静かに浮かび、
触れていないのに、まるで命を持つように鼓動している。
カイはその光に近づいた。
すると光はふわりと揺れ、彼の胸の前に浮かんだ。
――「カイ」
確かに、声がした。
懐かしく、忘れられない声。
まるで、冬の川で笑っていたあの日のままの声。
「ユウ……?」
光は優しく震えた。
声の主を名指しにした瞬間、長年閉じていた扉がまたひとつ開いたような感覚。
手を伸ばすと、光は逃げることなく、逆にカイの指先に寄り添った。
「カイさん?」
後ろでハルが心配そうにしている。
カイは笑った。
涙はこぼれない。
ただ、胸が満たされていく。
「大丈夫だ。少し……昔の友達に会えたんだ」
光はゆっくりと形を変え、
まるで羽ばたく鳥の一片のように漂った。
そのとき、風が灯台内部に吹きこんだ。
強い風だったが、不思議と怖さはなかった。
光は風に揺られ、ふたつに分かれた。
片方はカイの胸の前に、
もう片方はハルの目の前にふわりと漂った。
「え……僕のところにも?」
ハルが戸惑う。
光は、まるで答えるように揺れた。
カイは静かに言った。
「きっと……誰かが、お前にも言いたいことがあるんだよ」
ハルは手を伸ばし、光に触れた。
その瞬間、彼の表情は驚きに変わり、
次の瞬間、温かい涙が頬を伝った。
「……お父さんだ」
ハルの声は震えていた。
「僕、小さいときに……亡くしたんだ。
でも、声を忘れちゃって……
なのに、今、思い出した……」
光はやさしく揺れ、ハルの胸に吸い込まれていった。
カイの胸にも、もうひとつの光がすっと溶けた。
冬の川の冷たさでも、あの日の悲しみでもなく、
ただ――やさしい温度だった。
灯台の風見が鳴り、岬を照らす光がひときわ強くなった。
カイとハルは並んでその光を見上げた。
「行こう、ハル」
「うん。僕、もう怖くないよ」
岬を吹き抜ける風は、春の匂いがしていた。
二人の影は並び、ゆっくりと街へ向かって伸びていった。
そして、灯台の“ひとひらの灯”は静かに揺れながら、
これから歩く二人の旅路を祝福するように――
空へと溶けていった。
岬で触れた“ひとひらの灯”は、
失われた声をもう一度届ける光だった。
カイとハルはそれぞれの記憶を胸に、さらに深い旅路へ向かっていく。




