第68話 風の旅人、もうひとつの約束
カイとハルの旅は、朝の街を離れ、風の丘へ差し掛かる。
そこで彼らは、ある“旅人”と再会する――
それは、過去と未来が交差する瞬間だった。
朝の街を出てから、二人は風の道を静かに歩き続けていた。
周囲は白い花が揺れ、風が丘の稜線を撫でるたび、遠くから鈴のような音が聞こえる。
その音は、かつてカイが旅の途中で聞いた“光のレール”の余韻にも似ていた。
「カイさん、あれ……」
ハルが指差した方向に、ひとつの影があった。
丘の上、古びたベンチのそばに座っている人物――
それは、どこか見覚えがある後ろ姿だった。
白い外套。
影を纏うような佇まい。
静かな風の中で、ゆっくりと顔を上げた。
「……久しぶりだね、カイ」
その声を聞いた瞬間、カイの胸が震えた。
“影”――追憶の原で彼を導いた、あの存在だった。
「……君か。まだここにいたんだな」
影はやわらかく笑った。
「私は“君の痛み”と“願い”を預かる存在だからね。
完全に消えることはない。ただ形を変えて旅をしているだけだよ」
ハルは少し不思議そうに影を見つめる。
「この人……カイさんのお友達?」
影は首を振りながら、ハルに微笑んだ。
「友達というより……彼のもうひとつの“影”だよ。
けれど、君にも少し似ているところがある」
ハルは目を丸くした。
カイも胸の奥にうっすらと気付いていた。
――影とハルは、どこか同じ響きを持っている。
影は風を受けながら静かに立ち上がった。
「風の道は、君たちを“次の場所”へ導こうとしている。
それは、二人が選ぶ未来の分岐点だ」
カイは息を呑んだ。
「分岐点……?」
「そう。カイ、君は“夜を越えた者”。
そしてハル、君は“新しい朝を運ぶ者”。
二人は同じ道を歩きながらも、行き先が異なる可能性がある」
その言葉に、ハルの表情が揺れた。
カイもまた、胸がきゅっと締めつけられる。
「僕たちは……ずっと一緒に旅をすると思っていた」
影は優しく頷いた。
「そうだろう。けれど、人はそれぞれ“歩く時刻”が違う。
カイが見つけた“始まりの街”のように、
ハルにも“始まり”がある」
ハルは自分の胸に手を当てた。
その指先には、あの白い封筒の感触が残っている。
風が運んできた、カイの手紙――
ユウへ宛てたはずのあの言葉は、結局ハルを救った。
「ねえカイさん。
僕、あの手紙を読んでね……
“僕も誰かの光になれるのかな”って思ったんだ」
カイは驚いたように目を見開き、それからゆっくり微笑んだ。
「なれるさ。君はすでに、僕にとって光だよ」
ハルは照れたように笑った。
影は二人を見つめながら、静かに続ける。
「風の道の先には、二つの駅がある。
一つは“光の図書館”。
そしてもう一つは“帰音の岬”。
どちらを選ぶかは、君たち次第だ」
カイは風に揺れる草原を見渡した。
ハルもまた、双方向に伸びる光の道を見つめる。
どちらも美しく、どちらも未知で、どちらも間違いではない。
影は最後にゆっくり言った。
「どちらを選んでも。
二人の旅は終わらない。
君たちが風に祈る限り――列車はまた迎えに来る」
その瞬間、風が丘の上を大きく吹き抜けた。
影の姿が光に溶け、空へと散っていく。
ハルが声を上げた。
「待ってよ! 僕たち、また会えるの?」
影は風の中で微笑んだように見えた。
「もちろん。
影は消えない――光がある限り」
そして完全に風に乗って消えた。
丘には再び静けさが戻った。
しかしカイの胸には、どこか温かい余韻が残っていた。
ハルも同じように、風の残り香を胸いっぱいに吸い込んでいる。
「カイさん……僕、やっぱりどっちも行ってみたい」
「そうだな。二つの道があるなら、選ぶのは旅をしてからでもいい」
二人は頷き合い、風の道を再び歩き出した。
その影は二つ、やがてゆるやかに重なっていく。
まるで新しい約束のように。
影は消えたが、残されたのは“光へ向かう道”。
カイとハルは二つの駅を前に、まだ見ぬ未来へ歩き出す。
風はそっと、次の旅を予告していた。




