第67話 風灯(ふうとう)の丘、再び揺れる光
ハルと歩む旅が深まり、カイの胸には新しい鼓動が宿りはじめる。
風灯の丘に辿り着いたとき、二人を迎えたのは、かつてカイが見た“あの光”だった。
朝の街を離れて三日ほどが過ぎた。
カイとハルは、地図にも載っていない小道を辿りながら、丘を越え谷を渡り、風の吹く方向へと旅を続けていた。
昼、草の香りが強くなる頃になると、決まってハルが言う。
「カイさん、この風……向こうに何か呼んでますよ」
そのたびにカイは微笑んで頷く。
「そうだね。たぶん僕たちは、“風の道”そのものを歩いているんだ」
ハルは瞳を輝かせる。
その姿が、かつてのユウを思い出させる瞬間が何度もあった――だが、同時に違うとも思う。
ハルはハルであり、ユウの影ではない。
その事実が、カイの胸に静かな安心を生んでいた。
そして今日、二人は噂に聞いた場所へ向かっていた。
旅人のあいだで密やかに語られる場所――
「風灯の丘」。
そこには、夜になると風に灯る無数の光が揺れるという。
それは過ぎ去った者たちの想い、忘れられた言葉、
そして未来へ祈る声が風に乗って灯る“記憶の灯火”だと。
昼すぎ、丘の裾に到達した。
薄い金の草が揺れ、遠くには街の影が小さく見える。
丘の頂には古い石碑が立っており、その周りに丸い影が点々と並んでいた。
ハルが息を呑む。
「わぁ……これ全部、灯籠ですか?」
「たぶんね。風が吹くと光るらしいよ」
「じゃあ、夜まで待たなきゃ」
「うん。ここは、急ぐ場所じゃない」
二人は丘に腰を下ろし、パンを分け合いながら風の音を聞いた。
雲が流れ、陽が傾き、世界がゆっくりと夕暮れへ染まる。
やがて――
丘が薄闇に包まれた瞬間、風が頬を撫でた。
草が揺れ、空気が震える。
次の瞬間。
――ポッ……ポッ……
石碑の周りに並んでいた丸い灯籠がひとつ、ふたつと光りはじめた。
炎ではない。
火の気配も熱もない。
光は風に揺れ、風に沿って色を変える。
青から金へ、金から白へ、白からまた青へ。
ハルは思わず立ち上がった。
「……すごい。生きてるみたい」
カイはゆっくりと首を振った。
「ううん、生きてるんだよ」
「え?」
「これは誰かの祈りの“残響”だから。
たぶん、過去にここで祈った人たちの想いなんだ」
ハルは灯籠に近づき、そっと手を伸ばした。
光が彼の指先を包む。
「なんだか……あったかい」
その言葉にカイは頷いた。
あの夜、列車の窓越しに見た光の川――
ユウと過ごした最後の冬の光――
そして、“時刻なき鉄道”で出会った光たち。
あの全てが、いま目の前に重なって見えた。
すると、丘の上の風が強くなる。
灯籠の光が一斉に揺れ、風が言葉を運んできた。
――カイ。
その声は、かつてのユウのものに似ていた。
しかし、確かに違う。
もっと遠く、もっとやさしく、何層にも重なった“多くの声”が混じっていた。
(これは……誰の声?)
カイは胸に手を当てる。
鼓動が強くなる。
風が再び声を運ぶ。
――歩け。
――進め。
――振り返るな。
――大丈夫。
それぞれは違う響きを持ちながら、同じ意味を伝えていた。
“あなたはひとりではない”。
ハルも驚いていた。
「カイさん……聞こえましたか? いまの……」
「うん。聞こえたよ」
「これ、誰なんでしょう」
カイは静かに答えた。
「きっと……僕たちの前を歩いてきた人たち。
この丘で祈った人たちの声だよ」
ハルは胸に両手を当て、小さく息を吸った。
「僕……なんだか涙が出そうです」
カイは微笑む。
「泣いてもいいよ」
ハルの目に光が宿る。
その瞬間、風灯のひとつがふわりと空中に浮かんだ。
光が尾を引きながら宙を漂い、二人の前をゆっくりと通り過ぎる。
「……カイさん、これって……」
「うん。歓迎されてるんだ」
風灯が丘を巡り、空へと昇っていく。
まるで、記憶そのものが空に帰っていくように。
光が遠ざかるたび、丘の闇がほんのりと明るくなる。
ハルが言う。
「カイさん。僕……この旅、もっと続けたいです」
「もちろん、続けよう」
「どこまで行けると思いますか?」
カイは空に浮かぶ風灯を見つめながら答えた。
「どこまででも。
だって“時刻なき鉄道”の旅は、終点がないから」
その言葉にハルは笑った。
風が再び吹き、光がふわりと舞う。
丘の上で二人の影が寄り添い、
その影を照らすように、風の灯火が揺れ続けていた。
風灯の丘で聞いた声は、過去から未来を繋ぐ祝福だった。
カイとハルは、もう迷わない。
光の風に導かれ、次の地平へと歩き始める。




