第56話 光の岸辺、揺れる面影
カイとハルの旅は、再び“光の川”のほとりへと導かれていく。
風が運ぶ声は懐かしく、しかし新しい――
それは、過去と未来が重なる静かな午後だった。
午後の陽射しが少し傾き、街の家々の影が長く伸びていた。
カイとハルは、並んで小道を歩いていた。
“風の丘”から続く道はやさしく曲がり、どこまでも続くように思えた。
「カイさん」
ハルがふと口を開いた。
「この街、ずっと明るいですね。影はあるけど、夜が来ないみたいで」
カイは空を見上げた。
そこには深い青空が広がっている。
しかし太陽は落ちきらず、常に金色の光を放っていた。
この街には“夜”がない。
それは“時刻なき鉄道”がくぐり抜けてきた夜とは違う、
“過去を越えた朝”の証だった。
「夜は……ここには来ないんだよ」
カイは静かに言った。
「ここは“始まりの街”。
夜を越えた者だけが辿り着く場所だからね」
ハルは感心したように目を見開いた。
「じゃあ、カイさんも、ここに来たってことは……」
「そう。越えてきたんだ。
ユウを失った夜を、風の道を、追憶の原を――全部ね」
ハルはしばらく黙って歩いた。
小さな靴が石畳を踏む音が、二人の間の静寂に溶けた。
やがて彼は言った。
「カイさん。ぼく、あの手紙……何度も読み返しました」
カイは微笑んだ。
「そうか。嬉しいよ」
「読むたびに、胸があたたかくなるんです。
言葉って不思議ですね。触れなくても、届くんですね」
“届く”という言葉に、カイの胸が震えた。
まるでユウが隣で笑っているような気がした。
ふと、坂道の先に光が広がった。
近づくほどに、風が湿った匂いを帯びてくる。
「……川だ」
カイは呟いた。
そこには大きな“光の川”が流れていた。
水ではなく光で満たされているかのようで、
川面に触れれば、指先から記憶が蘇るような気がする。
——あのときの川に、似ている。
冬の日、ユウが言っていた“生きてるって感じがする”川。
その冷たさ、そのきらめき。
すべてを抱いた川が、今は光をたたえて流れていた。
ハルが川面を覗き込む。
「きれい……。
これって、“祈りの花”が流れてきた川ですか?」
「そうだよ」
カイは頷いた。
「誰かの想いが流れ着く川だ」
風が吹いた。
川面が揺れ、いくつもの白い花が流れてきた。
その花は水音を立てる代わりに、微かな鈴の音を響かせた。
チリン……
「音が……鳴ってます」
「そう。
祈りが届いたときだけ、この花は音を出すんだ」
カイの声は、どこか懐かしさを含んでいた。
そのときだった。
ハルが急に目を見開いた。
「カイさん、見てください!」
川面に――影が映っていた。
それはカイとハルの影だけではなかった。
ひとつ、川面の奥のほうに、
薄く淡い、少年の影が揺れていた。
「ユウ……?」
カイは息をのんだ。
風が吹く。
川面がきらめき、影が揺れながらこちらを見ているように感じた。
水の反射で現れた偶然かもしれない。
けれど、カイには分かった。
――これは“あちら側”からの返事なのだ、と。
ハルがカイの袖をつかんだ。
「これ、ユウさんですよね?
ぼく、知らないはずなのに……分かる気がするんです」
「……そうだよ」
カイの声は震えていた。
「君が、あの手紙を受け取ったからだ。
ユウの“生きろ”っていう願いが、
君に、そして僕に届いて……
こうして、影になって現れてくれたんだ」
ハルは静かに頷いた。
「カイさん……ユウさん、笑ってます」
カイは川面に膝をついた。
川の光が彼の頬を照らし、
その影を抱くようにやさしく揺れた。
「ありがとう、ユウ……
僕は、もう大丈夫だよ」
影はしばらく川の面にとどまっていたが、
やがて風が強く吹くと、ゆっくりと形を溶かし始めた。
光となって、花となって、流れへ戻っていく。
ハルが言った。
「さようなら……じゃないですよね。
この川は、また会わせてくれる」
「そうだ。
さようならじゃない。
また会えるんだ」
風が二人の背を押した。
川の向こうには、小さな橋が架かっている。
その先には白い道が続いていた。
「行こうか、ハル」
「はい」
二人の影が並び、川面に映る。
それは、かつてのカイとユウの影に、驚くほどよく似ていた。
光の川に映った“影”は、別れではなく再会の証。
ハルと共に歩く新しい旅路に、
ユウの祈りは静かに寄り添っていた。




