第54話 風を抱く道、君へ続く時間
旅を続けるカイとハル。
二人の前に広がるのは、風が歌い、草が揺れ、過去も未来も淡く滲む道。
その道の上で、カイは“これからの旅”の意味を知る。
午前の光が、やわらかく二人の影を伸ばしていた。
カイとハルは、始まりの街を出て、ゆるやかな丘の道を歩いていた。
風が草原を撫でるたび、白い花々が波のように揺れた。
その音はどこか音楽のようで、二人の歩調も自然とそのリズムに乗る。
「旅人さん、ここを抜けると何があるんですか?」
ハルが無邪気に尋ねた。
「旅人さんじゃないよ。カイでいい」
「じゃあカイ。ここを抜けるとどこに行くの?」
「……それは、歩いてみないと分からないよ」
返事は曖昧だった。
けれど、ハルはその答えに不満な様子は見せず、むしろ楽しそうに頷いた。
「分からないから楽しいんだよね」
「そうかもしれないね」
二人の間に、静かな風が通り抜ける。
カイは、少し前の自分とハルを重ねた。
“旅を恐れていた自分”と“旅を楽しむ自分”。
その両方が、今こうして同じ道を歩いている。
――ユウ。
風の中で、ふと名前が浮かぶ。
どんなに前に進んでも、ユウの存在は消えない。
だが、それはもう痛みではない。
胸の奥で灯る、ひとつの明かりのようなもの。
丘を登り切ると、そこには木製の標識が立っていた。
〈風を抱く道〉
〈記憶の森〉
〈光の舟着き場〉
どの方向も、美しい道が続いている。
ただ、そのうちのひとつ――「風を抱く道」の方角だけ、道がゆるやかに輝いて見えた。
「カイ、あそこが光ってるよ」
ハルが指差した。
「うん。たぶん、僕たちはあっちに呼ばれてるんだと思う」
二人は風を抱く道へ足を踏み入れた。
◆
風を抱く道は、静かだった。
だが、その静けさは“何もない”という意味ではない。
草の間を蝶が舞い、遠くで鳥が歌い、風がどこかで小さく笛のように鳴っている。
そのどれもが、旅の続きを祝福しているようだった。
途中、小さな石橋を渡る。
川は透き通り、底まで見えるほど澄んでいた。
川面には白い花片が流れている。
「祈りの花だ……」
カイが呟くと、ハルは不思議そうに花を覗き込んだ。
「これ、誰かの祈りなの?」
「うん。誰かを想う気持ちが、こうして流れてくるんだ」
ハルは川面に手を伸ばし、流れる花をそっとすくおうとした。
だが、花片は指の先をするりと抜けて流れていった。
「つかめないんだね」
「祈りは形があって、形がないからね」
二人は歩き続けた。
すると、道の先に一本の大きな木が見えた。
その幹には、無数の小さな紙片が結びつけられている。
風に揺れるそれらは、まるで誰かの声のようにささやいていた。
「これ、手紙……?」
ハルが木に近づく。
カイは胸がざわつくのを感じた。
近づくと、小さな紙片にたくさんの名前が書かれていた。
――ユウ
――アサギ
――ミナト
――ハルカ
――シオン
生きている者も、もう居ない者も、きっとこの木へ言葉を託したのだろう。
ハルが一枚を指差した。
「カイ……これ」
そこには、見覚えのある文字があった。
――《カイへ》
――《風が届いたよ。ありがとう。ユウ》
胸が熱くなった。
「……ユウ……」
ハルはカイの横で静かに微笑んだ。
「届いたんだね」
「うん。確かに……届いたんだ」
その瞬間、風が木々の間を駆け抜けた。
紙片がふわりと舞い、二人の周りを回った。
その風の中で、カイは確かにあの声を聞いた気がした。
――「前を向けよ、カイ」
涙は出なかった。
ただ、心が震えた。
ハルが言った。
「カイ、これからどこまで行くの?」
「……分からない。でも、歩きたいところまで」
「じゃあ、僕も一緒に行っていい?」
「もちろん」
カイは空を見上げる。
雲の間を、白いレールが一瞬だけきらりと光った。
“時刻なき鉄道”の気配。
けれど、列車は見えない。
それでも、確かにそこにある。
風が二人を包んだ。
新しい旅が、ゆっくりと動き出した。
風を抱く道は、過去と未来を結ぶ橋。
ユウから届いた一言が、カイとハルの旅をそっと押し出した。
彼らは再び、光の方へ歩きはじめる。




