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夜の川原に降りてくる列車  作者: たむ


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第48話 風の回廊、かすかな鼓動

巡礼の旅を続けるカイとハルは、

古い風の回廊へと辿り着く。

そこは過去の鼓動が微かに残る場所――

カイはふたたび“誰かの声”を耳にする。

 丘を越えて進むにつれ、空気は少しずつ変わっていった。

 朝の街では柔らかかった風が、ここでは鋭く細い。

 カイはマントを翻し、ハルと並んで歩きながら前方を見つめた。


 その先に、灰色の石で組まれた巨大な回廊があった。

 円環状のアーチがいくつも連なり、まるで風そのものが形を成したようだ。

 回廊の隙間から吹き抜ける風が、楽器のような音色を奏でている。


 「ここが……“風の回廊”?」

 ハルが呟く。

 その声は風に揺れ、遠くへ運ばれていく。


 巡礼の地図には、こう記されていた。

 “風の回廊は、過ぎ去った時を縫い合わせる場所。

  ここで聴こえる声は、未来と過去の境界に立つ者だけが気づく。”


 ――未来と過去。

 その言葉が、カイの胸に触れた。


 ユウの声。

 あの夜の呼吸。

 眠り町で聞こえた影の囁き。

 あれらが境界の声だったのなら、今ここで聴こえる声は何だろう。


 「行こう」

 カイはハルを振り返った。

 「ここを抜ければ、また新しい道が開けるはずだ」

 ハルは大きく頷き、二人は並んで回廊へ足を踏み入れた。


 * * *


 第一のアーチをくぐると、風が一段と強くなった。

 だが冷たいわけではない。

 懐かしさと、痛みを溶かしたような温度。


 ――カイ。


 風がそう呼んだ気がした。

 反射的に足が止まる。


 「どうしたの?」

 ハルが振り向く。

 「今、誰かに呼ばれた気がして……」


 “呼ばれた”という感覚は久しく忘れていた。

 死者の声でも、記憶でもなく、

 ただ“名前を呼ぶ”という事実そのものが胸を揺さぶった。


 カイは耳を澄ませた。

 風が回廊を駆け、石壁にぶつかり、反響してまた返ってくる。

 その音の中に――心臓の鼓動のようなリズムがあった。


 トクン……

 トクン……


 ハルも気づいたようだ。

 「これ……誰の鼓動?」


 「分からない。でも……どこか懐かしい」

 カイの胸に、ふいに痛みが走った。

 ユウの心臓の音。それを思い出したのかもしれない。


 だが次の瞬間、鼓動は別の形に変わった。


 ――トクン、トクン。

 今度は少し早い。

 まるで誰かが不安に息を吸っているような音。


 「ハル……?」

 カイが横を見る。


 ハルの表情が変わっていた。

 苦しそうでもなく、悲しそうでもない。

 ただ、胸の奥を探るような、曖昧な表情。


 「カイさん……僕……なんだか嫌な感じがする」

 ハルが胸を押さえた。

 風が揺れ、彼の髪が左右に乱れる。


 その影が――ユウの影と一瞬重なった。


 カイの心臓が跳ねた。

 “あの日”、病室でユウの呼吸が揺れた瞬間を思い出す。

 手を握り返してきた温度。

 言葉を紡ごうとした声。


 しかし、それはハルのものだ。

 目の前の少年が、過ぎし日の記憶と重なって見えるだけ。


 「ハル、大丈夫だ」

 カイはそっと肩に手を置いた。

 「これは、“過去が揺れている”だけだ。

  お前のせいじゃない。お前が苦しい必要もない」


 ハルは深く息を吐き、その言葉を吸い込むように頷いた。

 「……うん。ありがとう」

 その声で、鼓動のリズムが少し落ち着く。


 カイは空を仰いだ。

 風が渦を描きながら上昇し、回廊の天井にぶつかって散っていく。

 その音の全てが、どこかでつながっている。


 カイの声。

 ハルの鼓動。

 ユウの記憶。

 そして、これからの道。


 すべての音が混ざりあって、ひとつの“風景”を作っていた。


 「行こう、ハル」

 「うん」


 二人は第二、第三のアーチをくぐっていく。

 その度に風の歌は変わり、色を変え、響きを変えた。


 第四のアーチを通り抜けたときだった。

 風が急に止んだ。


 静寂。

 耳が痛いほどの無音。

 ただ、胸の鼓動だけが響いていた。


 トクン、トクン……

 それはカイの心臓の音だった。


 「……カイ?」

 ハルが心配そうに覗き込む。

 カイは苦笑し、胸に手を当てた。


 「大丈夫。

  これは……“生きてるって感じ”だよ」


 そう言うと、ハルは微笑んだ。

 まるでユウが笑ったときのように、

 胸を温かくする光がそこにあった。


 沈黙を破るように、一筋の風が回廊を走った。

 風は二人の足元に触れ、ゆっくりと先へと導く。


 「行こう」

 カイは再び歩き出した。

 ハルが隣を歩く。


 風の回廊の最奥には、柔らかな光が満ちていた。

 夕暮れではない。

 夜明けでもない。

 それは――“二人の時刻”の光だった。


 風は、もう傷の匂いを含んでいなかった。

 ただ、前に進むための音だけを残していた。


 カイはその光を見つめた。

 そして確信した。


 これは、まだ旅の途中なのだと。

 終わりでも始まりでもなく、

 ただ“続き”があるだけなのだと。

風の回廊で響いた鼓動は、

過去と未来の境界で揺れる“いま”そのものだった。

カイとハルの旅は、風が導く方へ、静かに続いていく。

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