第39話 風の灯台、揺れる記憶の海
海辺へと辿り着いたカイとハル。
そこには風を導く古い灯台があり、夜と朝の狭間に沈んでいた“ある記憶”が再び波のように押し寄せる――。
風に押されるように歩き続けた二人は、やがて街の外れから大きく開けた海へと出た。
潮の香りは優しく、波打ち際には細かな光の粒が散らばっている。
カイは思わず息を呑んだ。
「こんな場所があったんだ……」
ハルが隣で駆け出し、砂浜に足跡を残した。
「ねえ、カイさん! あれ見て!」
ハルが指をさした先に、古びた白い灯台が立っていた。
傾きかけた屋根、風に削れた石壁。
けれど、その頂上には青白い光が揺れていた。
まるで遠い記憶のように、かすかで、それでも消えない光。
「……風の灯台だ」
カイは、確かどこかでその名を聞いた気がした。
誰かが教えてくれたような、あるいは忘れかけた夢の中のような……。
二人は灯台へ向かって歩き出した。
潮騒が足元に寄せては返し、カイの胸の奥に眠っていた“ある痛み”を揺らす。
ユウと過ごした、あの冬の海――。
灯台の入り口は半分崩れ、扉は歪んでいた。
カイが押すと、きしむ音を立てて開いた。
中は薄暗く、螺旋階段が上へと伸びている。
「登ろうか。」
「うん!」
螺旋階段を登るたびに、壁の隙間から風が漏れ、潮の香りが流れ込んだ。
階段の途中、古い落書きが刻まれているのに気づいた。
《いつか、またここへ来よう》
幼い字で書かれたその文章が、胸に刺さった。
(……まさか)
カイは立ち止まり、壁に触れた。
その瞬間、胸の中に光が弾けるように記憶が蘇った。
――冬の海。
――冷たい風と笑い声。
――ユウが指差した灯台。
「なあ、カイ。俺たちさ……
いつかまた、こうして海を見に来ようぜ。」
あの日、カイは何も言えなかった。
ただ頷くことしかできなかった。
ユウの病気が進んでいたことを、心のどこかで知っていたから。
「カイさん……?」
下から声がした。
ハルが心配そうに階段の途中で立ち止まっている。
「大丈夫?」
「……うん。大丈夫だ。」
階段を登り切ると、丸い展望室に出た。
そこから見える海は、どこまでも続く光の道だった。
陽光が水面に反射し、きらめきが幾重にも重なって揺れている。
ハルが窓際にかけ寄った。
「すごい……! まるで、空と海がつながってるみたい!」
カイも窓に近づいた。
潮風が吹き込み、髪を揺らす。
その時――灯台の光がひときわ強く輝いた。
光は渦を巻き、展望室全体に広がっていく。
カイの視界が揺れた。
海のきらめきが、別の景色へと変わっていく。
――病室。
――白いシーツ。
――ユウが眠るように笑っていたあの日。
「なあ、カイ……もし俺がいなくなってもさ、
風を見たら、思い出してくれよ。」
風の灯台の光が、まるで記憶の海を照らすようだった。
カイは自然と目を閉じ、胸に手を当てた。
「ユウ……僕は今、ちゃんと生きてるよ。」
風が吹いた。
展望室に光が満ち、ユウの声が混ざったような音が流れる。
その声音は、優しく、暖かく、懐かしい。
――よかったな、カイ。
ようやく風の先を見られるようになったんだな。
カイは静かに涙を落とした。
悲しみではなく、長い旅の答えが胸に満ちていくような涙だった。
「カイさん……?」
ハルがそっと寄り添い、彼の背中に触れた。
その手は温かかった。
それは誰かの想いが受け継がれている証のように思えた。
カイは涙を拭き、ハルに微笑んだ。
「ありがとう。僕は、ようやく来れたよ。」
「どこに?」
「約束の場所に、だよ。」
灯台の光がゆっくりと弱まる。
海は静かに揺れ、午後の光が波を照らす。
ユウと過ごした冬の海――それが、いま新しい形で生まれ変わっていた。
カイは懐中時計を取り出した。
針はしっかりと動いている。
ここに来るまで止まることのなかったその音が、
今は穏やかなリズムで“今”を刻んでいた。
「カイさん。」
ハルが言った。
「この灯台、きっと“風のお守り”なんだね。」
「ああ。
そして、もう一つの『約束』を思い出させてくれる場所でもある。」
二人は灯台の外へ出た。
海の向こうに、白い光のレールがゆらりと続いているように見えた。
それは“時刻なき鉄道”の残した道筋――
過去と未来をつなぐ心のレール。
風が吹き、灯台の光が最後に小さく瞬いた。
ユウの声も、あの冬の日の記憶も、
もうカイの背を押す優しい“風”へと変わっていた。
「行こう、ハル。」
「うん!」
二人の影が伸び、砂浜に並んで映る。
波が寄せ、影を包み込んでは引いていった。
まるで海そのものが、二人を祝福しているようだった。
夕日が沈み始め、海が金色に染まる。
二人は風に向かって歩き出した。
灯台が“ありがとう”と言うように光を揺らした。
風の灯台が照らしたのは、痛みでも悲しみでもなく“約束の続きを歩く勇気”だった。
カイはもう迷わない。
風と海の音が、優しく次の章へと導いていく。




