第21話 午後の光、約束の影
風に託した手紙が空へ消えた午後、
街の光が少しだけ金色を帯びた。
カイのもとに現れた“影”は、懐かしい声を宿していた――。
午後の陽射しが、街の壁をやわらかく照らしていた。
パン屋からは焼きたての香りが漂い、通りを歩く人々はゆるやかに笑っている。
カイはいつものように広場の時計塔のそばに座り、ノートを膝に開いていた。
風に送った手紙の余韻が、まだ胸の奥に残っている。
空はどこまでも澄み、白い雲が流れていた。
その雲の向こうに、列車が走る幻のような光が見える気がする。
“時刻なき鉄道”――あの音も、風の中に微かに混ざっていた。
「……君に届いたかな」
小さく呟いた声は、風に溶けた。
そのとき、背後で靴音がした。
振り向くと、街の通りからひとりの少年が歩いてきていた。
陽の逆光で顔はよく見えない。
だが、その歩き方――どこかで見たことがある。
「こんにちは」
少年が言った。
声は澄んでいて、少しだけ懐かしい響きを持っていた。
「君は……?」
「旅人さんですよね? この街に来るのは二度目ですか?」
「いや、たぶん初めて――」
言いかけて、カイは言葉を止めた。
少年の瞳。
光を受けてきらめくその色は、かつて見た“冬の川”の色と同じだった。
胸の奥が強く鳴った。
「……ユウ?」
思わず呼んでいた。
少年は首を傾げた。
「ユウ? 僕の名前は“ハル”です」
「ハル……?」
少年――ハルは微笑んだ。
「でも、なんだかうれしいです。その名前、呼ばれたの。
僕も、誰かにそう呼ばれた気がして……」
風が吹いた。
金色の午後の光が二人の間を通り抜ける。
ハルの髪が揺れ、その影が地面に映る。
その影は、一瞬だけカイの影と重なって、まるで昔の二人のように見えた。
カイは息を呑んだ。
何かが胸の奥で確かに繋がる感覚。
手紙を風に送った日のことを思い出す。
――ユウ、届いたかな。
そのとき、ハルが言った。
「旅人さん。
今日、不思議なことがあったんです。
丘の上で遊んでたら、空から手紙が降ってきたんですよ」
「……手紙?」
「はい。白い封筒で、風の匂いがしました。
でも宛名がなかったんです。ただ、文の最後に“カイより”って書いてありました」
カイの心臓が止まりそうになった。
「その手紙、今も持ってるのかい?」
「はい、ここに」
ハルはポケットから封筒を取り出した。
それは確かに、カイが風に託したものだった。
少し折れているが、インクの文字は滲まずに残っている。
カイは震える手で受け取り、封筒を開けた。
中の便箋は、まるで初めて読むもののように見えた。
だが、そこに書かれている文字は自分の筆跡だった。
《ユウへ》
その一行を目にした瞬間、胸の奥で何かがほどけた。
ハルが静かに言った。
「この手紙を読んだとき、涙が出たんです。
どうしてかわからないけど、あったかくて。
まるで僕のことを書いてくれたみたいで」
カイは微笑んだ。
「……きっと、そうなんだろうね」
ハルは不思議そうに首を傾げた。
「どういうことですか?」
「その手紙は、君に届くために書かれたんだ。
君が“生きている”って感じられるように」
ハルの瞳が揺れた。
しばらく沈黙があった。
やがて少年は、ゆっくりと笑った。
「じゃあ、僕は受け取ったんですね。
“生きてる”っていうバトンを」
「そうだよ」
カイは頷いた。
「君が笑うなら、きっとユウも喜ぶ」
午後の光が濃くなり、影が長く伸びていく。
その影の中で、二人はしばらく並んで立っていた。
言葉はなくても、風が会話のように彼らの間を行き来していた。
「旅人さん」
「うん?」
「またどこかへ行くんですか?」
「そうだな……でも今度は、夜の列車じゃない。
この街から“歩いて”行こうと思う」
「歩いて?」
「うん。時間を追いかけるんじゃなくて、見送りながらね」
ハルは笑った。
「それ、いいですね」
広場の鐘が鳴った。
針のある時計塔が、午後三時を告げている。
その音が空に溶け、風が再び吹いた。
手紙の封筒が風に舞い上がり、太陽の光を受けてきらめく。
「行こうか」
カイは言った。
ハルは頷いた。
二人の影が、並んで伸びていく。
まるで、かつてのカイとユウが再び歩き出したかのように。
風が彼らの背を押した。
街の外れに続く道――その先には、やわらかな光が満ちていた。
風が運んだ手紙は、次の命に届いた。
ハルという少年の中で、ユウの想いは新しく息づく。
カイの旅はもう孤独ではない――風は再び、二人を導いていた。




