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夜の川原に降りてくる列車  作者: たむ


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第17話 朝靄のカフェ、二人分の席

朝の街の広場を離れ、カイは一軒のカフェに入る。

そこに用意された“二人分の席”が、再び彼の心を揺らしていく。

 陽が完全に昇る頃、街の空気はすっかり変わっていた。

 冷たかった風は柔らかくなり、家々の窓からパンの香りが漂う。

 通りを行く人々の顔には穏やかな笑みが浮かび、どこからかラジオの音楽も聞こえてくる。

 ――まるで世界そのものが、ゆっくりと目を覚ましていくようだった。


 カイは石畳の道を歩きながら、広場を後にした。

 行き先は決めていない。

 けれど足は自然と、香ばしい匂いのするほうへ向かっていた。


 角を曲がると、小さなカフェがあった。

 看板には「Morning Moon Café」と手書きで書かれている。

 古びた木の扉、丸い窓からこぼれるあたたかな光。

 扉を押すと、カランと小さなベルが鳴った。


 店内は静かだった。

 テーブルが三つ、窓際の席には白いクロスがかけられている。

 そして、そのひとつに「Reserved(予約席)」の札が立っていた。


 「おや、いらっしゃい」

 カウンターの奥から、穏やかな声がした。

 白いシャツにエプロンをつけた中年の店主が、コーヒーを淹れていた。

 「おひとり?」

 「……ええ」

 「そうですか。では、窓際の席をどうぞ」


 カイは指示された席に座った。

 外では朝靄がまだ残っており、光がやわらかく街を包んでいる。

 コーヒーの香りが立ちのぼり、温かい湯気が心をほぐしていく。


 ふと視線を落とすと、テーブルにはもう一つのカップが置かれていた。

 向かい側の席――そこにも「Reserved」の札が立っている。

 「すみません、これ……?」

 カイが尋ねると、店主は微笑んだ。


 「それはね、“旅人たち”の席なんですよ」

 「旅人?」

 「ええ。この街にたどり着いた人たちは皆、しばらくするとここに来る。

  そして、誰かのためにもう一つカップを置いていくんです」


 「誰かのために?」

 「そう。遠く離れた誰か、もう会えない誰か。

  それでも“同じ朝を迎えられた”ことに感謝して」


 カイは黙ってそのカップを見つめた。

 底には、淡い銀色の模様が描かれている。

 それはどこかで見た形――夜空を走る列車の軌跡のようだった。


 「……ユウ」

 思わず名前が漏れた。

 店主はその名に反応したように目を細めた。

 「いい名前ですね。

  もしかして、あなたがもう一つの席の主ですか?」


 カイはゆっくり頷いた。

 「……はい。ここに、あの人のための席を置いていってもいいですか?」

 「もちろんですとも」


 店主は奥から小さな白い花を一輪持ってきた。

 「この街では、祈りの印に花を添えるんです。

  あなたの想いが、風に届くように」


 カイはその花をカップの横にそっと置いた。

 湯気が静かに立ちのぼり、朝の光の中で溶けていく。


 「ユウ、見えるか? ここはもう夜じゃないよ」

 カイは心の中でつぶやいた。

 「君が言ってた“生きてるって感じ”、

  今なら分かる気がする」


 窓の外で風が吹き、朝靄がゆっくりと晴れていく。

 通りの向こうには子供たちが笑い、パン屋の前には列ができはじめた。

 店主が静かにコーヒーを注ぎ足しながら言った。


 「ここに来た人は皆、やがてまた列車に乗ります。

  でもそれは、もう夜の列車ではない。

  光のレールを走る、新しい旅です」


 カイは微笑んだ。

 「きっと、僕もいつかその列車に乗るんだろうな」

 「ええ、きっと。

  でも今日は――ゆっくりお飲みなさい。

  そのカップが冷めないうちは、あなたの“朝”が続きます」


 カイはカップを手に取り、口をつけた。

 苦味の中に、ほんのりと甘さがあった。

 その味は、遠い記憶の中で誰かと笑い合ったあの瞬間のように懐かしかった。


 窓の外の空が少しずつ青さを増していく。

 彼はそっとカップを置き、向かいの席を見つめた。

 そこには誰もいない。

 けれど確かに、そこに“誰か”がいる気がした。


 朝靄が完全に晴れ、街の時計塔が光を浴びた。

 針のない盤面に、陽光が反射して一瞬きらめく。

 その輝きが、まるで“今”という時刻を刻んでいるように見えた。


 カイは微笑み、静かに呟いた。

 「さあ、今日も生きよう。僕の時刻で」

朝靄のカフェで、カイは「生きる」という言葉の意味を噛みしめる。

もう夜は来ない――彼の心の列車は、光の道を走り始めた。

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