王のいない玉座
神託の塔、第八層。
そこはもはや「階層」と呼ぶにはあまりに異質だった。
一面が鏡のように滑らかな白銀の床。
上を見上げれば天井など存在せず、代わりに空が映る水面が広がっている。
風は吹かず、音もない。
ただ静かに――時間が止まったかのような世界だった。
ロイは、足を引きずりながらその場に立った。
「ここが……第八層……。空間の感覚がおかしい」
彼の足元に映る“自身の影”が、突然に笑った。
「……っ!」
ロイは即座に後方へ飛び退く。
次の瞬間、彼の“影”が地面から這い出るように、形を成していった。
「ようこそ。祝福に抗う者よ」
出現したのは、一人の人物――
白銀の鎧をまとい、黒き仮面を被った騎士だった。
しかしその姿には、決定的に何かが欠けていた。
「……気配が、ない……まるで“生”を失った存在だ」
ロイが呟く。
「その通り。私は“祝福の騎士”ではない。
私はただ、ここに“王の帰還”を待ち続ける、残響に過ぎない」
「残響?」
「第八層は“王の間”。本来ならば、祝福の王が座すべき玉座の間。
だが、王はもういない。
この国の祝福の体系は、既に崩れている。上層にいる《第一位》でさえ、もはや王ではない」
「……じゃあ、あんたは何のために?」
「使命だよ。
“王の玉座を守る”という命令が、祝福によって魂に刻まれた。
それ以外の意思は、とうに削ぎ落ちた」
仮面の騎士が、ロイを見据える。
「だから、お前に問う。“呪いの適応者”よ。
お前の中に、王となる意思はあるか?」
「……は?」
唐突すぎる問いに、ロイは戸惑う。
「王……? 俺はただ、自分の力を証明したいだけだ。
“祝福”という特権に抗って、“呪い”で登りつめたいだけなんだよ!」
「……ならば、お前にこの層を通すわけにはいかない」
騎士が構えを取る。
その手に現れたのは――「王剣」。
かつて王が使用していたとされる、“王位の象徴”とまで謳われた神具だった。
「祝福のない者には、王の間は渡さぬ。
たとえお前の呪いが神をも穿つものでも、この剣だけは例外だ」
「……ふざけるな」
ロイは、自らの左腕の呪装を解除した。
その瞬間、爆発のような呪気が空間に放たれる。
「俺にとって呪いは“毒”だが……同時に、“進化”だ」
「呪装適応――第四律《螺旋昇華》!!」
四層に達した適応。
それはもはや“デバフ”ではなく、「呪いの構造そのものを自己進化させる」適応だった。
呪いのステータスは限界突破し、いまや正の数値すら捻じ曲げる。
「――来い。玉座が欲しいなら、まずは俺の命を奪ってみろ!」
騎士が王剣を掲げ、ロイに突撃する。
空間が軋み、鏡のような大地が砕けていく。
ロイは呪気をまといながら、カースブレイドを抜き、真正面からぶつかっていった。
◇
交錯する剣戟。
仮面の奥の瞳に、微かに光が宿った。
「……なぜ、祝福を持たぬ者が……ここまで……!」
「知らねえよ!」
ロイが一閃。
王剣が砕け、仮面が割れる。
そこにあったのは――若き日の“祝福王”その人の姿だった。
「お前は……」
「もう何百年も前の話だ。
私は祝福のシステムに喰われた王だった。
“祝福によって王となった者”は、同時にその祝福によって、自由を奪われる」
「お前は……違う。呪いによって自由を掴み取ろうとしている。
ならば、お前に“次なる道”を託す価値がある」
そう言って、王の影は消えていった。
残されたのは、一つの“王冠”だけだった。
ロイはそれを見下ろし、そして……笑った。
「いらねえよ、そんなもん」
「俺は“王”になりたいわけじゃねえ。
ただ――この呪いで、祝福ごとぶっ壊すだけだ」
◇
ロイは第八層を抜け、第九層への扉を開いた。
次に待つのは、祝福騎士団の頂点――《第一位》、《天聖騎士アグナス》。
塔の最上階まで、あとわずか。
だが、その果てにあるのは“神”か“呪い”か――まだ誰も知らない。




