忘却の祝福者
レイファルドとの激闘を終えたロイは、神託の塔・第五層へと足を踏み入れた。
四階層までの空間とは異なり、そこは霧が漂う、無音の廊下だった。
石造りの壁も床も、ところどころ欠けており、まるで長い時を放置された遺跡のような印象を与える。
「……なんだ、この階だけ空気が違う」
呟いた声が霧に吸われ、消えていく。
ロイの【呪装適応】は次なる敵の気配を敏感に察知していたが、なぜか相手の“存在そのもの”が霧の向こうにぼやけて見えなかった。
そこに――
「……きみは、だれ?」
少女のような声が、すぐ背後からした。
(しまった――!)
即座に反応して振り返るも、そこにいたのは一人の少女。
……否、少女のように“見える”存在だった。
長い白髪、瞳は色を失ったように無色。
手には本を持ち、ローブは修道女のようにも見えた。
「祝福騎士団《七翼》第五位、《忘却のミーネ》。……記憶の祝福を持つ者だ」
「なんだそれ……記憶?」
「ええ。わたしの祝福は、“他者の記憶を消す”こと。
でも心配しないで、すぐに終わるから。わたし、戦うの、あんまり好きじゃないの」
微笑みとともに、霧がロイの足元から巻き上がった――
◇
「――ッ!? おい、なんだ……!」
ロイの意識が、急激に曇る。
視界が揺れ、頭に鈍い痛みが走る。
霧に触れた瞬間、脳内の記憶が勝手に上書きされていくような、異常な感覚。
「この階層にいる間、あなたは“呪い”という言葉すら思い出せなくなる。
それが、わたしの加護」
ミーネが静かに囁く。
「君は“祝福騎士団”が何かも知らず、呪装適応が何かも忘れて、ただの“普通の冒険者”になるの。
だから安心して。戦う理由すら、なくなるんだよ」
ロイの呼吸が荒くなる。
(……あの装備は……なんだった……?)
身体にまとっていたはずの呪装の一部が、発動不能になっていく。
スキル名すら思い出せない。意識の核が、もぎ取られていくようだった。
「……なるほど」
それでも、ロイは口を開いた。
「だったら――殴れば思い出すかもな」
「……え?」
ズドッ!!!
霧をかきわけ、ロイの拳がミーネの頬に叩き込まれる。
その瞬間――ロイの身体に走る、膨大な呪気の逆流。
(そうか、思い出した……!
“呪装適応”は、【呪いが発動不能になるほど強い干渉】を受けると、それ自体を打ち破るための“再構築”が走る!)
ミーネの記憶干渉は、ある意味で“強すぎた”。
だからこそ、呪装の核心が発動した――“自己回復的適応”。
「なっ……そんな、わたしの祝福を打ち破るなんて……」
「思い出したぜ。“呪い”はお前らの祝福と違って、失っても染み付いて離れねぇんだよ」
ロイの掌に、かつての“黒の剣”が再生する。
「ここまで来たら、全部壊してやる。
祝福って名前の“選民ごっこ”をな」
◇
ミーネは動揺しながらも、再び本を開く。
文字が浮かび、空間に幾重もの記憶霧が展開されていく。
だが――ロイの視線は、一点に集中していた。
「そんなもんで、俺の呪いは止まんねぇ」
一歩、また一歩。ロイは霧の中を踏みしめる。
「“忘れさせたい”って願いそのものが、甘えなんだよ。
俺は、忘れねぇ。選ばれなかった“あの日”の痛みも。
誰にも相手にされなかった“俺たち”の声も――全部だ」
ロイの剣が、ミーネの胸元で止まる。
「……殺さねぇよ。お前は、たぶん本気で戦いたくなかったんだろ」
ミーネは、震えたままうずくまる。
呪いの力が霧を切り裂き、空間の支配が崩れていく。
「次に行くぜ。俺は、“忘れない”って選んだからな」
◇
こうして、神託の塔・第五層を突破。
祝福騎士団《七翼》第五位《忘却のミーネ》との戦いは幕を閉じる。
だが、彼女の背には、“沈黙したもう一つの意志”が浮かび上がっていた。
――次にロイが出会うのは、“最も冷酷な祝福”。




