深度零から来た男
冷たい風が吹き抜ける、辺境の谷。
断崖に囲まれたその場所に、かつて“呪装因子研究所”と呼ばれた遺構があった。
現在は地図にも記されておらず、知る者もほとんどいない。
だがその地下、最深部には今もなお、ひとりの男が生きていた。
「……動いたか、ロイ。あの時の“芽”が、ついに咲いたんだな」
男――レム・カースリンクは、ゆっくりと立ち上がる。
見た目は二十代の青年。だがその目に宿る光は、まるで数百年を歩んだ者のように深く、冷たい。
背に背負った朽ち果てた鉄の箱。そこに刻まれた“第零適応体”の文字。
彼は、「呪装適応」の最初の被験者だった。
◇
かつて――祝福の世界が、呪いを徹底的に封印しようとしていた時代。
軍部と学術会は、逆に「呪いを制御する技術」の研究を極秘に進めていた。
その中で誕生したのが、“呪装適応因子”計画。
適応可能な肉体に、段階的に呪いを侵食させ、武器として利用するという狂気の実験だった。
そしてその第一号として選ばれたのが、少年兵だったレム。
成功率は一%以下。
だが彼は、生き延びた。呪いを全身に取り込み、なおも理性を保ち続けた“奇跡”の存在。
それでも彼は、兵器としてではなく、「管理不能」として封印される。
彼が遺された理由はただひとつ――
後続の適応体が、生まれる時代を待つため。
「……そして現れたか。“反射適応型”。お前が、第二段階だ」
彼の手の中、古びた水晶端末にロイの情報が浮かぶ。
呪因子。複数の呪装干渉を逆転させ、攻撃や制御を“強制的に反転”させる特性。
「反転適応……。それが“カースリンク(呪装適応)”の次段階なら、あるいは祝福を打ち破る切り札になりうる」
レムの背後。無数の空きカプセルが並んでいた。
そこには、かつて適応に失敗した数十体の“同胞”が眠っていた。
彼らの死の上に、レムとロイの力は成り立っている。
「……けどな、ロイ」
レムは空を見上げる。
その視線の先、遥か遠くにロイがいる。祝福の中枢に牙を剥きかけている少年。
「お前の“祈り”が、俺たちの絶望と同じとは思わねえ。
だが、似てるんだ。あの時の俺と」
回想――
──痛みしかない。
──孤独しかない。
──救いのないまま、命を差し出し、呪われ、使い捨てられた。
──でも、誰かが見てると信じた。
──世界のどこかに、“この力を理解する誰か”がいると信じて、笑って、死んだ。
「でも、ロイ。お前は生きてる」
レムは静かに、不老の体に染みついた灰色のコートを翻した。
「だったら見せてみろ。“適応者”の意地を」
◇
同時刻、ロイは廃都の地下で息を潜めていた。
「……やけに静かだな」
かつて住民の一部が呪いに適応し“崩壊”したこの町は、祝福からも完全に切り離された呪界化地帯。
今ではロイの仮拠点になっていた。
「……気配も……ん?」
足音がした。
一歩、二歩。そしてぴたりと止まる。
現れたのは、見たこともない青年。古びた鉄の箱を背負い、全身からは呪因子の濃密な霧が立ちのぼっている。
「お前が……ロイか」
その声に、ロイの背筋が凍る。
“自分と同じにおい”――それも、次元の違う“深さ”を感じた。
「誰だ、お前……」
「レム。レム・カースリンク。お前の“原型”だ」
「……カースリンク? それ、俺のスキル名の……」
「ああ。その名は“実験体コード”だ。お前がその名を使ってるってことは、因子は完全にお前に融合してるってことだ」
ロイは咄嗟に距離をとる。
だがレムは、構えない。敵意も、殺気もない。
「……俺は戦いに来たんじゃない」
「じゃあ、何しに」
「忠告だ。お前の呪装適応が“開花”したことで、祝福側は本格的に潰しにくる。次は……おそらく“国”そのものが動く」
「それならもう……予兆はある。知ってる」
「なら、もうひとつだけ教えとく」
レムは、背の箱を開いた。
中に収められていたのは、全く錆びず、朽ちず、歪み一つない鉄の剣。
「……不老剣?」
「違う。これは“俺の”不老剣じゃねえ。“不完全な量産型”だ。お前にやる」
「……は?」
「使えるかどうかは知らねえ。ただ、この剣は“因子に選ばれた者”しか使えねぇ。使えたら、お前は――」
言葉の続きを告げる前に、突然上空から光が降る。
「──ロイ=カースリンク、発見。祝福軍特殊部隊、討滅作戦を開始する!」
空を裂いて、十数名の“白銀の兵士”が降下してきた。
レムが低くつぶやいた。
「言っただろ? 本当に“来る”ってよ」




