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閑話 殿は、ここに立つ(戦国時代にて)

霧が、濃かった。


火薬の匂いと、

血と、

土の湿り気が混ざっている。


視界は、悪い。


だが――

足音だけは、はっきり聞こえる。


(……来るな)


島津豊久は、

一度だけ後ろを見た。


叔父の姿がある。

馬に跨り、

まだ戦える。


(……なら、いい)


剣を握り直す。


刃は欠け、

腕は重い。


それでも――

立てる。



前方。


赤備え。


揃いすぎた足並み。

押し潰すためだけに整えられた陣。


(……あれか)


名など、どうでもいい。


分かるのは一つ。


ここを通したら、終わる。


豊久は、

一歩前に出た。


「……殿は、ここだ」


誰に言うでもなく。



矢が飛ぶ。


一矢。

二矢。


肩を掠め、

脇腹に刺さる。


だが、

足は止まらない。


(……まだだ)


銃声。


耳鳴り。


それでも、

前に出る。


剣を振る。


斬れるかどうかは、

問題じゃない。


近づかせない事。


それだけ。



赤備えが、

一瞬だけ躊躇う。


それを見て、

豊久は笑った。


(……そうだ)


(俺一人でも、

 止まる)



次の瞬間。


銃声が、

近い。


衝撃が、

胸を貫いた。


息が、

抜ける。


(……ああ)


(ここまで、か)



膝をつく。


それでも、

剣は離さない。


前を見る。


赤備えは、

まだ来ない。


止まっている。


(……十分だ)


豊久は、

最後に後ろを見なかった。


見る必要が、

なかった。


叔父は、

もう行っている。


(……殿、完了だな)



身体が、

前に倒れる。


土の冷たさが、

頬に触れる。


音が、

遠くなる。


その中で、

豊久は確信していた。


自分は、

 最後まで立っていたと。


それでいい。


それが、

殿だ。



そして――


時代が変わり、

世界が変わっても。


剣を置かず、

名を置き、

背中で守る者がいる限り。


あの場所に立った魂は、

何度でも呼ばれる。


殿として。

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