新章・第十九話 名を置く剣
村の朝は、静かだった。
戦の名残はまだある。
壊れた柵。
踏み固められた地面。
それでも――
人々は、普通に一日を始めていた。
トヨフサは、
その様子を少し離れた場所から眺めていた。
(……ここは、もう大丈夫だな)
◆
広場に、人が集まる。
昨日より多い。
村のほとんど全員だった。
年配の男が、
一歩前に出る。
「トヨフサ殿」
その呼び方に、
トヨフサは少しだけ眉を動かした。
「堅ぇな」
男は、
小さく笑ってから、
続けた。
「この村は、
剣鬼殿の剣で守られ」
「そして――
あなたの剣で、
生き延びました」
ざわめき。
否定する声は、
一つもない。
男は、
一枚の木札を差し出した。
そこには、
簡素な紋が彫られている。
「正式なものではありません」
「ですが――」
男は、
はっきりと告げた。
「この村は、
あなたを名誉騎士として迎えたい」
トヨフサは、
一瞬だけ黙った。
そして、
ゆっくりと首を振る。
「……俺は、
ここに残れねぇ」
男
「承知しています」
「だからこそ、です」
◆
ニアが、
一歩前に出た。
新しい剣を携え、
もう“逃げてきた娘”ではない立ち姿。
「……トヨフサ」
呼び捨てだった。
「あなたは、
この村の剣でした」
「でも……
ここに縛られる剣じゃない」
トヨフサ
「……」
ニアは、
少し迷ってから、言った。
「だから――」
「名前を、置いていってください」
トヨフサは、
目を見開いた。
「名前?」
年配の男が、
静かに続ける。
「剣鬼殿の名は、
この村に残っています」
「守った剣として」
「なら――」
「あなたの剣も、
名として残したい」
トヨフサは、
空を見上げた。
(……名、か)
今まで、
名を背負って剣を振ったことはない。
だが――
この村では、
剣は人と結びついていた。
◆
トヨフサは、
木札を受け取った。
「……トヨフサって名はな」
「流れ者の名だ」
「戦場向きだ」
村人たちが、
息を呑む。
トヨフサは、
続けた。
「だが――」
視線を、
ニアに向ける。
「この村に置くなら、
別の名がいい」
ニア
「……?」
トヨフサ
「トヨヒサ」
「久しく、
ここが無事であるように」
「……そんな願いを、
込めてくれ」
一瞬の沈黙。
次の瞬間。
「……ああ」
「いい名だ」
「守る名だ」
村人たちが、
深く頷いた。
年配の男が、
胸に手を当てる。
「では――」
「ここに宣言します」
「トヨヒサ殿を、
本村の名誉騎士とする」
◆
ニアが、
一歩下がり――
深く、頭を下げた。
「……ありがとうございます」
トヨヒサは、
照れくさそうに頭を掻く。
「……剣は置かねぇぞ」
ニア
「分かっています」
「あなたは――
行く剣ですから」
◆
その日の昼。
トヨヒサは、
村を発った。
背中に、
剣。
だが――
村の入口には、
小さな木札が掲げられている。
名誉騎士
トヨヒサ
名は、
ここに残った。
剣は、
先へ進む。
トヨヒサは、
振り返らない。
だが――
その一歩は、
少しだけ軽かった。
(……悪くねぇ)
剣塚の谷は、
まだ先だ。
だが、
この名がある限り――
帰る場所は、出来た。




