新章・第十四話 逃げる紋章
最初に崩れたのは、陣形だった。
トヨフサは、前に出ない。
追わない。
斬り伏せない。
ただ――
そこに立ち続ける。
剣を構え、
道を塞ぎ、
一歩も譲らない。
それだけで、
祝福騎士たちの足が、
目に見えて鈍った。
「……おい」
「何だ、あいつ……」
祝福の光を纏った騎士が、
慎重に距離を詰める。
その瞬間。
トヨフサの視線が、
一人に定まった。
殺気ではない。
威圧でもない。
ただ、
逃がさないという覚悟。
騎士は、思わず足を止めた。
「……な、何をしている!」
後方から、怒鳴り声。
「女子供を追え!
あれは一人だ!」
だが、
誰も動かない。
◆
トヨフサが、
ゆっくりと剣を振る。
狙いは――
またしても、人ではない。
地面。
――ドンッ!!
衝撃が走り、
土煙が舞う。
騎士たちは、
一斉に後ずさった。
「……っ!」
「何だ……今の……」
斬撃は、
示威に過ぎない。
だが――
誰も、それを“次も耐えられる”と思えなかった。
トヨフサは、
低く言う。
「来いよ」
「どうした」
「数が、
得意なんだろ?」
騎士の一人が、
震える声で呟いた。
「……あいつ……
前に出てこない……」
「なのに……
近づけない……」
◆
祝福の光が、
再び広がる。
だが――
トヨフサの前で、
すべて弾かれた。
「な……!」
「祝福が……」
剣を振るうでもなく、
叫ぶでもなく。
ただ立つ男に、
祝福騎士たちの心が、
じわじわと削られていく。
「……違う……」
「こいつ……
斬られたくない……」
それは、
理屈ではなかった。
本能だった。
◆
ついに、
一人が下がった。
次に、
もう一人。
「おい、戻るな!」
指揮官が叫ぶ。
「囲め!
女子供を――」
だが、
その声は続かなかった。
誰も、
前へ行こうとしない。
そして――
逃げた。
一人が、
背を向けた。
それを合図に、
堰を切ったように。
「……退け!」
「引け!」
「こんなの、
割に合わん!」
祝福騎士団が、
一斉に後退する。
剣も、
誇りも、
命令も捨てて。
イシバ家の紋章が、
朝靄の中で
逃げるように揺れた。
◆
丘の上。
西洋剣聖が、
その光景を眺めていた。
「……」
一瞬だけ、
舌打ち。
「……使えん」
それ以上、
何も言わない。
剣を抜くこともなく、
踵を返す。
彼は理解していた。
――これは、
斬り合いではない。
――恐怖で、
負けたのだと。
◆
村の外れ。
トヨフサは、
剣を下ろさない。
完全に、
気配が消えるまで。
やがて――
森が、静かになる。
風が戻り、
鳥が鳴く。
トヨフサは、
深く息を吐いた。
「……ふぅ」
その背中を、
遠くからニアが見ていた。
(……父と、違う)
(でも……)
(守り方は、同じだ)
トヨフサは、
ゆっくりと剣を鞘に収める。
「……逃げたか」
誰に言うでもなく。
「誇りがねぇと、
剣は持てねぇ」
殿は、
最後に残る者だ。
だが――
この日、
逃げたのは敵だった。
イシバ家の騎士団は、
戦わずして敗れた。
そしてその事実は、
やがて――
剣聖の名に、
消えない傷を残すことになる。




