第9話「鍵持ちの少女、と呼ばれて──私は“忘れたふり”をしているだけだった?」
図書館の最奥、誰もいない書架の隙間。
光の差さない空間で、私は声を聞いた。
「ようこそ、“鍵持ちの少女”」
声は静かだった。けれど、耳ではなく“心”に響いた。
反響のないその響きが、むしろ静けさを壊す。
誰もいない。私しかいない。
でも、確かに“誰か”がいる気がした。
「……誰?」
問いかけたけれど、返事はなかった。
ただ、空間が一瞬きしんだような感覚とともに、
本棚の隙間に風もないのに一枚の紙がひらりと落ちた。
拾ってみると、古い紙だった。
でも、そこには──私の名前が書かれていた。
(どうして……こんなところに?)
胸の奥で、きゅっと何かが締め付けられた。
頭の中が、白くなっていく。
(“鍵持ち”って……何?)
(私は、何を忘れてるの?)
その夜。
夢を見た。
本棚の影。
薄暗い空間の中。
私は、小さくしゃがんで、泣いていた。
誰もいない空間。誰にも気づかれない場所。
声を殺して、静かに、静かに、涙を流していた。
冷たい床。
こわばった指先。
ひとりぼっちの小さな背中。
自分でも理由が分からない。
でも、胸が苦しくて、ただ涙が止まらなくて。
そこで、誰かが来た。
足音も、気配もなく、ただそこに“現れた”感じだった。
不思議な光をまとっていたような、まばゆい影。
そして──
「……大丈夫?」
その声を聞いたとたん、私は、夢の中で目を覚ました。
(……知ってる。この声。聞いたことがある)
(でも、いつ? 誰?)
目覚めたとき、私は、枕を強く握りしめていた。
息が上がっていた。
まるで泣いた直後みたいに。
でも、涙は……出ていなかった。
朝、私は妙な感覚を引きずったまま、制服に袖を通した。
ふと、窓の外を見ると、ミリアが庭で剣を振っていた。
姉は、空を見上げて魔導端末をいじっている。
フロリアは、軒先の植木に水をやっていた。
(……普通の朝)
(なのに……)
その風景すら、どこか夢の続きを見ているようで。
地に足がつかない感覚が、ずっと身体を包んでいた。
(昨日のあれは、夢? それとも……記憶?)
(私、本当に何も思い出せないの?)
登校中、私はふと、ミリアに聞いてみた。
「ねえ、ミリア。私、昔……泣いてたことある?」
「えっ?」
ミリアが、素で驚いた顔をした。
「……そんなの、見たことない。ユリカが泣いてるとこなんて、一回も」
「そっか……ううん、ごめん、変なこと聞いた」
「……夢、見たの?」
「……うん、ちょっとだけ」
「なら……もう一回、夢で会えたらいいね。その人に」
ミリアの声は、やけに優しかった。
でも、その優しさの奥に、わずかに揺れるものを感じた。
彼女は、何かを知ってる? それとも本当に何も?
私はまた、胸の奥がきゅっとなるのを感じていた。
(もしかして……私、本当は──)
思い出すのが怖くて、“忘れたふり”をしてるだけなんじゃないか?
……そして、その記憶が。
私とみんなの“はじまり”に、繋がっている気がした。