第12話「レグナ視点:廃棄塔に残された“魂の記録”」
──空が、曇っていた。
私は雲の切れ間を飛ぶ。
目的地は、すでに公式記録からも抹消された“旧感情隔離施設”、通称・廃棄塔。
かつてこの塔は、感情の制御が難しい子どもたちを一時的に預かる“魔力調整隔離場”だった。
今は誰も近づかない。
でも、私は知っている。
ユリカの“空白の記憶”は、ここにある。
塔に到着した私は、古びた封印に手をかざす。
薄く残る魔力障壁は、誰にも解除されないまま、ただ風化していた。
それを王族コードで静かに解除する。カチリと音を立てて、鉄の扉が開いた。
中は、まるで時間が止まったようだった。
無人の施設。埃の匂い。朽ちかけた床と壁。
しかし、魔力の残響は生々しい。
この場所は──まだ、終わっていない。
私は奥へと進んだ。
数台の古い魔導端末と、記録結晶の残骸が並んだ部屋。
端末に魔力を通し、ログを呼び起こす。
青白い光と共に、映し出される過去の断片。
『対象:ユリカ・サフィール』
『状態:魔力暴走(極度の感情連動)』
『処置:記憶遮断処置・隔離期間 約21日間』
──やはり、ここだった。
私は手を止めた。
その横に、もうひとつの記録が並んでいた。
『同行者:記録名義なし』
『備考:同行記録者フロリア(当時識別コードF-03)』
「…………」
私は知らなかった。
フロリアもここにいた。
ユリカと共に──でも、記録には“残らない存在”として。
その奥にあった、隔離用の“カプセル室”──
扉を開けた瞬間、私は足を止めた。
薄暗い部屋。中央にある小さな寝台。
その上に、布団の形が今でも残っているように見えた。
そして、その脇の机には、三つの物が置かれていた。
一つ目。絵日記の切れ端。
『きょうは、しゃべらないできめた』
『あのひとのこえ、あたたかかった』
『ないてもいいって、はじめておもった』
子どもの字。たぶん──ユリカの手で書かれたもの。
名前はない。けれど、間違いなく彼女のものだった。
二つ目。白いスカーフ。
わずかに魔力が残っている。
私が触れると、ほんの一瞬、手のひらが温かくなった。
(魂の残滓……?)
記憶ではなく、“感情”が染みついた布。
そのぬくもりは、優しく、そして切なかった。
三つ目。記録破片。
破れた紙片。電子記録ではない、手書きの処置報告書。
『自発的選択による隔離申請』
『当人による記憶封印の意思確認、済』
その文字を見た瞬間、私は言葉を失った。
(……自分から、忘れることを選んだ?)
ユリカは、ここで──
自分の意思で、記憶を手放した。
それは、“壊れること”よりも恐ろしいことだった。
私はカプセルの中で、しばらく立ち尽くしていた。
彼女がどんな思いでこの寝台に横たわっていたのか、
どんな気持ちで声を閉ざしていたのか、想像するだけで心が軋む。
けれどその隣に、
きっとフロリアが座っていた。
声をかけていた。
手を握っていた。
──そして、ただ黙って見守っていたのだろう。
私は拳を握った。
「誰が、こんなことを──」
問いに答える者はいない。
でも、私は知っている。
あの子の心を救ったのは、ここではない。
ここで壊れなかったのは、
フロリアが“あの本”を差し出したから。
だから──
私は、もう誰にも、ユリカの記憶を“奪わせない”。
たとえこの記憶が、彼女を壊すとしても。
私は、すべてを知った上で、
あの子のそばに立ち続ける。
それが、“姉”の資格だと信じているから。