第1話「朝から魔王が侵入、妹が布団で大暴れする日常」
朝7時15分。中立地帯ユグナス市、調整庁官舎A棟──そこが私、ユリカ・サフィールの家だ。
この家には私と、姉と、妹が住んでいる。言っておくが、これは私の希望ではない。
「ユリカ〜、おはよう。ねえねえ、朝から言わせて。大好きだよ」
部屋のドアが開いた瞬間、ワインレッドの髪の女──レグナ・サフィール。現・魔王であり、姉である。開口一番、愛の告白である。怖い。
「おはようじゃないし、ドア開けるなって言ってるでしょ!? 毎朝言ってるよね!? それに、鍵閉めたよね!? 昨日!」
「うん。閉まってた。でもね、魔王っていうのはね、物理鍵に縛られないの」
「それつまり壊してるってことだよね!? ね!?」
「いいじゃない、家族なんだもの〜」
ごろごろと私の布団に潜り込んでくる姉。おそろしい。なぜそんなスムーズな動きができるのか。
「お姉ちゃん!またユリカの部屋入って! 朝は私の番でしょ!?」
ドカーンと部屋のドアが再び開く。入ってきたのは銀髪ぱっつんツンツン勇者──妹のミリア・サフィールである。現在、勇者領セレスティアを代表する存在。だが朝はただのツンデレ妹である。
「はぁ? そっちこそ! 昨日“明日は私が朝当番”って言ってたのに、4時に起きて忍び込むの反則でしょ!」
「ふふ、ユリカと同じ空間で目覚めるためなら、反則も正義になるのよ」
「ならない!! どこの裁判でも無理!!」
「ミリアも枕にユリカの匂いが残ってるって嬉しそうに──」
「それ言わないって言ったじゃん!!」
私は枕を投げた。戦争より大きな家族の喧嘩が、今朝も平和を守っている。
──中立地帯ユグナス。
魔王領インフェルマリアと、勇者領セレスティアに挟まれたこの都市は、唯一の中立地帯であり、調整庁という“世界の喧嘩を止める職場”がある場所。
200年前──世界は一度、崩壊しかけた。
女神が去り、魔王が現れ、勇者が選ばれ、各地で争いが絶えなかった。
そんな混乱の中、旧大陸の残響から作られたのが、この浮遊都市ユグナスだ。
魔力も政治も宗教も、全部“公平に見張る場所”として。国でも国連でもない、ただの中立庁。
私はそこの末端職員……のはずが、なぜか魔王と勇者に溺愛され、家庭も戦場である。
午前9時すぎ、私は制服を着てようやく玄関を出た。
「いってきます……」
「いってらっしゃい、ユリカぁ〜♡♡」
「玄関先までなら……ついて行っても、いいよね……?」
制服ではないジャージ姿のミリアが、手をそっと伸ばしてきた。妹は“勇者任務中”という名目で登校免除だが、なぜか毎朝“私の見送り”には必ず参加する。
もはや近所では“伝説のハーレム娘”扱いである。
今日も、平常運転。
調整庁会議室。午前11時。
金ピカの机、空飛ぶ椅子、浮遊ホログラム議事録──だが今、議題は「ユリカの昼食を誰が用意するか」になっていた。
「今朝のユリカ様、左頬に寝ぐせ跡。とても可愛かったです」
無表情で報告するのは、魔王軍の秘書・アシュリー。
「その件、我が軍でも観測済みです。感情指数、プラス54%」
真顔で応じるのは、勇者軍の聖騎士・セリナ。
「はいはーい!ユリカの今日のおかず、私が作ってきたんだぞー!愛情増量で!!」
脳筋戦士グリューナが巨大な弁当箱を机に置く。
「ねえ!?ねえ誰か話聞いて!?これ一応“多国間調整会議”なんだけど!?」
私は机に頭を打ちつけた。
「ユリカ調整官、そろそろ婚姻契約案の提出を──」
「出さないって何回言えばわかるの!?!?」
こうして、私の一日は静かに、でも着実に世界を救っている……気が、しなくもない。
そしてお昼前、庁舎の出口に彼女は立っていた。
「お疲れさまです、ユリカさん。今日もお美しかったですよ」
聖女フロリア・ノクターン。勇者軍直属の神聖職であり、なぜか私にだけ過保護すぎる。
「……その、“私が美しい”って表現、毎回言ってない?」
「ええ。だって、事実は記録しないと」
笑顔のまま、懐から日記帳を取り出した。
「今日は、声の震えが1.3%増加していました。ユリカさんが、少し笑ったから……でしょうね」
私の背筋がぞわっとする。
「また、来ますね。あの夜の続きを、話すために」
(あの夜ってなに!?!?!?)
今日も中立世界ユグナスは、滅びなかった──たぶん。