第三章 特別
リーリン様はあれから手を緩めることはなく。
毎日つづく嫌がらせ。
本当に根気のある方だと思う。
飽きないのかしら。
まあ。どうでもいいのだけれど。
「大丈夫かい?」
「ええ。……気にしていませんわ」
学園行事である文化祭の最中。
わたしのクラスは展示だから、交代で教室で対応するのだけれど。
わたしの時間は終わって、学園内を散策している。
お母様も早いうちに来られて、すでに帰宅している。
わたしも行きたい教室にはもうすでに回っている。
……文化祭の準備や話し合い、いろいろと振り分けられたけれど、あれもきっと嫌がらせだったのでしょうね。仕事を押し付けるという……。
お母様は今回初めて学園行事に来られたから、前の楽譜のこととか知られていない。
準備で遅くまでかかったわたしのことを心配されたけれど、楽しくて盛り上がっているからだと。単純にすることが多かったからなのだけれど、そうは言わないし、気づかれてはいけない。
学園でわたしは楽しく過ごしている。
お母様にはそう思っていただきたいから。
だからこうして友人もいなく一人で回っているなど知られたくないから、もうおられないことにホッとしている。
「文化祭、だれとも一緒ではないから。……まだ続いているのだな」
「こうしてお話している姿を見られることもよくないかもしれません。無礼をお許しください。どうかわたしに話しかけないでください。ジル王子にもご迷惑をおかけするかもしれません」
人が多いのに疲れてしまい、静かに過ごせるところをと探しているところで、お会いした。
相も変わらずわたしが浮いていることを気にされている様子で、声をかけてくださったのだ。
けれど、それこそ助長させてしまいかねない。
わたしを思うのであれば。
「……できることなどないことは承知している。というよりも君は手を貸してほしくないのだろうな。立場のある我々が言ってしまえば君を守れるけれど、それを望んていない。君はけして、我々に助けを求めていない。……あいつはそれが少し嫌なようだけれど」
……あいつ?
「君のことをどうにかしたいようだけれど、自分が原因のようだと。かの令嬢たちの事はこちらもよく知っている。……我々の婚約者候補であると言われているが、そんなことそれぞれの親から言われているわけではない」
そっと目をふせる。
……とても悲しそうな目をされている。
「あいつは人に興味がない。いつか継ぐ家業のためだろうな。誰よりも公平に平等に客観的に。そうしてきた。その結果が他者への興味関心の稀薄。誰に対しても一定の距離を保つ。……そんなあいつが。……あいつが君を見た」
まっすぐわたしを見ている。
その眼はとても優しくて、暖かくて。
ああ。
わたしを見ていない。
わたしを見たというあの方のことを思っている。
……この方はあの方を想っておられる。特別な方として。
「今の君の状況が自分たちのせいであるのであれば、原因である我々は離れるべきなんだろうけれど。あいつはそれができないようだ。……君を見ていたいようだ。……羨ましいよ。正直に伝えるよ。君が羨ましい」
「……皆様は幼馴染と伺っています。ご一緒されているところも何度も拝見しています。わたしが羨ましがられるようなことはないと思うのですが」
わたしを見たというけれど、あの方はいつだって皆様を見ているのに。
「こちらに向ける目と君に向ける目は明らかに違うよ。……こちらに対するものも特別なものだと言ってくれるし、そうだと実感しているが、それとは違う特別だよ」
そう寂しそうに笑われた。
「さて、長話がすぎたね。一緒にいるところを見られるのは君によくない。……いつだって力になる」
寂しそうなのは変わらないけれど、穏やかな笑みをわたしにむけてくださった。
……。
ジル王子はわたしを気にかけてくださっている。
身に余る光栄なこと。
大丈夫?
ええわたしは大丈夫よ。
そのまま文化祭が終わるまで時間を過ごした。
借りていた本二冊ゆっくり読むことができた。
さすがに外部の方が出入りしているから、リーリン様たちがわたしに近づいてくることはなくて。静かな時間を過ごせている。
……こんな風に学園生活を送ることになるとは。
あの子がわたしに記憶を見せてくれるから、心の準備ができている。それはとても大きい。けれどその記憶も万能じゃない。げーむというものはところどころ情報が省略されているようで。証拠を集めるのが時間がかかってしまっている。
集めたとしても、それをどう使うのかもわたしは悩んでいる。
大勢の前で断罪ということもできるだろうけれど。
それをしてどうする?
その後のわたしは生きていけるのか。
「なぁにかんがえているの?」
「ジエラ様」
スッと立ち上がって、振り返る。
後ろから声をかけてこられるとは。
「いいよ。そういう堅苦しいの。横失礼するね」
ポンと座って、にっこりと。
「……失礼いたします」
「文化祭だっていうのに、君は一人なんだね。そうさせてしまっているのは僕らのせいなんだろうけれど。だけどごめんね。君とかかわることをやめられないんだ」
こてんと首を傾けられて。
「君がアキにとって特別だから」
……。
ジル王子につづき、ジエラ様まで。
ジエラ様とはこうしてお話することは数える程度、それもほどんどが挨拶だけで、四人でお話したとしても、基本的には聞き手で。
「君がここにいるってジルから聞いたんだ。君は文化祭の間ここにいるだろうからって」
「ジエラ様はなぜ?」
「君と話がしたくて。……顔を合わせることは何度もあったのに、きちんと話をしたことはほとんどなかったから。……僕も君に興味があって。アキの眼をとらえて離さない君はつよそうだと僕は言ったけれど。確かに君は強いね。反論も抵抗も。僕たちに救いを求めることもなく。戦おうとしている。君は本当にすごい」
空を見上げて。
その横顔はとても晴れやかで。
「尊敬する。……だから僕は何もしない。君が助けを求めないかぎり。嫌がらせを助長させてしまうけれど、僕は君にかかわる。尊敬する人と話をしたいんだ。ごめんね」
春の晴れた日のように爽やかな声でそうおっしゃった。
……。
「そうですか……」
そう返すしかできなかった。
「……そういう反応なんだね。うん。君はすごい。こんなこと言われて怒ったり、嫌な顔しないで。顔色一つ変えなくて。声だって穏やかで」
そうしてしまうほどに。
「あまりにもジエラ様がまっすぐだったので」
その言葉に嘘偽りがなく、本心であり、罪悪感もなく。ただただジエラ様の心に従われていることが伝わってきたから。
そこに悪意も故意もない。
純然たる心のままに。だ。
貴族は。王族であるこの方は、わたしが身につけている貴族の礼儀作法以上に、表情も感情も思考も読み取られないように。腹の探り合いで勝てるように。礼儀作法を学ばれているだろうに。
「王族としてはダメだと言われてしまいそうだけれどね」
ふっと笑われて、わたしを見られた。
「僕は一番近くで、君の側にいるアキが見たい。君といるときのアキが一番僕は好きだからね」
またポンと立ち上がられて、くるっとわたしのほうに向きを変えられて。
「大丈夫だと判断したけれど。それを撤回することはしないけれど。いつだって君に手を貸すからね」
からっと晴れた夏の日にふく風のように涼やかにそう言い残された。
アンゼリカ。
なぁに?
ジル王子たちのこと、どう思う?
そうね。
嘘はなく、本心だと思う。お二人ともアキ様のことを想っておられる。
わたしのことを信用してくださっているのかしら。どうにかすると。
それはとても嬉しいのだけれど。
記憶みる?
……いいえ。大丈夫よ。
アンゼリカは私のことを受け入れたことで、ゲームとは違う子になっている。
この展開だってゲームにない。
アンゼリカは記憶を求めてくる部分だけを見るから気づいていないけれど、このいやがらせだって、ルートの方に助けてもらいながら証拠集めするのに。強い認定されている。大丈夫と。
さすがに心配されているようだけれど。
アンゼリカの試練に一緒に立ち向かうことでより仲を深めるイベだってあるのに。そういうのなく来ている。ただただ、お話をして、演奏して。
それだけだ。
ゲームにもそれはあったけれど。
それだけで好感度をあげられているのかわからない。お二人の話だと、リーリン様の様子からもルートに問題はなさそうなんだけど。
……たしかアキ様が選んでくださった理由は、アンゼリカの優秀さと音楽の感性。そして慈悲深さだったはず。嫌がらせをしてきた生徒たちに断罪はしなくて、話し合いで済ませて。その心に相手も改心してってなって。
アンゼリカがそうするかはわからないけれど。
どの道を行ったって私は尊重するよ。
「無事文化祭も終わって、行事ごともしばらくはないから落ち着くね」
浮き足だった空気があまり、好まれないようで。
「学業をおろそかにしてしまいそうだからね。さて。今日は合わせる前に少しいいかな?」
鍵盤から手をおろした。
「はい。アキ様」
「……君の置かれている状態は理解している。文化祭……一昨日君にジルやジエラが話をしたようだけれど。君はいうことはないのかな?」
いつもどおり。
何一つ違ったところがないのに、いつもにはない圧を感じる。
「どうしてここまでされて君はなにもしないんだ」
黙っているわたしの手をつかんで。
「これはひどいだろう」
乱暴に袖をまかれた。
……包帯がずれてしまうのだけれど。
「説明を」
……。
「……薬草で荒れてしまったので、包帯をまいています」
「手でなく腕だが」
「あたってしまったのです」
「……」
……毎日机と椅子をただしくすることからはじまる生活で、机と椅子には肌があれる薬品をつけられていて。それで荒れていったのだけれど。
少し痛々しいから包帯をして長袖で隠していたのに。
さすがに手は目立つのから治したけれど。
「そんな状態なのに二重奏をしてくれていたのか?」
「大したことございません」
「だれにも気づかれなかったのか」
制服の衣替えはあったけれど、長袖は他の方も着ていたからなにもいわれなかった。
「ええ。だれにも」
お母様にも隠した。
きっと悲しまれるから。
「君はどうして……」
「アキ様こそどうして?」
気づかれないように注意していたのに。
「……どうして、治療しないんだ?」
「え?」
「どうして手は、きれいなのに腕は治療していないんだ?」
……それは……。
「証拠のためですわ」
「え?」
「使用されたものに、調合されているもの。それは作ったかたを示すことができます。だから証拠なのです」
机から採集している薬品。
それによる被害がこの腕。
あの子の記憶。
荒れた手を治療するなかで、調合されたものがリーリン様のお抱えの医師がよく使用する薬草が入っていた。
という記憶。
だからそれを証拠にした。
その薬草はその医師の地元のものであり、産地を特定できるから。
「証拠って……」
「アキ様?」
「それでいいのか? もっと違う方法があっただろ。これではあとが残ってしまう。君は自分の体を犠牲に」
なにか勘違いされている。
「アキ様」
「君は……」
「すぐになおりますわ。あとも残りません」
「……それは……」
「さすがにそこまでの強力なものではないのです。同性だからでしょうか。何がいやかはとてもよくご存じなのですか、と同時に、同性として哀れんでおられるから。あとが残るということにはならないようにと……。お優しいですわね。その気になればわたしなど適当に処分できるでしょうに」
そうよ。
学園では対等の生徒だけれど、一歩出れば明確に上下がある。
簡単に壊してしまえるのにそうしなかった。お優しい。
「この程度どうでもいいのです。わたしの望みを叶えられるのであれば」
「……そうまでして叶えたいものは何なんだ」
「お母様が幸せであることですわ。そのためなら何でもいたしますわ」
にっこりと笑いかける。
手もそっと外して、袖を直す。
「……君はほんとうにどこまでも……」
アキ様の顔があがって、まっすぐわたしをとらえられて。
「特別だよ。君は」