第二章 悪役令嬢
二重奏が行われた次の日から。
アンゼリカに対する嫌がらせが始まった。
まず、教室で誰も話しかけなくなった。
無視から始まった。
話しかけると。
「あ。そうだ」
そういってすっといなくなろうとする。
……。
「そうですか」
小さくつぶやいた。
案外問題ないものなのね。
アンゼリカ……。
誰にも話しかけられなくても。誰とも話さなくても。授業に影響はないわ。
そう。アンゼリカが気にしてないのならいいけれど。
「……ここにいたのか」
ジル王子。
「いかがされましたか?」
こうしてお話するのは久しぶり。
アキ様とご一緒の時にお姿を拝見することはあったけれど。
「教室は問題ないのか」
……?
「以前は話をしていたようだか、それがなくなったように見えるが」
……教室が違うジル王子にまでそのことを気づかれているとは。
「何もかわりないですわ」
にっこりと笑う。
「……ならいいが」
スッと視線をそらされた。
「あーいたいた!」
大きな声が響いた。
「……うるさいぞ」
「さがしたんだよー。って君も一緒だったんだね」
スッと頭をさげた。
「うん。つよそうだね。無理のないように」
そういってパッと花が咲いたように笑顔を浮かべて、ジル王子の腕をつかんで、立ち去られた。
ジル王子たちが気づいているということは、アキ様にもそのうち。
それをあの方がどう思われるのだろうか。
……なにも感じていないわたしを見て、あの方はどう思われるだろうか。
……アンゼリカ。
なあに?
何も感じていないのは、それは記憶をみて前もって知っていたから。
あなたの問題ではなく、私の問題。
私の存在が邪魔なのなら。
それはないわ。
あなたが邪魔なわけない。あなたはわたしなのだから。
「……ああ。来たんだね。よかった」
「アキ様」
音楽室の前を通った。
「少し練習していたんだ」
アキ様が演奏されていたのね。
とても落ち着く音色だったから、思わずのぞいてしまったのだけれど。
「合わせてくれないか? この前の二重奏。とても楽しかったんだ」
穏やかな笑顔と差し出された手に。
そっとわたしの手を重ねた。
「何を弾こうか」
鍵盤に手を乗せたわたしを見て、うんとうなづかれた。
アキ様とまた合わせたけれど。
その間ずっと視線を感じていたわ。
リーリン様はわたしのあとを追ってきていたのかしら。
そうだね。
アキ様といっしょにいるときはたいていついてきているよ。
あら。暇なのかしら。
アンゼリカ、手厳しいわね。
ふふふ。
……あのね。この後アンゼリカに降りかかる嫌がらせなんだけれどね。
ええ。記憶をみて知っているわ。
大丈夫?
大丈夫よ。
ちゃんと証拠も押さえるわ。
そうしないとやめていただけないものね。
それはそうなんだけれど……。
今のところゲームと大きく変わったことは起きていない。
といってもゲーム内の時間は早いから次々行事が起きる。だから細かい日常生活はわからないところがあるんだけれど。
問題ないわ。
だって。
あなたがいるもの。
くすくすくす。
なあにあれ。
「……聞こえているのだけれど」
無視の次は。
「机……」
ひっくり返っていた。
教科書は持って帰っているから空の机なのだけれど、脚が上になっている。そこに椅子も同じように脚が上になっていて。
……カタカタと直して。
何がしたいのかしら。
……ああ。そこから視ているのね。
廊下におられた。
ああそういえば、リーリン様のご友人がいたのだった。
だから無視も机もこんなことができたのね。
さて。だれがしたのか。
実行した方は……。
目だけ動かして。
記憶によると彼女なんだけれど。
視界にとらえて、彼女の視線の先を追うと……ああ。リーリン様を見ている。
わかりやすいわね。
それが毎朝行われた。
大変よね。朝わたしより先にきて、ひっくり返して。
そこから花が添えられ始めた。
一輪だけ。
花の種類も異なっていて。
毎回違う花を用意されるのも手間だと思うのだけれど。
どうかしら。
……アンゼリカはそういう視点なんだね。
私にはなかったかなその考えは。
あら。あなたはこれが嫌だったみたいだけれど。
うん。繰り返されることはあまりにも小さくて。何がしたいの?っていう疑問でいっぱいでしんどかったわ。
他の方のは罵倒だったり、陰口だったりわかりやすいものだったけれど。
敵に回したくないと言っていたけれど。もしかしてこういうこと?
ええ。そうね。
リーリン様ってとっても真面目な方で、細かいことをされるのがお好きみたいね。
ここから気をつけてね。
それからリーリン様の嫌がらせは、行事にも絡めて行われた。
教科書が隠され。
音楽発表会では、楽譜を盗まれて。
下駄箱には掃除のゴミがいれられて。
その間も、机と椅子とお花は変わらず行われて。
それでもアンゼリカは顔色一つ変えないで。
泣き言を言うこともなく。
変わらず笑みをうかべて、アキ様とお話をし続けた。
「少しいいかしら」
リーリン様に声をかけられた。
あれからアキ様とは音楽室で二重奏をして、図書館では互いのおすすめの本を紹介したり。お話を度々させていただいている。
図書館ではジル王子たちもおられる時があるから、四人でお話しているわけなのだけれど。
「あの方がたと親しくしているようね」
憂いに満ちた表情。
だけれど、声はとても厳しい。
「……お優しい方がたなので。わたしのようなものにもお声掛けくださいます」
スッと目をさげて、視線を合わせない。
「ええそうね。とても皆様お優しいわ。……教室で一人でいるあなたを見て、ジル様たちがとても気にされていたそうで。だからお声掛けされているのね。同じ学年の生徒で、貴族のものが交友関係を築けていないことに憂いておられるのよ。……このままではあなたの家が終わってしまうことが」
……。
「お母様。おひとりなのよね。だからあなたは少しでもいい家柄の方と結婚して、その家から援助を求めている。大事なことだわ。家を守ること。それは当主をつぐ長兄だけでなく、その家のもの皆の務め。あなたがしようとしていることはとてもいいことだわ。あなたは自分の見せ方をよくわかっている
。そうすることで皆様がどう思うのかも」
そっとわたしの手にご自身の手を重ねられた。
……驚くほどに冷たい。
体温がないのかとと思うほどに。
「けれど。あまりにも身分差があるわ」
ギュッと爪をたてられた。
「あなたの家とあの方の家と。私の家と。どうかしら。賢いあなたならどことどこが近しいかわかるわね」
……爪が喰いこんでいく。
「かわいそうで賢いあなたならどうすべきかもわかるわね」
そういうと、スッと距離をあけられて、カップを口に運ばれた。
……冷めただろうに。
せっかく良い香りの紅茶だったのに。
「……リーリン様」
「なにかしら」
「リーリン様はわたしを賢いとおっしゃってくださいました。恐れ多い評価にございます」
「あら。私は他者の評価について間違っているとは思っていないわ。実際あなたは賢い。先日の試験でも上位だっだ。……あの方との二重奏。それもチェロ。あの方があなたを評価している。あなたは、あの方のお眼鏡にかなった」
キィとにらまれた。
……そのような眼をされる方だったとは。
「リーリン様。わたしがあの方と結婚することで、家への援助が得られて、家が守られると本気でお考えですか?」
「あらちがうのかしら。だからあなたは、自分の家にとって良いと思われる方と親しくなり、つながりをつくる。……たとえ結婚できなかったとしても、つくった縁を活用することもできる。あなたは、この国で力のある方に近づいている。あなたはあの方たちを利用しようとしているのね」
……利用か。
「リーリン様」
「……なにかしら」
「あの方がわたしに利用できるとでも? それこそ恐れ多い。わたしごときがあの方を利用するのなどできるわけがありませんわ。……確かにリーリン様のおっしゃるとおり、わたしは家のために、婚姻を考えています。そのために少しでも、良い家柄の方と。それは否定いたしません。だからこそ。あの方を利用するなどありえないのです。利用できるほど。あの方たちはわたしに」
冷めた紅茶をくっと飲み干して。
「手を差し伸べるなど考えていませんもの」
そう。
問題ないかと声をかけられたあの時の眼。
つよそうといって笑った顔。
二重奏にお誘いくださった手の温かさ。
全部。わたしなら問題ないという評価だ。
「リーリン様はわたしをかわいそうとおっしゃった。憐れんでいる。だから、他家を利用して、他家にお願いして家を守ろうという思考にいたった。……ええ。その考えはありましたわ。援助は多少あるでしょう。けれど、わたしは娘です。家を継ぐ男児はいません。嫁にいけば家はどうしたってなくなります。リーリン様の家を守るは家が存続することをさしているのでしょう?」
「……家が守ることはそういうことよ。なくなっては意味がないわ。だからあなたはあの方と親しくなって、お金で家を守り、子どもをあなたの実家に戻すのでしょう? それか、あの方のご親戚すじを連れてくるのかしら」
「その考えもございませんわ。わたしの都合で子どもの道を決めるなどしたくありませんもの」
にっこりと笑って。
「リーリン様。わたしの家を守るというのは、お母様が幸せであることですわ。そのためにあの家が必要であればあの家を残します。いらないというのであれば、なくします。家は母なのです」
まっすぐ見つめる。
「それに、そのようなことをしたとして。そうするわたしのために、あの方が手を貸してくださると?」
不敵な笑みを浮かべている。
「母が幸せであることをわたしは望みます。その望みのために、なんでも利用する心意気ですが、そんなことをしても、母は喜ばないでしょう。それに、あの方はそんなわたしを側に置くなどしないでしょう」
スッと立ち上がって。
「失礼いたします」
いうだけいって。
席をたった。
ねえ。
なあに。
あなたがいてくれてよかった。
怖くなかったわ。
アンゼリカの役に立ったのならよかった。
……でも、リーリン様はあまり良い想いではないと思うけど。
関係ないわ。
わたしは、わたしの思ってことを言ったまでよ。
わたしの望み。願い。
わたしはわたしだわ。
……。
その日。アンゼリカはいつもより早く就寝した。
疲れてたんだろうな。
気を張ってたんだね。
……。
アンゼリカは思ったよりも強いのかもしれない。
あんなふうに言えてしまうなんて。
……寝顔。穏やか。
ねえ。アンゼリカ。
あなたは本来ないはずの記憶のせいで、本来のあなたではなくなってしまっているのでは?
私が生まれて。
アンゼリカのことを私は知っている。
心の優しい、キレイな子。
可憐で、たおやかで。
誰よりも母親の幸せを願っている。
だからこそ。
強くて、賢い子。
悪役令嬢なんかに負けないだろうけれど、それでよりこの子が苦しい想いをするのは嫌。
何があっても守るよ。
それが私にできることだから。
しなくちゃいけないことだから。