「第十三話」双竜激突
「寒いよね、でもちょっとだけ我慢してね」
朦朧とするイフウの意識の中に、最早「寒い」という感覚を感じるだけの余裕はなかった。手足は完全に凍りつき、かろうじて頭が動いている……といっても、所詮は周囲の変化を感じ取る程度のものだった。それが何によって引き起こされたのか、自分にとってどんな効果をもたらすのか……そして自分が何をするべきなのか、そういった思考に繋がらないのである。
「私ね、頑張ったの。ハクラに会いたくて、会いたくて……ずうっと、ハクラが刻んでくれたこの傷が疼いてたの」
白い女、いいや白竜。
それに該当する超存在のしなやかな背中には大きく深い傷が刻み込まれている。刀傷と呼ぶにはあまりにも大きく広く、どちらかといえば火傷を負ったかのような傷だった。
痛むはずのその傷を、白竜は愛おしそうにさすった。その度に体中に焼け付くような痛みが走る、それはそれは泣き叫ぶような痛みが……だが。
「ああ! やっと会えた! 私との約束を守ってくれた、子孫の肉体に自分の魂を転生させて……楽園にも行かず、そんな面倒くさいことをしてまでこの世に留まった!」
痛みは最早、白竜にとっては抱擁のようなものだった。それが、「女」としての白竜が愛した存在から、唯一貰った贈り物だったから。──前提として、妖魔に人の愛はわからない。故に魔物の頂点である竜にとって、この白竜にとっての「愛」とは、愛した相手の身体や心に少しでも自分の証を……傷を、痛みを、苦しみを。そういったものを残すことに等しいのである。
「それほど貴方は私が好きだった! 私も好き、好き……大好き! ──だから」
故に、それにとっての「愛」とは暴力だった。
「私のおめめ一個あげるから、ハクラのおめめもちょーだい! ──契約だよ、これでずっと一緒に居られるねぇ!」
白竜は自分の右目に指を突っ込み、躊躇いもなく眼球を引っこ抜いた。同時にもう片方の目が……白く華奢で、冷たく鋭い凶手が、動けないイフウの目へと向かっていく。
(……)
思考すらままならないイフウだったが、本能的に死を察知した。走馬灯を見るのはこれで二度目だが、何度見ても心地の良いものではない……同じ場に居たシュラはどうなったんだろう、無事にこの場から逃げているといいな。結局棟梁としての責任は、なにも果たせなかったな。……僕は、ハクラじゃ────。
「盛ってるとこ申し訳ないんだけどさ、こいつはハクラじゃないよ」
どうしようもないイフウは、緩やかに感じる時間の中でそれを見た。
放たれる拳、それから溢れ出る爆炎……しかしそれらは炎ではなく、妖気によって形作られた似て非なる煉獄である。炎を纏った拳は、そのまま銀世界の王の脇腹へと吸い込まれていく。
「──かはっ」
「それと、契約なら私が先に結んでるから。私とこいつが契約を破棄しない限り、アンタはイフウと契約できない」
ふっ飛ばされていく銀世界の王、白竜。間合いから外れた途端に銀世界は崩れていき、イフウの身体は自由を取り戻した。悪い夢でも見ていたかのような、そんな気持ち悪さを覚えるかのような……とにかくイフウは刀を握りしめ、その二体の竜の対峙を見ていた。
白竜は殴られた箇所を気にすること無く、しかしふらふらと揺らめいていた。その様子は先程とは様変わりしており、困惑の奥に怒りが見えた気がした。
「……イフウ? だれ? 違うよお姉ちゃん、その人は……」
「イフウだよ、ハクラにそっくりな……全く別の人間」
怪しい炎は赤竜、ホムラの身体を包んだ。轟々と燃え盛るそれは闘気の如く、天高く燃え盛る柱のように形成されていく……それとは裏腹に、イフウは彼女の背中から悲しさを感じた。
「アイツラの呪いは、ここで断ち切る。──来い、白竜……私の忌まわしき妹」
「──元凶のくせに、偉そうに言うな。半端者の赤い竜」
──瞬間。
身震いするほどの冷たき烈風が地を嬲り、身を焦がすような熱き爆風が空を抉った。
天と地、両極を揺るがし脅かすほどの力の正体は、紛れもない「竜」だった。




