小銭探しの桃下台みちる
白心が山から下りて、習慣にしていることがある。
それが町の散策だ。散歩とも言う。
学校のある平日は毎日とはいかないけれど、できる限り歩く事にしていた。
それは運動のためであったり、この町の地理を覚えるためでもあるが、やれば案外楽しい。
そして、その日も白心は散歩していた。
公園に到着する。緑山公園は山の下に作られた一般的な公園と比べると、やや大きい。近くには土産屋も建っている。
時折、団子の屋台が出ていたりもするが今は休日の朝九時だ。屋台はたたまれて、もちろん団子も売っていない。
すがすがしい朝だ。
人はまだ誰もいない、と思ったが一人の女性が白心の視界に入る。
「うん、誰もいないよね」
白心の耳にその小さな声がして、それには聞き覚えがあった。辺りに人がいないのを確認して、声の主は自販機の前にしゃがみこむ。
そして自販機の釣り銭取り口に手を入れる。
「……お、あったー」
取り出したのは十円玉。嬉しそうに顔を綻ばせて、手に取った十円を見つめる。
白心はその間に少し近づいて、その顔を見て確信する。
「みちるさん、こんなところで何をしているの?」
「ひゃい」
とおかしな声を上げて立ち上がるのは桃下台みちる、白心と同じ囲碁部部員だ。
そのままゆっくりと後ろを振り返って、その人物の顔を見て緊張した表情が安堵の表情になる。その姿は普段の制服ではなくて私服だ。
「なんだ、白心君かー。びっくりしたよ」
「驚かすつもりじゃなかったんだけど、何してたの?」
「ああ、これだよ。これ」
と言って、みちるは掌の十円玉を白心に見せる。そして小さなポーチから猫の形をしたものを取り出す。
すると、その猫の口部分のチャックを開いて、十円玉をそこに入れる。
「これ、貯金袋なんだ。だから、今日の成果をここに入れていくの」
「成果? 自販機のおつりじゃなくて?」
「うん、成果だよー。私が自販機を巡って、毎日下を向きながら歩いて見つけた素敵な硬貨たち」
みちるが愛しそうに猫の形の貯金袋を見つめる。みちるは普段からお金が好きだと公言している。もちろん囲碁部でもそのことは周知の事実で、白心もその事は知っている。
お金好きといっても、みちるのは特殊な部類に入る。みちるは一万円札を嫌い、一円玉を好む。つまり、みちるが好きなのはあくまで硬貨で、紙幣には興味が無い。彼女の財布には札束が入ってない、と都市伝説のように学校内で噂されるほどだ。
「白心君は、ここで何してたの?」
「ただの散歩だよ。休みの日は家にいても暇なんだ」
「ふうん……そうなんだ」
そこでみちるは少し考え込む。そして、うんと頷いて口を開く。
「じゃあ、これから私と打ちに行かない?」
「ありがとうございました」
碁盤には白と黒の碁石がきれいにしき詰められている。
白心が黒、みちるが白番で打ち終えた碁の終着点が並べられ、その勝敗もまた決していた。
「ありがとうございました。いやー、偶然にも勝っちゃったみたいだね」
みちるは言いながら正座の姿勢を崩して、強張った体の力を抜く。
勝者は白石、みちるだ。偶然にも、という言葉に白心は首を振る。
「偶然なんて、そんなことはないよ。序盤からうまく地を稼がれたのが苦しかった」
例えばこの辺とか、と指差して盤上の碁を振り返る。
白心とみちるの二人は近所の公民館に来ていた。きれいに敷き詰められた畳部屋に、辺りは二人と同じく碁を打つ人が何人もいる。
この公民館は普段は近隣の住民に解放されている。そのため申請さえあれば自由に使う事ができる。だからこうして、休みの日に時折囲碁好きを募って碁を打つ場として解放している。
その主催者である男、桃下台茂はみちるの祖父だ。
白心とみちるの対局をじっと横で観戦していたその祖父が、後の検討をしている二人に口をひらく。
「うん、良い碁だったよ。みちるもだいぶ様になってきたようだ」
「えへへー、毎日囲碁部で打ってるからね。おじいちゃんにもすぐに追いついちゃうから」
そう言ってみちるは嬉しそうにはにかむ。白心が打った感じだと、みちるはかなりの腕だ。そのみちるにまだ「そのうち追いつく」と言わしめるその祖父の実力はかなりのものに違いなかった。
「えと、それから大鳳君、だったか。いつもみちるがお世話になっているようだ」
「そんなことないですよ。むしろ僕が助けられてます」
みちるの祖父、茂は次に白心へと話しかける。
上手が下手の碁を見たときにかける言葉と言えば、それは助言しかない。
こういう機会は大切だ。碁に限らず上には上がいるとはいっても、より強い人に教えてもらえる機会というのはそうはない。
「うん、悪くはなかった。悪くはなかったのだが……やはり碁そのものに力がないな。おそらくまだ自分の碁をものにしていないとみえる」
自分の碁、と白心は気になる言葉を復唱する。
「ああ、例えばみちるであれば、とにかく実利主義だ。厚みや勢力、模様みたいな碁全体に作用する要素はいくつもあるが、そのうちの実利をこの子は重視して碁を打つ」
「まあ、実際には実利だけ見て打ってる訳じゃないけどね」
祖父の言葉にみちるが付け加えて説明する。
「おじいちゃんの言いたい事は何となく分かるよ。白心君の碁はあんまり色がないんだ」
「色?」
白心が頭に疑問符を浮かべる。
「おそらく特色、のことだろう。みちるはもう少し言葉を的確に使えるようになるべきだな」
祖父茂が目を細めて孫を見る目は優しいだけでなく、厳しさを帯びたものになる。
「それはともかくとして、みちるの言いたい事はそれなりに的を射ているな。囲碁は人間性とか個性とか言ったものが色濃く出てくる。これは囲碁が、もともと占星術の一つとして存在していた事にも関係するが……」
その話はまたの機会にしようか、と横道に逸れようとした話を自ら修正する。
「大鳳君にはその個性が薄い。もう少し、自分の碁を見つめ直してみるといいだろう」
「……はい」
ありがとうございます、と白心が謝辞をすると祖父茂は満足そうに他の知人の碁を観戦にいく。そこでようやく白心も足を崩して楽な体制になる。
「なんかごめんね。おじいちゃんいると、やっぱり気を遣うよね」
みちるは白心が足をさすっているのを見て、申し訳なさそうにする。
「そんなことないよ。良いお祖父さんだ。それにしても」
と少し離れた場所にいる祖父、茂を見ながら。
「ずいぶんと的確に言い当てられた気がするよ。一局で個性とか自分の碁、なんて話が出るなんて思わなかった」
「うん、おじいちゃんは元プロで、人の碁見るのも教えるのは慣れてるからね」
「プロ!?」
白心は驚きながら再び彼を視界におさめる。
「個性、か」
そんな風に呟く白心は、真っ白な自分の心の正体のことを思うのだった。