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3/22『湖のコ』

 そのコは昔から湖に棲んでいる。

 身体は完全に同化していて、湖面から外を見ようと顔を上げると、周囲の水も一緒に引き上げられた。

 近隣に住む村人はそのコを"ココ様"と呼び、親しんだり、信仰したり、畏怖したりしていた。

 その湖では不思議なことが起こるという言い伝えがある。

 落としたものがいつの間にかほとりに置かれていたり、溺れそうになった動物が泳いでもないのに岸に移動して助かったり。

 その生き物の多くは、人間の子供だった。


「おんなのこがいてね? あそぼーって言ったのに、『まだ早い』って」

 濡れた身体を拭かれながら男児が湖を指す。

「それはココ様じゃな」

 村の長老が言った。

「ここさま?」

「ココ様はこの村の守り神。この湖に棲んでるんだよ」

 そばで親子の安全を確認した駐在官が説明する。

「ずっと?」

「そう、ずっと」

「ふぅん」

「とりあえず、今日はかあちゃんと一緒に帰んな。日が暮れるとこの辺りは暗いし寒くなる」

 状況が把握できていない男児の頭を、捜索隊のリーダーをしていた消防団長の大きな手が包んだ。

「はぁい」

 母親は、捜索に出ていた村人たちに何度も礼を言いつつ、男児の手を強く握って帰路を辿る。

 男児は湖に向かって手を振りながら母に連れられ、その場を去った。

「花はあるか?」

「あぁ、ここに」

 村人の一人が小さな花束を長老に渡した。

「うむ、ありがとな」

 長老は花束を湖に手向けて手を合わせむにゃむにゃと経を唱え、村人たちもそれに倣った。


 翌日、湖のほとりに男児がしゃがんでいた。母親にキツく言われたようで、湖面からある程度の距離を保っている。

「まもりがみ? なの?」

 男児の質問にココ様は頭を振った。周囲の水もチャプチャプと揺らぐ。

「でもぼくをたすけてくれたよね」

 ココ様の声の代わりに泡がプクプク浮かび、小さく弾ける。

「まだはやいから? うーん、よくわかんない」

 泡がプクプクピチパチ。

「おかあちゃん……うん、心配するかも」

 プチプチパチン。

「わかった。きょうはもうかえる」

 ココ様が頷く。

「あしたはおやつもってくるね!」

 男児は手を振りながら駆けていった。

 誰もいなくなった森に、泡の弾ける音がする。

『そういう意味じゃない』

 ココ様の“声”に、森の精霊たちが楽しそうに笑った。


 翌日。

 宣言通り“おやつ”を持って男児がやってきた。湖に向かって差し出すが、ココ様は頭を振る。

「食べられないの? そっか……」

 ガッカリする子を慰めるように、泡が鳴った。プチピチパチ。

「うん、ぼくたべる」

 湖から離れた倒木に座り団子を食べる子を見守るように、ココ様は湖から顔を出す。

 鼻の途中までしか出ていないその顔は湖と同じ薄い水浅葱色。長いのであろう髪は途中から湖面と同化している。瞳だけが黒く、周囲の安全を守るように視線を流している。

「ごちそーさまでした」

 団子を包んでいた竹の皮を懐に入れ、着物で手を拭った。

「ここさまはさぁ」

 子が質問しようとしたとき、遠くから声がした。子の名を呼ぶ母の声だ。

「あっ、かあちゃんだ!」

 飛び跳ねるように立ち上がった子は、ココ様に「またね!」と手を振って声の方へ駆けて行った。

 湖面でポコンと大きな泡が弾ける。ココ様のため息だ。


 子は成長するにつれ湖には来なくなっていった。勉強や仕事やと、やるべきことが増えると足は遠のく。

 ココ様は安心したような寂しいような気持ちで、湖の周囲の安全を確認して過ごした。


 どれだけの年月が経っただろうか。

 一人の青年がほとりに立って湖に声をかけた。

「ココ様、いますか?」

 ……ちゃぷ。

 ココ様が目を出して声の主を確認する。

「お久しぶりです、覚えていますか。子供の頃、命を助けて頂いたんですけど……そんな子供、けっこういますかね」

 ココ様が首を振った。覚えている、と泡が弾ける。

「よかった」

 青年が笑みを浮かべた。

「僕、警察官になることにしたんです。学校へ行かなければならないので一時的に村を離れるのですが……絶対戻ってくるので、一緒に村を守らせてください」

 ……ぷくん。

 泡が弾けて、ココ様が少しだけ潜った。上目遣いのその瞳には、嬉しさと恥じらいが滲んでいる。

 青年は爽やかに笑って、約束です、と花冠を湖に手向けた。


 数年後、青年は警察学校を卒業し、駐在官として戻ってきた。

「ココ様」青年が優しく声をかける。「見てください、制服を支給されました」

 ……ちゃぷ。

 ココ様が顔を出した。その頭には……

「あ」

 青年は嬉しそうに微笑んだ。

「とても、似合ってます」

 薄い水浅葱色に包まれた花冠は、手向けられたあの日と同じく、瑞々しい花を咲かせていた。

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