悪役令嬢の断罪現場に居合わせた私が巻き込まれた悲劇
学園の卒業式の後である送別会のこの日、悪役令嬢と陰で揶揄されていた公爵令嬢が、皆の前で断罪されました。
……正確にはされています。今現在……
私は会場の端で大勢に囲まれ膝をつく、かの令嬢を人垣の外から眺めておりました。
実は我が家はあの家の分家筋。かと言って気位の高いあの方は子爵家の私の事なんて歯牙にも掛けていませんがね。
実際一年間学園で過ごして、一度も話した事もありません。存在すら認識されていない可能性大です。
クスクスと下品な笑い声に囲まれる中、あのご令嬢────フィラデラ様はどんな表情をされているのか。背後で、しかも俯けるその顔はこちらからは当たり前ですが見えません。
「フィラデラ、お前には失望した。今後一切私とルビィの前にその顔を見せるな!」
息を飲む会場の雰囲気も端までは伝わって来ないものです。流石に動けませんが、心の中では言わせて貰います。
王子、お前────大人気無いな!
チラリと王子の隣に並ぶ女子生徒に目を向けます。
王子は公爵令嬢である婚約者を捨て、男爵家出身である彼女と恋人なのです。だから彼女を公の場で断罪するのは、今後二人の仲を深めるのに都合の良い話なのでしょう。ですが────
権力を私物化するな! 勘違い野郎!!
もう脳内での暴言なのでね、好き勝手言わせて貰いますよ。
って言うか私あの男爵家のお嬢さん嫌いなんですよ。なんですか、あの人。誰彼ともなく親しげで。以前、そんな馴れ馴れしくされる謂れは無いと、首を傾げただけで、泣きながら王子にチクリに行きましたからね。勿論私は逃走しましたよ。三十六計逃げるに如かずです。
あんな感じなので、男子生徒しか友達いなくて、それが理由で女子生徒から敬遠されてるんですよ。
王子が味方なので誰も何も言いませんが、皆思うところはあると私は踏んでいます。王子見る目無いな────とか。
そんな私なので、どちらかと言うと気持ちはフィラデラ様寄りなんですよね。
あの方はよく癇癪起こしておりまして、それを取り巻きが怯えている様を見た事があります。
まあ怖いですよね。正直近寄りたくありません。
だけど……
ひとしきり憤った後の彼女の顔は悲しそうで、嫌いになりきれないものがありました。遠目ではありましたが、私はフィラデラ様を応援しておりましたよ。
王子はこれで卒業ですから、フィラデラ様と一緒に在学生となるルディさんを配慮してのこの所業なのでしょうが……
正直あまり正義は感じませんね。いじめに見えます。
「トリア・サンディーン」
「ひゃっ?!」
突然名を呼ばれ、そしてそれに反応した私に会場の視線が一斉に刺さります。
慌てて口を塞ぎますが、どう見ても時既に遅し、名前を読み上げていた侯爵令息が訝しげな顔でこちらを見ています。
……しまった。一人の世界に入り過ぎた……
私は背中に嫌な汗が流れるのを感じました。
◇
「何か?」
侯爵令息が面倒そうに口にします。……勝手に人の名前を呼んでおいて随分な言いようですが、場の空気を壊した事には変わりありません。そこはごめんなさい。
「なんだ、サンディーン。何かあるのか?」
何も、と返事をする前に王子が余計な一言を加えて来ました。本当この人ろくな事しませんね。
首を横に振ろうとする前に反対隣の伯爵令息も口を開きます。
「もっと酷い現場を見たという証言じゃないか?」
違います。
けれど、王子は成る程と首を縦に振り此方に向き直ります。
「そうか、分かった。発言を許そう、サンディーン。この際この女の罪は全てこの場で洗いざらい吐き出させる!」
「……」
「真実を話せ、サンディーン」
「……」
困りました。
実は私、頭良く無いんですよ。
こういう時どうしたらいいのか分かりません。この人たちの言う真実って嘘の事ですよね? でも私は一応公爵家の遠縁で、立場を悪くするのはよろしくなくて……
ぐるぐると回り出す頭が、顔色に出てきたのか、近くにいる友人が気遣わしげに、大丈夫? と声を掛けてきました。
「はい! 大丈夫です!」
「……」
……しまった、返事を間違えました。空気感半端ないです。どうしましょう。
そこで私はハッと気がつきます。そうでした、困った時は父の教え────
「サンディーン。お前の署名のあるこの書類に書いてある。フィラデラの所業、間違いないな?」
どっかの代官の台詞みたいですね。
しかし私は首を傾げます。はて?
「サンディーン!」
ぼけっとしているように見えたのでしょう。王子が急に大きな声で名前を呼ぶものですから、肩を跳ねさせましたよ。
もう、少しくらい考える時間を下さいよ。短気な人ですね。
私は胸に手を当て、一つ息を吐いてから王子に目を向けます。
「殿下、私は署名していません」
◇
……さわめいていた会場が水を打ったように静かになりました。
え? 本当の事ですよ?
「何を言っている?」
王子は不機嫌顔で問いかけてきます。けど、何をと言われても……私は再び首を傾げました。
「私は……書類にサインはしませんよ。親に禁止されているのです。それこそどんな小さな約定だろうと」
はい、私前述したように馬鹿でして。
親に下手な事に巻き込まれないようにと、心配というか信用されていないと言いますか……
へらりと笑うと、近くの友人がうんうんと頷いているのが見えますが、少しだけ悲しいのは何故でしょう。深く考えない事にしておきます。
「もういい! ではここに書いてあるものをお前は見たか?」
そう言って王子が掲げる書類は豆粒で……そんな小さな字見えませんよ。何者だと思われてるんでしょうか……
思わず口をつぐめば、沈黙が気に入らなかったのか、隣の伯爵令息に読み上げさせました。
「ルディを階段から突き落とした。皆の前で誹謗中傷をした。突き飛ばした。足払いを掛けた。水を掛けた。食事をひっくり返した。教科書を隠した……」
こ、子どもじみていますね。やられる方の物理的及び精神的ダメージは大きそうですが……公爵令嬢の発想がそれでいいのかと。あまり人の事言えませんが。
「……」
伯爵令息が読み上げた文章を聞き終わり、彼らは揃ってこちらを見ます。
……今更ですが、彼らは何故私なんかに拘ってるんでしょうね。流してそのまま話を進めれば良かったのに。
無言の圧力を感じ、私は逡巡します。
前述した通り、私は公爵家の遠縁です。ですが王族と事を構えるのであれば、優位性はそれは王族でしょう。しかしですね、更に前述したとおり、私は馬鹿で……こういう時どうしたらいいのか分からないのです。
そして迷ったら父の教えを優先せよと聞いています。
いいですね、お父様。いきますよ?
私はぐっと一度目を閉じ、王子を見ました。
「殿下、私はその書類に書いてある事を目にした事がありません」
……父の教え……嘘ついちゃ駄目! 絶対!
◇
「馬鹿な!」
殿下は怒り、そして笑いました。
「お前、もしかしてこいつに同情しているのか? こいつがここで這いつくばってるのは、自分がしでかした罪故だ。何も間違っていない」
私は思わず眉間に皺を寄せました。
「私は見ていませんし、書類に署名をしていません。……であるならば、その書類は偽物。誰かが偽造した事を考えられませんか? 偽物の証拠にどんな価値があるんです?」
「な! 貴様、ルディを嘘つき呼ばわりするのか?」
「……その書類を作ったというのがルディさんだと言うのなら、尚更……私はルディさんと話した事はありませんので」
話しかけられた事はありますが、返事は首を傾げただけなので、あれはノーカンですね。
「……っ!……なっ」
声を詰まらせる王子に、すかさずルディさんが枝垂れ掛かります。
「マルスごめんなさい、数が多くて! 証拠集めにはお友達に手伝って貰ったの! きっとその人たちが間違えてしまったんだわ!」
「そ、そうか……」
ほっと息を吐いて、王子はルディさんを抱きしめます。
他所でやってくれませんかね、それ。
ルディさんの言葉に王子はふふんと鼻を鳴らせて勝ち誇った顔をしています。
「それなら仕方がないな」
「何も良くありませんでしょう?」
私は不思議に思って首を傾げます。
その台詞に、王子の側近たちは苦虫を噛み潰しているような顔をしていますから、理解していると思われます。
けど王子は相変わらずで。
「何だと! 何故だ!」
とか言ってます。……私以上に馬鹿ですね、この人。
「ですから……信憑性の無い証拠に何の価値があるんですか?」
「……」
水を打ったような静けさの会場が、温度まで下がってしまいましたよ。居た堪れない……
「お前は嘘を言っている!」
途端に王子が叫びます。
その案に乗ったように側近たちも勢い込んで私を非難します。
「どうせルディの美しさに嫉妬した生徒の一人でしょう」
「そうだ、女は自分より可愛いものに敵意しか向けないからな」
「……」
最低ですね、この人たち。
「私は嘘はつきません。最低なのはあなたたちです」
怒りました。
ええ私だって、モブだって怒るんです。
「我が家の家名はサンディーンですが、それが意味する二つ名を、殿下はご存知無いのですか?」
「……なんだと?」
この国は新興国ですからね、形骸化した風習だなんて馬鹿にしていますが、歴史の長い国ではまだ重きを置いてるんですよ。
「サンディーンは創造神ルファスカ・リウスの護り手の事です。ルファスカの左を護り、力を振るう神の槍を意味します」
一応この国の宗教学でも学んでますよ。祖父の故国のように熱心に教えてはいないようですが。
「は……?」
「私の父は聖職者です。ルファスカの教えを説くべく隣国サウキスより派遣され、この国では大司教の地位におりますよ。嘘なんてついたら勘当されてしまいます。それでも殿下は、私を嘘吐きと侮辱されるのですか?」
因みにサウキスは大国です。宗教国家であり、祖父はそこで国王に次ぐ権力を持っております。
「へ……?」
「ついでにご説明しますと、私は公爵家に雇われたフィラデラ様の護衛です。彼女の日常はほぼ監視しておりましたが、先程読み上げた事なんて、一切お見かけした事ありませんよ」
ふん、と息を吐く。
私、脳筋なんです。特技は相手を蹴飛ばす事。
お父様にもっと頭を使えと怒られております。
身体動かすのは得意なんですがね。もうこういう場ではつい感情的になってしまって……
本来私は護衛という役割から、隠密というか、目立たず大人しくしていなくてはいけません。
本当にこれで良かったのか、段々不安になってきましたが、まあ仕方ありませんよね。成り行きですから。
でも、ルファスカの神の名前はこの国でも通用するようで、何よりでした。
サンディーンは粛正の使徒です。
この宗教に熱心な隣国では、その名を聞くと青くなって震えます。
サンディーンの家名が、あのサンディーンとは信仰の薄いこの国では結びつかなかったものの、そんな話くらいは、どうやら聞いた事があるようで。
側近二人が青くなって震えていますから、多分通じたんだと思います。
「トリア……」
気づけば、フィラデラ様が近くまで来ていました。
思えば長く様子を見て来ましたが、こうして近くで名前まで呼ばれるの初めてですね。ん? というか知っていたんですね。名前。
そんな事を考えていたらフィラデラ様が私に飛びついて来ました。
「トリア! 私、悔しかったの! 悲しかったの! それだけだったのよ!」
わあん! と人目を憚らず泣き出す公爵令嬢に、会場全体が何とも言えない空気になりました。
◇
その後は、とりあえず私はお父様に説教をされ、神殿で修行と称して軟禁されておりまして、あまり詳しくは知りません。
ですが、学生たちは自分たちの態度を改めたようで、王子たちは皆から遠巻きにされているそうです。
式のひと月後にあった学園整理登校で、王子たちの居心地がさらに悪くなったようですが、こんなの序の口でしょうね。
だってあそこにいたのは未来の爵位持ち。臣下なのです。
あの場合、本来臣下の正しい振る舞いは、王子に阿る事では無く、諫める事だったでしょう。
だってあのお嬢さん……
既婚者だったんですから。
実は令嬢ではありませんでした。
びっくりではありますが、早期結婚は貴族社会じゃおかしな事ではありませんからね。
本人は隠しているつもりでしたが、知ってる人は知ってましたよ。
王子の手前言えなかったようですが、入学のひと月前に学費のために豪商の方と婚姻を結んでいますね。
それを知って王子は騙されたとか怒ったそうですが、ルディさんは、恋人って言ったじゃない! とか言い返していたらしいので、元から愛妾になりたかっただけなのかもしれませんね。
国王は、そんな王子に何を思ったかは知りませんが、それ以上に公爵家からの苦情への対処が大変だったらしいです。
……無実の罪で公で断罪されてましたからね。そりゃあ怒りますよね。
公爵令嬢は、ルディさんに手を出すのは、それをすれば負けた気がしたらしくて、やってたのは取り巻きへの八つ当たりでした。
なので、まあその方々へは公爵が直々に謝罪に赴いたそうです。フィラデラ様は公爵の命令で自宅謹慎。
そちらはなんとか纏りそうで、良かったですね。
あとは王子の……というかルディさんの取り巻きたちも親に何かしら処分されたらしいですよ。
馬鹿な事しましたからね。仕方ありません。
まあ、私も馬鹿呼ばわりされて、今修行と称して父にこきつかわれておりますから人の事言えませんが。
皆さんも、権力に酔いしれてうっかり暴走すると、取り返しのつかない事になりますよ。
あの時私の名前なんて呼ばなければ……
きっと後悔しているでしょうね。
【血縁関係について】
トリアの父────教鞭を振るって貰う間、子爵位を叙爵しました(1代限り)
トリアとフィラデラの関係────祖父の妹が公爵家に嫁入りしていた(政略)