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高嶺のA子さん

作者: 水無月やぎ

 僕らの業界には、“高嶺のA子さん”というちょっとした有名人がいる。

 ……まぁ、芸能界にいる僕らはみんな“有名人”なのだけど。


 彼女は女優顔負けの美貌を持つ、某テレビ局のスタッフ。ドラマのクレジットに載る俳優さんを次々と落としてしまうから、別名クレジットキラーとも呼ばれている。

 なぜA子さんと呼ぶのか。これはイニシャルではなくて、記号だ。いくら女優並みの美人でも、仕事柄芸能人と出会うことが多くても、やはり彼女は一般人に過ぎない。だからA子さんなのだ。


 彼女の恋愛遍歴は実に華麗で、独身最後の砦と言われる大御所のダンディな俳優さんと浮名を流したこともあった。元彼はほとんどみんな、“人気急上昇中若手俳優”の僕より年上。だから若手世代の間では、“高嶺のA子さん”という呼び方が浸透している。モテモテだけれど、決して未成年との交際や不倫はしない、線引きのしっかりできる人。美しく妖艶に見える時もあるけれど、仕事中は快活な女性スタッフとしてテキパキ動くことができる人。僕もご多分に漏れず、彼女に()()()1人である。


 アラサーの僕と彼女は同い年だ。僕は彼女がフリーになったら、いつでもアプローチしようと意気込んでいた。そのために何人の女優やモデルの告白を断ってきたのだろう。おかげで僕にはデビュー以来、スキャンダルといったものが1つもない。多分業界内の女性の評価はイマイチだけど、世間の女性からの評価はかなり良いんじゃないかと思っている。ドラマやCM、バラエティの出演数を見ればそれは明らかではないだろうか。

 彼女が僕より2つ年下の俳優と別れたという話を聞いて、僕は実行に移すことを決めた。相手は一般女性だ。仮に記事が出たとして、相手のSNSに多くの誹謗中傷のコメントが書き込まれる事態は避けられる。事務所同士でぐちゃぐちゃ言い合うリスクもない。そうした面でも、彼女との交際にはメリットしかないのだ。


 僕は思い切ってご飯に誘った。同い年だったから、その日のうちに敬語を外すことができた。互いの好きなドラマや映画の話で盛り上がった。その後もご飯に行って、3回目のご飯デートの日、2軒目に立ち寄った芸能人御用達のバーで僕は告白をした。恋愛ドラマの出演に慣れ過ぎたせいか、綺麗な女優さんやモデルさんの隣にいてもあまり緊張はしない。でも彼女だけは違った。お酒のせいか分からないけれど、僕の顔は仄かに熱を帯び、鼓動が早まっていた。バーは薄暗くて、彼女の顔色までは伺うことができない。


「嬉しいな、超人気俳優から告白されちゃうなんて」


 彼女はそう言って、カクテルに視線を落とす。どんな返事でも良いと思った。今この瞬間、隣で君を見られれば、もうそれで良い。


「私も好きだよ。……付き合ってください」


 僕はカウンターの下でついガッツポーズをしてしまった。勢いが良すぎたのか、握り締めた拳を思いっきりカウンターにぶつけて1人で悶える。痛みと嬉しさが最高潮に達して、僕の体はさらに熱くなった。


 付き合ってから、僕の日常はガラリと変わった。……いろんな意味で。

 通帳に記載された数字がどんどん減っていくのだ。青山のディナー、赤坂のバー、銀座のハイブランド、日比谷のホテル……。“一般女性A子さん”と“人気急上昇中若手俳優”の年収は雲泥の差。だから僕が全て支払う。僕と2人きりの時の、危険なくらい艶やかな彼女にそこらのグルメサイトの星3.6くらいのレストランは似合わなくて、結局ミシュランの2つ星とか3つ星のレストランに連れて行ってしまう。僕だけの彼女なのだと自覚したくて、気づけば結構な額を使っていた。

 今は仕事があるから収入に不安はないが、将来が怖い。次々と現れる俳優やモデルの成長を見ながら、僕の心を占める恐怖はついに愛情を上回った。


「急にごめん。あのさ……やっぱり、別れてほしい」


 僕が絞り出すようにして出した台詞を、彼女はいとも簡単に飲み込んだ。ミシュラン3つ星のシェフが何年も研究して完成させた料理を、一瞬で咀嚼してしまう客のようだった。

 ……まぁ、夢を見させてもらうための出費だったと思えば、悪くないか。



 それにしても、大変だったな。



 “高()のA子さん”と付き合うのは。

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