悪い侵略者(姫)~ちびっこ姫とおっさん武士の侵略(?)譚~
斃庵と呼ばれた時代。
禍の国は斃家と言う、ちょっと悪い奴らに支配されていました。
そんな斃家に立ち向かう一人の少女・水源華琉。
そして華琉と共に往く七勇士・源侍七救佐の冒険物語――
――は、一〇年ほど前に幕を下ろし。
現代の名は輝万繰。
ごくごく平和で穏やかな時代となりました。
◆
「平和なのは良い事だけれど……冷えてきたなぁ……」
夕暮れのあぜ道にて、ボロ着物の袖に腕を隠して肩をすくめるおっさん浪士。
豪快に大きなくしゃみをして、ざんばら頭をブンブン振り回す。
彼の名前は鳳解嶄善之助。
家無し銭無し気力無しの三拍子そろってしまった流れの浪士だ。
「あー……あとひと月も経てばすっかり冬だねぇ、これは」
沈みゆく夕日を見ながらのんびりそんな事を言っているが、実際問題そんな呑気にしている場合ではない。
この善之助、先に言った通りまともな家も無ければ、宿を取る銭も無し。当然、上から羽織るものも無い。腰には不相応に立派な刀が一振りあるが、これが彼の全財産。あとは丈夫な体くらいしか、誇れるものは持ち合わせていない。
冬――こんな流れの浪士には、厳しい季節になる。
「寒い時は、肉でも食らいたいものだけど……」
冬に備えて食い溜めるのは生き物の性。
だがしかし、善之助には商者から肉を買えるような銭は当然、無い。
大体、そんな銭があれば羽織物の一枚でも買うと言うもの。
さて、どうしたものか。
「あー……山に入って獣でも狩るかなぁ……」
至極面倒だけどねぇ……と善之助が首をゴキゴキ鳴らして山に入ろうと歩いていると。
「……おんや」
山道に入る手前、ふと目に入った立札。
何でも、この山を根城にしている賊の一団がいるらしい。
入らない方が良いよ、と、注意喚起の立札だ。
「はぁ~……盗賊、盗賊ねぇ。こんな平和な時勢に、くだらん事をやっている連中がいたもんだ……」
善之助が呆れつつ札を読み進めると。
それらの賊を退治すれば、領主様が直々に褒賞をくれるとの記載が。
つまり……悪党退治と言う善行で徳を積みつつ、銭が手に入る。
「ふむふむ……」
一石を投げて二鳥を墜とすような美味い話だ。
薄髭にまみれた顎をしきりに撫でさすって、善之助は頷いた。
「……うん、これは悪くないかもだ。どの道、放っておく訳にもいかないからねぇ」
漠然と獣を狩ろうとうろつくより、明確に賊を狙って歩き回る方が気分も楽だろう。
と言う訳で善之助、意気込んで山へと入っていく。
すると、
「そこのお兄さん!」
「む?」
背後から響いたのは、「私は小さな女の子ですよ!」と主張するような声色。
(僕はもう、お兄さんって歳でもないけどなぁ)
などと余計な事を考えつつ、明らかに自分に向けられた声だったので、善之助はなんだなんだと振り返る。
流れ者の善之助はこの山を詳しくは知らない。
けれど、賊連中が根城にしている事からは勿論、夜の近い山と言えば大概、危険な獣がわんさか。時には化生者の類も出るだろう。
声色から推測できる年頃の小娘が遊び場にするには、ちと危険が多い。
何がどうあろうとすぐに帰らせるべきだねぇ、と諭す言葉を考えつつ振り向いたのだが……声の主である小娘を見て、諸々吹っ飛んだ。
「どうもどうも、初めまして!」
背丈は善之助の腰の辺りに頭がくる程度。
頭には陽光のように見事な金綺羅の髪。頭頂でぴょろりとひと房だけ毛が跳ねているのが面白い。
身に纏っている衣装も目立つ。ひらひらした紅蓮の南蛮衣装……善之助の記憶では、どれす、と呼ばれる南蛮の礼装に似ているように見える。少なくとも、禍の国製の衣類ではない。
何故、こんな田舎の山に南蛮者が……と言う驚きもあるが、それ以上に。
小娘の面は、珍奇の一言に尽きた。
「クフフ。私、宇宙の果てからやってきました! いわゆる宇宙人です! 吃驚仰天して恐れおののいてくれても良いんですよ?」
小娘はやたらちんまいくせに、堂々たる仁王立ちで不遜な表情を浮かべる。
笑う口には牙が並ぶ。人のそれではない。犬か狼のようだ。四白に開いた眼は瞳孔が細く、猫めいている。この笑顔ひとつで、人ではない何か……化生者の類ではなかろうかと思える。
まぁ、それはともかく。
「ふむふむ。で……わざわざ僕を呼び止めたと言う事は、何ぞ用かな? 珍奇な御嬢ちゃん」
「……何だか反応、薄くないですか? 私、先に言った通り宇宙人なんですよ?」
「あー、宇宙、かぁ」
善之助は今でこそ腹の空いた浪士風情であるが――帯に差した立派な刀から察してもらえる通り、元は由緒ある武家の出だ。それなりに学は修めている。
宇宙と言えば、あの空の向こうに広がる無限の星海。
無限と言う事は、何があってもおかしくはない。
自らが足をつくこの大地も、宇宙にはごまんとある星のひとつ。宇宙においては有象無象の地の球だと聞いている。であれば、よその地の球には自分のように人が暮らしているだろうと推測もできる。
海の向こうからの来客も珍しくないこの時勢、宇宙の向こうから来客があろうと、まぁ、そう驚く事も無し。
更に、よその星から来たのであれば、納得いく事もある。
海をひとつ隔てるだけで、人の姿形と言うものは大きく違う。
星ひとつ隔てれば、この小娘のような外見も有り得ようや。
「遠路はるばるようこそ、宇宙よりの御客様。僕ごときの根無し浪士じゃあ、まともなもてなしはできないけれど……それでも良ければ構うよ」
「むむ……思っていた反応とは違いますが……これはこれでアリですね! はい! じゃんじゃん構ってください!」
「あいわかった」
では先ず以て自己紹介から、と善之助は咳払い。
「僕の名前は善之助だ。よろしくね」
「素敵な御名前ですね!」
小娘がにっこりと笑う。
特徴的な眼と牙のせいで少々不気味ではあるが、まぁ、愛らしいと言っていい範疇だなと善之助も微笑み返す。
「ではでは、次は私の番ですね。私はアリスターン! アリスって呼んでください!」
「ふむ。耳慣れない響きだけれど、そちらも素敵そうな名だねぇ」
「クフフ、そうでしょう! 自慢の名前です!」
ちんまい者が鼻を鳴らして胸を張るさまは、見ていて微笑ましい。
どう言う理屈かは不明だが、頭頂の跳ね毛もはしゃぐようにブンブンと揺れている。
察するに、犬の尻尾のようなものだろうか……? と善之助は推測する。
「どれ、ここは頭でも撫でておこう」
「クフ? 何故に私は頭を撫でられているんですか?」
「可愛い子供の頭は撫でるものだよ?」
「むむッ! 可愛いと言われるのは嬉しいですが、子供扱いには異議があります! 何故なら私はこう見えてもう一五歳なので!」
「へぇ」
それは驚きだ、と善之助は目を丸くした。
てっきり一〇にも満たないだろうと思っていた。一五と言えば、元服していてもおかしくない歳だ。
「むぅ、まさか宇宙人宣言より年齢の方が驚かれるとは……」
「ああ、うん。宇宙人であれば納得できる外見だけど、一五歳とはとても思えない外見だったから……」
ともかく、
「一五歳であれば、子供扱いは無礼だったね。申し訳無い、心から御詫びいたします」
「素直に謝っていただけるならば許します! 次から気を付けてくださいね!」
「うん。かたじけない」
結構な無礼だろうに、あっさりと許してもらえた。
素直な振舞いは徳だと聞かされて育ったけど、真理だねぇ……と善之助は思う。
「ところで善之助さん! ひとつお訊きしてもよろしいですか!?」
「ああ。僕に答えられる事であれば、何なりと訊いておくれ」
どうやら、質問があって声をかけてきたらしい。
家無し銭無しの浪士なこの身、御客様に差し出せるのは知識くらいなもの。
茶も菓子も出せない以上、出せるものは惜しむまい。都合の良い事に、学はそれなりにある。
と言う訳で善之助はどんと来いと言わんばかりに胸を広げて構える。
問題は、何を訊かれるか……このアリスと言う小娘は異星よりの旅人。
であれば、現地の者に尋ねたい事柄は……土産物などだろうか?
善之助は流れ者だが、完全な無知ではない。
この辺りの特産品くらいは把握している。
「この辺りに、悪い王様とかいませんか!?」
「………………」
完全に想定外な質問だった。
「すまないけれど……うん、まったく心当たりが無いなぁ。この辺りの王……と言うより領主様方に、悪い噂は聞かないよ」
一〇年ほど前であれば、斃家と言う独裁者家系が傍若無人の限りを尽くしていたが……現王とその同志たちにより悪しき支配者は打倒され、今ではすっかり天下泰平。平和な世の中だ。
「おやまぁ……それは良い事ですね! クフフ! 気分の良い無駄足になりました!」
「して。アリスちゃん。逆にこちらからひとつ訊きたいのだけど、構わないかい?」
「はい! どーぞどーぞ! 私も答えられる事ならじゃんじゃん答えちゃいますよ!」
「それは有り難いねぇ」
では……、
「何故、先のような事を訊くんだい? 悪しき支配者なんて探して、どうしようと?」
「ぼっこんぼっこんのめったんめったんにして、領地をぶん奪ります!」
想定外に過ぎる。
「……アリスちゃんは、領地が欲しいの?」
「う~ん……厳密には違いますね……欲しいと言うよりは、どのみち手に入れるならと言う……さて、どこから説明しましょうか……」
アリスの悩まし気な表情に共鳴するように、跳ねっ毛がうねる。
ほとほとどう言う理屈か定かではないが、アリスの心情に連動しているらしい。この毛。
アリスはしばらくうんうんと悩み、毛をうねらせていたかと思えば。
不意に、手で槌を打ち、跳ねっ毛をぴこんと立てた。
「最初っから全部説明しちゃえば良いんですね!」
「ああ、手間でなければその方が有り難いねぇ」
「わかりました! まずですね、私、こう見えても御姫様なんですよ」
「なんと」
姫君。異星の。それはなんとまぁ……と善之助は驚いた。それと同時にハッとする。
一介の浪士風情が対等に口をきいて良い相手ではない。
「高貴な御身分とは知らず、これまた無礼を」
「そんなに畏まらなくても大丈夫ですよ? むしろ畏まられると色々とやり辛いので、こう……ほんわか敬う? 感じで」
「ふむ……? ああ、まぁ、承知した」
では、そのようにしよう……と善之助は頷き、とりあえず態度を改めないで先ほどまでと同様に扱う事にする。
「……しかし、なお疑問だねぇ。何故、異星の姫君がこの地に領地を求めるんだい?」
「実はですねー……よいしょ」
何を思ったか、アリスはドレスの袖から手袋を取り出した。
黒い鉄のようにのっぺりとして照っているが、薄布のようにぺらぺらと変形している。
ドレスも袖にものをしまうのだな、と、善之助がどうでも良い事に感心していると。
アリスは右手に手袋を装着し、パチンと軽快に指を鳴らした。
すると摩訶不思議。虚空にぼふんと煙が立ち、煙の中から書物が転がり出てきた。
アリスは平然とした様子で、出てきた書物を掴み止める。
「なんと……妖術の類かい?」
「これは召喚科学です」
「召喚、科学?」
「亜空間に収納したものを引っ張り出す科学です!」
……善之助が学んだ科学とは、次元がいくつも違うようだ。
「この手袋は私の星の科学、その粋が詰め込まれているんです! 指を動かすだけで様々な科学を引き起こす便利用品なんですよ!」
「それはすごい」
「ちなみに私が開発しました!」
「誠事か」
「クフフ! 姫ですので!」
姫君とは大概が聡明なものだが、これまた次元が違う様子。
「話が逸れましたね。とりあえず、私の野望を語るに辺り、こちらを読んで欲しいのです」
「これは……ふむ、漫画書かい?」
本来、書物とは文字が羅列され、補足に絵図が伴うものだが、漫画とはその逆転。絵図を主体とし、補足に文字が伴う。
こちらの方がわかり易いので、善之助も好みだ。
だがしかし、こう暗くては……と思っていると、アリスが再び指をパチン。
またしてもボフンと煙が立ち、その中から虚空に吊られる硝子提灯が。
「暗いところで本を読むのは、眼に悪いですからね!」
「うん、有り難い気遣いだ。痛み入る。では……ふむふむ」
ぺらり、と紙をめくっていくと、数行の文章が記されていた。あらすじだ。
使われている文字は禍の国……と言うよりこの星の文字ではないのだが、不思議と意味は理解できる。善之助がアリスの言葉が普通に理解できるのと同様、何か科学的な仕掛けがあるのだろう。
して、あらすじを読むに、どうやらこれは……。
「悪を懲らしめる冒険活劇……か」
善之助が子供の時に聞かされた御伽噺でもありふれたものだ。
だがしかし、この漫画は少々特殊。
「へぇ、善が悪を討つのではなく、悪が悪を討つんだね」
主役に据えられたるは、流れの悪党。無頼な態度で平和主義を嘲り、暴力でものを解決する。
善の者ならば躊躇うような卑策を弄する事も躊躇わず、主役の悪党は、敵の悪党を次々に討ち倒していく。最後には悪政を敷く王を討ち、その領地を手中に収めてしまった。
民からすれば自分たちを苦しめる者が替わるだけ……かと思いきや。主役の悪党はその後、真っ当な政治を行い、最期には民に愛されながら永眠に就く……と言う筋書きだった。
善之助は読み終えた漫画書をゆっくりと閉じ、余韻に浸るように何度か頷いた。
「成程。結末を知ってから思い返してみれば、主役の悪党は口は悪く粗暴ではあるけれど、善良な者には決して危害を加えていない。なんだかんだと屁理屈をこねて、守り助けるばかりだった。随分と屈折した性分のようだけど……明確な悪党だけを敵と定め、いかなる手段――悪を以てすら悪を討ちのめす。そう言う筋が通っている」
「そうなんですよう! カッコいいですよねぇ!」
同好の志を得られた、とアリスは大喜び。
跳ねっ毛をぶんぶん振り回してはしゃぐ。
「もう私、それを読んでから興奮さめやらぬって感じでして!」
「……もしや、これの真似事をしたいのかい?」
「ずばりその通りです! 悪の侵略者! しかしてその実態は、悪政を許さず、手段を選ばず世直しに励むカッコいい英雄! ……でもまぁ、私の星ってとことん平和でして」
それで、他所の星に悪い支配者を求めてやってきた、と。
「ほら、私って姫なので、将来的にはどこかしらの領地を治める事になる訳じゃないですか。どうせなら、こう、悪い王様を討ちのめして手に入れた領地で、今まで悪政に苦しんでいた皆様を笑顔にできる領地経営をしたいなー、と言う気持ちもありまして」
善之助もこれで得心がいった。
まぁ、御立派な事だ。どうせ領地を治めねばならんのなら、悪政を敷かれている領地をぶん奪って立て直してしまおうと。侵略と言えば聞こえは悪いが、その行動原理は民の幸福を思うもの。統治者として最低限の資質は備えていらっしゃるようだ。
……ただ、喜ばしくも残念ながら。
今時、悪政が敷かれている領地など流行っていない。
「……いや、待てよ」
「どうかされましたか?」
「実はねぇ、この山を根城にする賊の一団がいるらしいんだ」
「山賊さん、ってやつですね」
「うん。そいつらのせいで、猟師や菜摘みが山に入れないのは勿論、旅商もこの山は迂回しているらしい。つまり、『この山は悪辣な連中に不当占拠・支配され、善良な民たちが苦しめられている』……とは考えられないかな?」
「…………………………」
少しの思案。そして何かを察したらしく。
ぴこーんッ! とアリスの跳ねっ毛がいきり立つ。
「それは何と言う偶然! こう言うの何と言うんでしたっけ!? えーと、えーっと……嗚咽辛い無理? みたいな語感の……」
「……もしや、『お誂え向き』……かな?」
「そうそう、それです! おえあつらむきです!」
「……………………」
まぁ、良いだろう。
確かに、誂え向きと言って良い話。
「さすがに賊退治程度の功でこの大山を拝領するのは無理があるだろうけど……『悪の支配者を倒し、民を幸福にする』と言う点では、君の望み通りになるだろう」
丁度、善之助はその賊を退治に行く所。
「ここは一丁、君の名代として、僕が賊どもを退治する……と言うのはどうだろうか?」
どの道、賊は退治する。
ただの銭目的かつ善行としての賊退治も、異星の姫君への奉仕としての賊退治も、そこに大差はあるまい。むしろ、尊き御仁のために戦う……その行為には懐古の情を覚え、気勢が乗る。
この身は浪士なれど、魂まで貶める事は無い。
誰が為に刃を振るう事こそ、武士の本分。
「……名案! 名案ですよ、善之助さん!」
「うん。さ、君は山を下りて、どこかそこらの茶屋にでも入り、僕を待――」
「となれば早速、行きましょう! いざ、山賊退治へー!! 悪い事をする方々はとっちめてやりましょー!! クフフ、クフフフフ!!」
「ん? ぁ、ちょッ……!?」
一路猛進とはこの事か。
元気が良いのは素晴らしい。
だが、まずい。
善之助もさすがに焦る。
アリスは実に軽やかな足取りで。
山の奥地、夜の帳が下り始めたその先へと飛び込んでしまった。
「元気が過ぎるのは考えものだね……!? やれやれ……追うしかないか!」
◆
夜闇が本格的な侵食を始めた山道。
「ぐもぉぉおおおおお!!」
雄叫びを上げ、善之助の前方に立ち塞がった巨影は――熊。
……否。ただの熊ならばまだ可愛げがある。
そんな感想がこぼれてしまうような、化生者。
熊とは本来四つ足で歩き、威嚇の時にのみ二足で立つものだが……この熊は標準として二足で歩き、太ましい腕が四本もある。
呼び名は【四つ腕熊】。まま単純明快な名だが、単純さとは、場合によって比例した強さを生む。
「ぐももい! ぐもぉおおおお!!」
四つ腕熊が善之助に狙いを定め、その特徴的な四つ腕を一斉に振り下ろした。
「はいはい、ちょっと今はやめてね」
「ぐも!?」
今はじゃれてやる暇が惜しい。
善之助は速度を重視した手刀で、振りかかって来た四つ腕をすべて叩き払う。
「ごもぁ!?」
「一度目だ。折らないように加減はしたよ」
善之助は「脅す」事を意識し、声色を低く、
「――退け。次に仕掛けてきたら、その腕ばすべてへし折って、もぎ捨てるぞ」
化生者が相手でも、無用な殺生は気分が良くない。肉が美味しそうにも見えないし。
向こうとて、冗談ではあるまい。
だから退け。
善之助は殺意を乗せた眼力で、四つ腕熊を睨みつける。
「ぐもぅ」
お通りください、と言わんばかりに四つ腕熊が山道の端によってぺこりと頭を垂れた。
「うん。素直でよろしい」
善之助は垂れた四つ腕熊の頭を軽く撫でて、先を急ぐ。
「……しっかし、アリスちゃんめ……一体どれほどの健脚か……」
善之助が全力で追い始めてしばらく経つが、背も見えない。追いつける気配が一向に無い。
あの小さな足に韋駄天でも宿しているのか。
「……いや待て。さすがに有り得ない」
ふと考える。闇に飛び込んでいったアリスの速さは確かに相当なものだった。
しかし、全力全速の善之助と比較すれば一〇〇分の一もない。だから何を考えるよりも追いかけて止めるが早いと判断し、追いかけたのだ。
だのに追いつけない、背中が見えない。
……これは単に……。
「うん。これはあれだね。道が違う」
善之助はズサァッと土埃を巻き上げて急停止。
考え無しに真っ直ぐ追いかけたが……ああ、そうだ。アリスも真っ直ぐに走っているとは限らない。齢一五とは言っていたが……幼児にも負けず劣らずなあの純真爛漫わんぱく気質。気分次第で縦横無尽に走り回る事も有り得る。
「つくづく、やれやれだ……」
善之助は、瞼を下ろして気配を探る。
「気配を探るなぞ何年ぶりか……ええい、山中に夜行の獣が有象無象と跋扈している……まぁ当然か。そう言う場所だし。文句を付けるのは理不尽だね……落ち着いて探せ……アリスちゃんは大陸どころか星すらも違う来訪者……何か異端な気を感じ取れるはずだ……むむ……!」
ノミ虫がごとく盛んにぴょんぴょこしている、小さく輝かしい気配がある!
「これか! ……って、何やら物々しい気配に取り囲まれていないかい!?」
◆
「あなたたちが噂の山賊ですね! 覚悟してください! 私と善之助さんがちゃちゃっと成敗……ってあれ? 善之助さんがいない?」
「いるぅぅぅぅぅ!」
ズサァァァァと派手に土埃と草葉を蹴散らしながら駆け付け、善之助はどうにか間に合った。
「もー、善之助さん発案だのに、いつの間にどこで寄り道していたんですか?」
「……おぉう……僕が悪いのかなぁこれぇ……」
いつの間にやら山賊どもがたむろする場所に乗り込んで、即行で啖呵を切り始めていたのは君だろうに……と思わないでもないのだが。
「何だ何だ。ガキんちょの次は武士……いや、そのナリは浪士か? 今夜は阿呆が大量発生してんのか?」
がはは、と品性の欠片も無い低音の笑い声が響く。
切り株にでんと腰を据えた隻眼の大男。察するに、賊の頭目。
大男の周りには、実に賊らしい下品な男どもが群れて、げらげらと笑っている。
「絵に描いたようにやられ役めいた悪者の方々ですね!」
「……嬉しそうだねぇ、君は」
まぁ、アリスからしてみれば、はるばる星海の向こうから探し求めてきた標的だ。
「数が適度に多いのも、無双映えを演出してくれる親切心を感じます!」
「いや、そう言う話ではなくて……賊をやるような雑魚は、寄せ集まらないとやっていられないだけだと思うよ?」
「聞こえてんぞ、てめぇら。誰もやられるために群れたり弱ぇから寄せ集まってる訳じゃあねぇ」
賊の頭なぞやっている割には、律儀な訂正。
さて、それはともかく。
「アリスちゃん、僕の後ろに」
ここまで来たら、一人で山を下りろと言う方が危険。
多少は手間だが、仕方無い。彼女を守りながら立ち回るべきだと善之助は判断する。
所詮、相手は野山の賊風情。
善之助は実は結構、強い部類だ。なにせ一〇年ほど前に仲間と共に一国を救ったりしている。
賊くらい一〇〇や二〇〇でも素拳で殴り殺せるのだ。抜刀するまでもなし。
目の前にいる賊はせいぜい二〇から三〇。
アリスを守りながら空の星を数えつつでも対処できる。
「ちょいちょい、何を言っているんですか善之助さん! ここは『可愛い可愛いアリスちゃん、俺の背中は預けるゼ☆』と言うのが御約束では!?」
「どこの気狂が交わした約束なのかな、それは」
異星の科学を使いこなすとは言え、君のように華奢な子を戦力に数えるはずがないだろう? と善之助は呆れ果てる。
「むむむ」
ぴこんぴこん、とアリスの跳ねっ毛が動き回る。
「私の事をただの可愛くて非力な女の子だと思っている気配を感知しました!」
「うん」
一五歳だから幼子扱いはしないが、女子は女子だ。
「素直ですね! でも異議ありです!」
アリスは異議を訴えて、善之助の腰にしがみつく。
不平不満を叫ぶように荒ぶる跳ねっ毛が腹を打ってくる。地味に力強くて痛い。
この子は髪の毛に筋繊維でも入っているのか。異星の毛はすごいな。と善之助は余所事で感心してしまう。
「私は戦える方の女子です! さぁ、肩を並べて一緒に悪を成敗しましょう!」
「君の肩は僕の腰よりも低い位置にあるのだけど……」
「意外と細かしい事を! ものの例えですから!」
「……ああもう、そうだね、うん。成程」
この子はあれだ。歳は成熟していても、心身は子供のままの手合いだ。実質子供だ。たまにいる。
と言う訳で、善之助はさっさと諦めをつけて方針変更。
「よしよし、あいわかった。では背中も肩も何でも任せようかな」
「わかれば良いんです!」
アリスは牙を見せて笑いながら「えっへん」とふんぞり。
(……もう、この子は好きにさせよう)
アリスは子供。そう割り切れば、考え方は変わる。
子供は元気に動き回るのが御務めだ。
そして大人の務めは、そんな子供が怪我をしないように配慮しつつ、さっさと事を片付ける事。
(本来は抜刀するまでもなかったんだけれど……運が無かったね、賊ども。この子を恨むなよ、そもそもは賊なぞ始めた君たちが悪い)
殺生は好ましくないが……賊ごときの下賤な命を慮って、未来ある無邪気な子供に怪我をさせる道理は無し。
心の中で賊どもに死刑判決を叩き付けて、善之助は腰を落とす。
(――その素っ首、我が一刀にて刹那に頂戴いたす)
アリスが怪我をするような暇など、作らない。
瞬く間に全員、殺し斬ってみせよう。
「それでは早速、行きますよ!」
「応ともさ!」
「がははははは! 活きが良いねぇ! おら野郎どもぉ! 狩りの時間だぜ!」
「「「「「おぉぉおおおおおおおおおおお!!」」」」」
活きが良いはこちらの台詞だ、と善之助、眼光を尖らせた。
(いざ、居合抜刀・遠斬の剣技――)
放つは「一町先にいる鎧武者をも両断する」と謳われ事実それをやってのける剣技。
その名も【不見疾風】。あつらえ向きに賊どもは弧を狭めるように迫ってきている。これなら一太刀で全員まとめて両断でき――
「そいや!」
善之助が刀の柄に指をかけた、まさにその時。アリスがパチンと指を鳴らす音が響いた。
彼女が手に着用しているのは、先ほどの黒手袋。指の動きによって、様々な超絶科学を発動する逸品。
指を鳴らすのは召喚科学なる「亜空間に収納したものを取り出す科学」。
一体、何を……と善之助が疑問を抱いた刹那、答えは判明した。
善之助の視線の先、臨戦態勢に入った賊どもの股間の辺りで――ぼふんぼふんぼふん! と煙が連続して立ち込める。
そして、煙の中から現れたのは――金槌だ。
賊どもの股間の前に召喚された無数の金槌が、そのまま賊どもの股間を強襲した。
「「「「「「ぎゃッ」」」」」」
一斉に上がる、短く悲惨な悲鳴。
「……………………………………」
……善之助が柄を握る暇も無し。
まさしく「あっ」と言う間すらも無く。
賊どもが漏れなく死屍累々。
「……むごい」
あまりにもあんまりだ。
下手すれば首を刎ね飛ばすよりも残酷。
さすがの善之助もドン引きである。
「あ、ごめんなさい。私が全部、倒しちゃいました」
牙の隙間からちろっと舌を出し、てへっと笑うアリス。
可愛かったその笑顔も、今となっては脅威でしかない。
この子は今、男に対して絶対にやってはいけない攻撃を平然と仕掛けて、この笑顔なのだ。
「おや? 善之助さん、顔が蒼いですよ? 何か道中で変な物でも拾い食いしたんですか?」
「……ああ、そうだね。とびきり変なものを拾ってしまったやも知れない」
……まぁ、何はともあれ。賊は退治され、少女の悲願は果たされた。
これ以上の団円もあるまいて。
(……そう言う事にしておこう……)
◆
「とりあえず、山賊さんたちを運びましょう! 馬車を出しますね」
そう言ってアリスが召喚したのは、馬に牽引させる事で動かせる可動式の檻。
善之助は過去に朱色瓜なる南蛮の野菜を見た事があるが、所々にあれに似た意匠を感じた。
どう言う趣向か測りかねて、「何でこの形状なの?」と訊いた所、アリスは逆に何故そんな事を訊くのかと不思議そうな顔で「馬車と言えばこの形ですよ?」と返した。
「異星でのかぼちゃの立ち位置がよくわからないねぇ……」
まぁ、それはさておき。
善之助とアリスは協力して、死屍累々とした山賊どもをかぼちゃの馬車檻へと押し込める。
ふぃー、と、アリスはやり遂げた溜息。
「あとは、然るべき機関に引き取ってもらうだけ! クフフ。ついに私、悪い支配者の領地を侵略して、奪い取ったんですね……!」
雑に馬車檻へ押し込まれた山賊どもを眺めて、アリスは嬉しそうにはにかむ。
やや不全とは言え、大望の一端を自力で叶えた。喜びが顔に出るのは当然だろう。
「ああ、君は善くやった。すごい事だよ」
……手法はむごいものだったが、善行は善行だ。
この少女は独力で、今までこの山賊に苦しめられた者たちの無念を晴らし、これからこの山賊に苦しめられていたかも知れない者たちを救った。
善行にして偉業。賛辞を贈るべきだろう……手法は本当に酷かったけど。
「クフフ! ありがとうございます!」
「なに、浪士風情の賛辞を有り難がる必要は無いよ」
「ろーし? そう言えば、さっき山賊さんたちにもそう呼ばれていましたね?」
「ん? 知らないのかい? ……いや、それもそうか」
武士はこの国独自の文化、即ちこの星の文化だ。
つまり、武士とそこから派生する浪士の概念は、アリスの星には無いものだろう。
「まず、この星のこの国には、武士と言う在り方があるんだ。大雑把に言うと『己が決めた主君に忠義を尽くす者』の事だね」
「ふむふむ……騎士さんのようなものですか?」
「騎士……ああ、確か南蛮の。うん、近いかも知れないねぇ」
馬車の意匠がかぼちゃであったり、騎士の概念は知っていたり。
アリスの星は南蛮に似た文化の発展をしているのだろうか。
「して、その武士が何らかの理由で主君から離れ、奉公先を失った状態を浪士と呼ぶ……って感じだね」
例えば、主君に三行半を叩き付けられた浪士もいるだろう。
悪しき血族というだけで無抵抗な女子供まで虐殺しろと命じられたので、殺した事にして逃がしていたら普通に露見て懲戒解雇とか。
「……理由はどうあれ。浪士などろくでなし……どうしても主君の望み通りに動く事ができなかった無能だよ。その賛辞を有り難がるのは奇特でしかない。この国にしばらくいるつもりなら、覚えておくと良い」
有り難がられえるものではなくとも、善之助は讃えるべき事を讃えたかった。
ただそれだけの事。
「う~ん、よくわからない価値観ですが……話を整理するに、善之助さんは今、奉公先が無い……つまり無職って事ですよね?」
「その通りだねぇ……あんまり良い響きではないけど」
お恥ずかしい、と善之助は力なく笑いながら頬をかく。
「じゃあ、私の武士になりませんか!?」
「……ほい?」
アリスの口から出たのは、善之助には思いもよらない提案だった。
「この星であれこれするにあたって、やっぱり現地の方の協力って必要だと思っていたんです! それと、侵略者だのに配下がいないと言うのもカッコが付かないでしょう?」
……君の場合、大軍勢を率いていても格好付かない気配もするけどね?
と、善之助は出かかった言葉を喉の奥に押し込む。
「善之助さんは親切ですし、話もわかってくれますし、すごく接しやすい! この星に来て最初に出会えたのも運命的! そして無職! ぜひ、私の配下、もとい武士になってもらえませんか!?」
「…………ふむ」
善之助だって、別に浪士の身分で在りたい訳ではない。
もしも「仕えても良い」と思えるような御仁が奉公を許してくれるならば、それは願ってもいない事。
「有り難い話……だけど、ものは冷静に考えるべきだねぇ。僕は前の主君に逆らって離縁したような不義理者だよ?」
「そうなんですか?」
「そうなんだよねぇ」
「うーん……まぁ過去に何があったかは存じませんし、たぶん詮索もしない方が良いと判断しました。でも、少なくとも今、私から見る限り……善之助さんはとても良い方です。協力してもらえたら、とっても嬉しいと思えるくらいには!」
「……そうなのかい?」
「そうなんです!」
嬉しい事を言ってくれたものだ、と善之助は口元をほころばせる。
……ここまで言ってくれる可愛らしい姫君ならば、奉公してみるのも悪くはないだろう。
(なに、所詮は一度、浪士に落ちた分際。こうして軽率に次の奉公先を決めるのも、らしいと言えばらしいだろうさ)
「承知したよ。アリスちゃん……いや、姫様。であれば、この不肖・善之助――貴女のために刃を振るう武士となろう」
「クフフ! よろしくお願いします!」
こうして、異星の姫とそれに仕える武士の侵略(?)譚が幕を開けたのだった。