そらへ
しっとりとした人工流体のバケットシートがベルの体を優しく包んでいる。
人工流体は普段、低反発の個体として存在するが、強い衝撃を受けた時に水へと変化し、その衝撃を変形して吸収することで操縦士の生命を守るために設計された物だ。それが生き物の骨格を思わせるような細い円錐状の支柱に合わせて、1人に対して24個。
しかし、そのシートに乗っていながらも、尾てい骨に響く様な重い振動が船全体を伝わっている。
船はレールの上に乗せられ、空へと続く発射台へと取り付けられようとしているのだ。
コックピットからは小さな丸窓から、空へと続くガンメタルの二本のレールが見える。元は白銀色であった金属が、ロケットエンジンの猛烈な燃焼温度で焼け、色が付いている。
「いよいよですね」
横を見ると、満面の笑みで大きな体を宇宙服に押し込んだ整備士のバルガの姿があった。体が浮きあがらないように厚手のシートベルトが身を縛り付けているので、手を上げるのだけでも大変そうだ。
ベルもこうして縛り付けられているため、自らの体が痒かろうと手を伸ばして掻くという事ができない。
(打ち上げ前に履かされたおむつはこのせいか)
自らが自力でトイレにも行けない状況に思わず顔をしかめたが、これから続く長い航海を思えば、それも大した問題ではないだろう。
なにしろ、高い圧力と時間のズレに対応するために、自分たちは冷凍されるのだ。
耳元のスピーカーから嫌に大きな音で着信を知らすアラームが鳴った。
同時に心臓がバクバクと震えて、目の前に所狭しと並んだスイッチに目を光らせる。
エーキはどうか、燃料温度は? 機体係留位置に異常はないか。
もはやカウントダウンが始まっては、何を案じようともう遅い。
ベルが思うよりもずいぶんと早く、カウントダウンの数字は小さくなった。
3・2・1……
爆発。そう思った。そう思うほどの衝撃によってシート全体に体が押し込まれる。いや、押し込まれるどころか、めり込む。
耳鳴りが一気におき、酷い二日酔いのように頭が衝撃にさらされる。わずかに見えていた窓の視界では、全ての物が線となり、後ろに流れていく。
その一本に触ろうと手を伸ばすのだが、急激な加速にやられた手は、全く椅子から持ち上がらない。
目が乾く気がしたため、瞬きをしようと思ったが、それすらもできずに歯を食いしばって、この拷問が終わるのを待った。
やがて視界が暗くなった。ついに頭にも血が登らなくなったかと思ったが、その暗闇にキラキラと光る星屑を見て、それが違うと分かった。
俺達は宇宙の入口に立ったのだ。
重々しい音を響かせて、頭上の緑色のランプが灯った。離陸用のロケットが切り離されたことを示すランプだ。もはや、後戻りはできない。なにしろ、この打ち上げだけで国家予算の2%が失われたのである。
多くの物資、そして多くの金を投じるに値する冒険。そう判断されたのは、切羽詰まった状況がそうさせたのか、人間の強欲ゆえか。
ベルは、手を伸ばせば届くほど大きな星の輝きに、眼をしばしばとさせながら、宇宙服の遮光バイザーを下げた。