梅香る日
上のタイトルバナーは秋の桜子さんから、下のタイトルバナーは石河翠さんから頂きました。
あなたを初めて見つけた日。
それはあなたが他の男の妻になる日だった。
家同士で決めた結婚。
祝言の席で初めて会うなんてことが
決して珍しくなかった時代だった。
親戚の祝言に来た僕が見つけたあなたは
抜けるような青空の下
美しい花嫁衣装に包まれて
咲き誇る梅の前で微かにうつむき
その美しい唇をきゅっと結んでいた。
それは気高い天女が天に帰れないことに悲しみ
涙をこぼすまいと耐えているように僕には見えた。
人の子と思うには
あまりに儚い美しさだった。
他の人にも見えているのかと確かめたが
どうやら皆には
普通の女に見えていると言うことがわかっただけだった。
その日から三年余りの月日が流れ
かの女性は離縁されたと聞いた。
子を産めない女だから。
夫だった男はそう言って
すでに自分の子を宿していると言う女を連れて
かの女性を追い出したのだと言う。
僕はすぐさまかの女性を
嫁にほしいと願い出た。
親戚に二親を亡くした幼子がおり
誰が引き取るか揉めていたのだ。
だから僕は彼女と夫婦になり
その子を引き取ると申し出た。
反対するものなどいない。
ましてや彼女の意見など誰も聞きやしない。
分かっていたから利用した。
誰のものでもなくなったなら
どんな手を使ってでも彼女を手に入れたかった僕を
彼女は恨んだだろうか。
年上の女を
ましてや子を産めない女をもらってやる
奇特な男だと思っただろうか。
周りから余計な詮索をされたくないが為に
虚勢を張る僕を哀れんだだろうか。
そんな僕たちの子になった幼子は
彼女を母と
僕を父と慕い
腕白にスクスクと育った。
彼女の元夫のところには娘が生まれ
それ以降は子に恵まれないと風の噂に聞いた。
男を産めないことで責められているそうですと
彼女は悲しそうな顔で僕にそう話した。
おそらくあなたも
そう言ってなじられてきたのだろう。
僕たちの息子は実の子ではないが
かけがえのない子だ。
この子のおかげで僕たちは家族だった。
娘で何が悪いのだ。
そっとそっと呟いたあなたの声を
僕は聞こえなかった振りをした。
あなたは男の妻だった頃を思い出していたのだろうか。
それとも起こりうる未来を予知したのだろうか?
それから間もなく
彼女の元夫一家は幼い一人娘を残し
次々と病や事故で亡くなった。
時は流れる。
孫が小学生になったころ
あなたは少女に戻った。
つらい記憶を
すべてなかったことにしたかのように
僕のことも忘れてしまった。
足腰は健康なままだからこそ余計に
一人で看るのは大変でしょう。
施設を探しましょう。
そう言ってくれる人をありがたいと思う。
それでも僕は
僕の知らないあなたを
素直に泣いて笑って怒るあなたを
やはり愛しく手放しがたく
側にいることを望んだ。
ある日孫が
縁側であなたと話した事を教えてくれた。
僕が席をはずしたとき
あなたが頬を染め
僕の背中を見送りながら
「素敵な人よね」
と言っていたと。
「あんな人のお嫁さんになりたいわ」
と恥ずかしそうに教えてくれたのだ、と。
呆然とする僕に孫は面白がって
じいちゃんはばあちゃんにすぐさま求婚するべきだと
ニヤニヤ笑った。
ちゃんとひざまずいてプロポーズするんだよ、と。
その日はあの日と同じ抜けるような青空で
あの日のように庭の梅の花は咲きほこり
でも今のあなたはあの日と違い
穏やかに微笑んでいる。
ああ
僕は一日でも長くあなたよりも生きると誓おう。
そして今度は少しだけ
僕の方が早く生まれてくると約束しよう。
誰よりも早くあなたを見つけるために。
本当に誰よりも愛しいのだと伝えるために。
だから
「僕のお嫁さんになってくれますか?」
少しだけ上擦った声でそう問いかける僕を見て
あなたは一瞬ビックリしたように目を丸くすると
ほんのりと頬を染めて僕ににっこり笑いかけてくれたのだ。
「はい、私をお嫁さんにしてください」
はらりと
梅の花が風に舞った。