白侘助の恋は仄かに
しゃり、しゃりと玉砂利を静かに歩いてくるその人を、私はいつも待っていた。
着流しに浅葱の羽織を着てこちらを見てくれるその人は、私を眺め、下から掬い上げるようにして撫でてくれる。
何も言わずとも、愛おしんでくれるのがわかる。
ふれる指先が、私の頬にあたる部分をやさしく触る。
「もう、そろそろか」
黄緑の首元をくすぐるように撫でられて、私は震える。
そんなにさわるから、嬉しくて。
私は、つい、綻んでしまう。
「お前だけ早いんだな」
せっかちな所が、俺と一緒だ、そう柔らかく言いながらくるりと首元に触れる節のある指に、私はかさりと深緑の身体を揺らした。
総司、と遠くで声がする。
野太い声が、いつもあの人との逢瀬を断ち切ってしまう。
あの人は、その声が聞こえると、
私を振り返りもせず直ぐに走り去っていくのだ。
私は雲一つない冬空の下、翻って踊る、あの人が羽織る浅葱色を眺めるのみ。
梅雨の終わりに、あの人は初めて私の所にきた。血染めの浅葱羽織がいくつも行き交う中、野太い声の人に担がれて。
いけだや、こんとう、おきたさん、という言葉がいくつも聞こえたあと、また騒がしい人達は消えて行き、辺りは静けさが戻る。
風がそよとも動かぬ蒸し暑い夜明けに、座敷に寝かされたあの人は目を覚ますと、うろんな目を私の方に向けていた。
月の無い晩。
夕暮れの空。
朝渡りの鳥声と共に。
一人、庭に出たあの人と
私は刻を重ねた。
雪が降っている。
私は灰色の空を眺めながら
ふるりとわなゝく。
もうすぐ、始まる。
私はあの人に逢いたくて
一番に見てもらいたくて
少しだけ、背伸びをした。
一分
二分
早く来てと願いながら
三分
四分
ああ、もうすぐ……一番良い時なの。
早く来て。
そうでないと、私。
「やぁ、これは見事だ」
雪の静けさに、足音が聞こえなかった。
緋色の番傘をさしたあの人が、私の唇に触れた。
私は、嬉しくて、あの人の方に向こうと震えるのだけど、私の顔は俯いたまま動いてはくれない。
ああ、あの黒々とした目を見たい。
優しく、細まる眼を。
日に焼けた顔が、すっと笑みを浮かばせてくれるのを。
あの人は、私の首元を優しく包み、そっと顔を上へと向けてくれた。
あの人の顔が、白い。
優しく微笑んだ笑みは
変わらなくあるのに。
私はふるりと身体を震わすと、
あの人を受け止められるよう、そっと、唇を開いた。
「お前、白じゃなかったのか? 奥に紅が見えるな。これは…………ぐっ……」
あの人は一声唸ると、ぐぐっと何かを堪えるかのように身体をくの字に折った。
番傘に積もった雪が、ばさりと私の背中へ流れる。
大丈夫
晒して
私はもう、知っている。
貴方の事を、知っているの。
私はありったけの背のびをして
いつもあの人が与えてくれる
熱い〝くれなゐ〟を受け止めた。
ひとしきり身体を何度も折って揺らいだあの人は震える手で懐紙を出した。口元を拭うたびに真っ白な紙に滲む赤。
落ち着いたあの人は、私を見て青白い顔のまま静かに告げた。
「お前、俺の血を飲んでいたのだな」
私は、全てを真紅に染め、かさりと身体を震わせた。
総司、いくぞ、とあの野太い声が聞こえた。
あの人は初めて、今行きます、と後ろに向けて言った。
ザリザリと私の足元に落ちた赤い斑点を雪で隠す仕草に迷いはなく、何事もなく白い地面を整えるとゆっくりと歩き出す。
私の方は見ない。
ゆらりと揺れるだけの浅葱羽織。
私は揺れた。
あの人を一目見たい。
かさり、かさり、と
七分が咲いた
かさり、かさり、と
あの人を呼んだ
何度も何度も呼ぶうちに
かさり、かさりと
八分が咲いた
でも あの人は
一度も
振り返ることはなかった。
私は急速に冷えた。
喘ぐように身を震わすと
赤茶けた私は
私は
ぽとりと、顔を落とした。
****
「総司、どうした」
「先生」
総司と呼ばれた男は振り返る。
「ここの落ちた椿は、どこへ?」
先生と呼ばれた男は、肩をすくめて寒そうに羽織の袖の中に両手を入れる。
「落ちた物なら、まとめて楠の元に置いてあるだろうさ。肥料になるからな」
「そうですか」
「なんだ、花なんぞ興味ない男がどうした」
「いや……落ちるのが早いなと思って」
早朝に積もった雪はすでになく、細かな玉砂利の地面の先に立つ小振りの緑木達を細い男は見やる。
ああ、と先生と呼ばれる男は野太い声を発し頷いた。
「早咲きは特にな。咲き切る前に落ちてしまってもおかしかねぇよ」
「へぇ」
総司と呼ばれた男は、またじっと小さな白い花が咲く一角をみている。
鈴のように連なって咲き始めた白い椿の木々達の中で一本、落ちくぼんだように花を付けていない緑木を。
「お前は、先に落ちてくれるなよ」
ふっと、野太い声が呟いた。
声をかけられた男は視線をそのままに、目を細めて笑みを作る。
「年功序列には添いますよ、先生」
「そんな大人しい道を歩くか。俺の後を追うのも禁止だ」
「さぁ……それはどうかな」
線の細い男はくつくつと身体を折りながら笑う。
「少なくとも先生の側にいる間は俺が盾となりますから。貴方が無茶をしなければ俺は生きますよ」
「それは確約できん所がなんとも言えん」
「でしょうね」
さらりと肯定して細い男は頷くと、ふっと白い息を吐き、声色を変えて静かに告げた。
「池田屋の借りは必ず返します」
「……力入れんな。そのままで十分強いんだ。余計な事を考えれば隙が出る」
「先生が俺の立場だったら同じ事が言えますか」
「……」
野太い声の男は言葉を発せず、辺りを真っ白にするぐらいの大きな息を吐いた。
「大一番に土俵から退いたとあっちゃあ、しかたあんめぇなぁ」
「そういう事です」
「無茶ぁするなよ、総司」
「そっくりそのままお返ししますよ、近藤さん」
言ったな、と豪快に笑う男と一緒に細い男はにやりと笑うと、そんなすぐ逝く柔ではないですよ、と嘯き、自分よりも一回り大きな男と並んでその場を離れていった。
寒空に、一陣の風が吹く。
濡れるような輝きを放った緑葉をかさりと震わせて、一本だけ先に咲き終えた白侘助の木は、静かに、佇んでいた。
元治元年の、冬であった。
お読み下さりありがとうございました。
題名の「白侘助」は〝しろわびすけ〟という椿の種類です。
晩秋から春にかけて咲いていきます。
椿の中では楚々とした小さい花で、茶花として好まれている椿です。
本作は佐倉治加さま主催、
『真冬に染みるくれなゐ』企画の参加作品です。
この他にも素敵な作品が投稿されておりますので、よろしければタグよりお飛び下さい。
素敵な企画に参加者としてご一緒でき、とても嬉しく思います。
ありがとうございました。