ゲルコースト
それから二時間ほど絵莉と河野の歌声を聴いて店を出た。用事があると言って二人と別れ、適当に歩いて時間を潰し、カラオケ店の出入り口が見える喫茶店に入った。
「いらっしゃっせー」
髪の毛を金色に染めた、大学生ぐらいの男が席に案内してくれた。珈琲を頼んで席に着く。窓から見えるカラオケ店は、駅から離れているため大繁盛ではないが、値段の安さに釣られる暇な大学生と高校生のおかげで昼でも客は入っていた。平日の昼間に高校生が入ってくることもあるそうだが、細かいところには目を瞑っているのだろう。
「おまっせしたー」
珈琲を運んできた男の名札には『水野』と書かれ、研修中のシールが貼ってあるのが目についた。
「アルバイトに入ったばっかり?」
「そうっす、一週間っす」と言いながら水野くんはテーブルの上に珈琲を置いた。
「その髪、最近のロックバンドに似ているね」
「ゲルコースト知ってるんすか」
近づいてきた水野くんから離れるように体を引いた。水野くんはそんなことよりも、同志を見つけた喜びのほうが大きかったようで、手にしたお盆をテーブルに置いた。勧めれば椅子にだって座りそうだ。
「まじびっくりっすよ、結構意識してんすけど、誰も気づいてくんなくてちょっと自信失くしてて……、わかる人はいますね。まだファンはコアなやつだけだけど、日本じゃ受け入れにくいんすよね。お兄さんはまじ見る目ありますよ」
「そうなんだ」と僕は改めて水野くんの頭を見た。
「一目で気づいたけどね」
「やー、お兄さんまじ最高っす! ゲルコーストはまじきますよ」
ゲル、コースト……。そんな海岸が来ないことを願っている。自然破壊反対。
「友達がカラオケで歌っていたよ。英語の歌詞が多いから洋楽なのかとも思ったけど」
「ゲルコーストは全員日本人っすよ。コージはアメリカに留学してたんで、英語の歌詞が多いんすよ。作詞もコージがしてますよ」
「コージはヴォーカルで金髪?」
「っす」
水野くんは頷いた。どうやら、その通り、の意味らしい。僕も曖昧に頷いた。
「批判的な歌詞が多いんすけど、コージが留学した時に核兵器反対のデモに参加して、その時の影響がかなり強くて。過激だけど、奥底で平和を願うコージの願いが込められた歌詞っす」
「それは」僕は灰皿を引き寄せた。
「じっくり聞いてみたいね」
「新譜でたばっかだから、聞いてみてください」
「そうするよ」
店員を呼び出すベルが鳴り、水野くんは後ろ髪を引かれるように頭を軽く下げて離れた。その後ろ姿を見送り、窓の外に目を向けた。空は赤く染まり始め、家路につこうとする部活終わりの学生が通り過ぎていく。あの子たちが高校生なのか中学生なのか、僕には区別がつかない。腕時計を見て時間を確認すると、あと一時間程で予定時間になる。
水野くんを呼んだ気の弱そうなカップルは、現れた金髪の店員に対し固い笑顔で注文した。水野くんはよくわからない言葉で繰り返した。
それにしても、どうして水野くんのような男の子が喫茶店で働き、花井さんのような女の子がカラオケで働いているのだろうか。考えてみても浮かぶのは、花井さんの笑顔と水野くんの金髪だけだった。
外はすっかり暗くなり、二杯目の珈琲を飲み干して三杯目を頼もうか迷っていた時、花井さんがカラオケ店から出てきた。店内の制服ではなく高校の制服に着替えていた。急いで会計を済ませて店を出ると、花井さんと目が合った。
「おまたせ、緑里さんでしょ?」
花井さんは笑顔で歩いてきて、手に持っていた学生鞄を差し出した。女子高生らしい人形やアクセサリーがぶら下げた華やかな鞄だ。
「これ、よろしくね。汚さないでよ」
「よくわかったね」僕は鞄を受け取りながら答えた。「何も言ってないのに」
「写真と連絡先ぐらい貰ってるからね。それに前のおじさんに言ったの、おじさんと歩くなんて考えられない。だからもっと若くて無害そうな男の子と代わってって」
「確かに叔父さんよりも若い」
「それでいて無害そうね。ボディーガードって考えるといまいちだけど」
「ボディーガード? 送りのバイトじゃなくて?」
「似たようなものでしょ?」
僕の顔を覗き込んで、花井さんは満足そうな笑みを浮かべた。
写真で見た彼女は、髪を頭の後ろで結び、カメラに向かってピースサインを向ける無邪気な少女であった。しかし目の前で微笑む彼女は、胸元まで髪を伸ばし、首元に触れる仕草は大人びていた。なにより、笑顔に男を惑わす魔法があることをよく知っている。叔父さんからもらった写真を思い出しながら、女の子の成長の速さを羨ましく思った。
ゲルコーストはフィクションです。




