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Name  作者: 忍足香輔
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苦手なんだ

 カラオケのマイクが音を外して甲高い音を立てた。僕はその音に眉をしかめたが、タンバリンを叩く河野は気にしていない。体格のいい河野の手の中でタンバリンが悲鳴を上げているが、熱唱する絵梨のためには尊い犠牲なのだろう。高校時代、ラグビーで鍛えた体躯は衰えを知らないようだ。僕はタンバリンに精一杯

のエールを送った。


画面に映るMVでは、俳優のような人が女優みたいな人にキスをしていた。卒業する友達にエールを送る歌なのに、この二人は何をしているんだろう。


 テーブルを見回すと、二人の飲み物が少なくなっていた。絵莉は歌うのに、河野は絵莉に夢中で気づいていない。備え付けの受話器を取り、コーラとウーロン茶を頼んだ。電話口の女の子は、やけにはきはきと注文を繰り返した。間違えたことがあるのかもしれない。


 受話器を戻すと、タンバリンが曲の終盤に合わせてリズムを変えた。さっきの俳優のような人は別の女優みたいな人とキスをしていた。どんな展開があったのだろうか。


 歌が終わり絵莉は小さい体を目いっぱい伸ばすと、暑い暑い、と言いながら残り少なくなったコーラを口に含んで微笑んでいる。


「ふぅ、気持ちよかった。カラオケ最高!」

「佐々木は上手い!」河野がすかさずおだてた。「何度聞いても最高だ!」

「そうでしょ」


 絵莉は胸を張ったが、その膨らみに誇れるほどの大きさはなさそうだ。


「ねえ、みどりくんは?」と絵莉が聞いた。絵莉は僕の名前を柔らかく口にする。

「どうだった?」

「何回も聞いたよ」と僕は答えた。「いつも上手だ」

「あのさぁ、もっと言うことないかな?」


 今度は画面から知らないロックバンドが出てきた。おそらくヴォーカルで金髪の男が、自分たちの曲をさも有名な曲のように語っている。本当に有名なのかどうか僕には判断できなかった。


 トイレに立とうとしたところで扉が開き、女子店員が入ってきた。はきはきした声の女子店員で名札には『花井』と書かれ、研修中のシールが付いていた。飲み物の置き場所に迷い僕に視線を向けたので、僕は河野と絵莉を指差した。ありがとうございます、と向けた笑顔はカラオケ店ではなく、ケーキ屋か喫茶店のほうが似合っているような気がした。失礼しました、と丁寧にお辞儀をして静かに扉を閉めた。


「頼んでくれたんだ? ありがとう。気が利くね」


 絵莉が新しいコーラで喉を潤していると、また次の曲が鳴り始めた。


「よーし、歌うぞ!」


再び絵莉がマイクを持ち、河野がタンバリンを手にした。次の曲はさっき画面に出てきたロックバンドの曲だった。金髪のヴォーカルが神妙な面持ちをし、教会の前に立っているところから始まる。海外を舞台に英語で歌う金髪の日本人?


画面に違和感を覚えているうちに、トイレに立つ機会を逸した。河野と共にタンバリンを叩く気にはなれず歌が終わるまで座っていることにし、歌に熱中する絵梨の横顔を眺めた。切れ長の瞳が猫の印象を与え、睫毛が長い。唇は薄い桃色。耳が隠れるぐらいのショートヘアは歌に合わせて揺れている。歌の激しさからうっすら汗ばみ、額に前髪が張り付いていた。


絵莉が歌いながらこちらを見た。目が合うと笑い、再び歌詞の流れる画面に視線を戻す。その画面では、金髪のヴォーカルが今にも崩れそうな塔の上で空を見上げていた。僕も天井を見上げてみたが、必死に動くエアコン以外に見るべきものはなさそうだ。


「おい」


 河野がタンバリンを叩きながら口角を上げて笑った。僕と絵莉が目を合わせたことを目敏く見つけたのだろう。僕は追っ払うように手を振った。


「絵莉を見過ぎだ。タンバリンに集中してろ」

「お前を見るより楽しいんだよ。それにまだお前のじゃねえんだ。俺の好きにするさ」


 河野は挑発するように口角を上げると、再び絵莉に視線を戻した。その間もタンバリンは叩き続けている。手も口もうるさい奴だ。


「この山賊が」


 呟いてみたが、絵莉の歌にかき消されて河野には届かなかった。

大学に入学して眼光鋭い河野に声をかけられた時には、悪態をつけるほど親しくなるとは思わなかった。講義が同じという理由で昼食を共にし、気づけばCDの貸し借りをするほどの仲になり、河野が主催した呑み会で絵莉に出会うこともできた。人生はわからない。


 サビが終わり、バラード調の穏やかなリズムへと変わった。それに合わせてタンバリンの音色も小さく穏やかになる。


河野が絵莉に対してどんな感情を抱いているのか聞くまでもないが、絵莉の感情を河野は知っている。見りゃわかるさ、と酒を飲みながら吐き捨てるように話していた。その酒の席で僕はどんな顔をしていたのか思い出せない。できるだけまともな顔をしていればいいなと思うだけだった。


「緑里も歌え。佐々木が疲れちまう」


 歌も終盤で次の曲は入っていない。デンモクを差し出す河野を僕は睨み付けた。


「わかってるだろ?」僕は目を逸らした。「僕は歌わない」

「そういうなよ、たまに聞きたくなるんだ」


 河野だけでなくデンモクも睨み付けてみたが、俺のせいじゃないだろ、と言われているような気がした。確かにそうだが、君がデータを飛ばさなければ歌わなくてすむんだ。


 河野からデンモクを受け取り、ため息をつきながら選曲してボタンを押した。曲はスムーズに送信され、画面に完了の文字が現れる。もう一度デンモクを睨み付けると、無茶言うなよと呆れられた。


 音楽は聞いているほうが楽しい。好きな音楽が重なれば初対面の人とも親しくなれる。人前で歌うのはテレビの中や舞台の上で鍛錬を重ねた人が歌えばいい。歌は国境を越えられるぐらい素晴らしいものなのだから。絵莉や河野を否定するわけではなく、あくまで僕の価値観に過ぎない。歌うことを楽しみにする人がいたって何も問題ない。


 絵莉の歌が終わり、僕を振り返った。期待に膨らむ頬と、おもちゃを見つけた子供のような笑顔。


 僕はちょっとだけ歌が苦手なのだ。


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