5(神様が嫌がるかな)
前屈みになってストローからお茶をすすって口を湿らせ、苅谷は続けた。「未だにね、怖い夢見るんだ。起きると忘れちゃうけど、すっごく怖いってことだけは残ってる」口の端を自嘲気味に曲げた。「だからお布団濡らさないようにしてるんだ」
「そう」
そんなことしか口に出来ない自分を情けなく思った。
なんだかやり切れなかった。
でも苅谷は別段気にしたようでなくさばさばと言葉を紡いだ。「どうしてあたしなのかってのはよく分かんない。大バァちゃんの娘の娘だからかもしれないし、ただのくじ引きだったかもしれない。その両方だったかもしれない。けどあたしの左の指がないのは本当」
「それじゃ、」
「うん。また首が落ちたんだ。この間の連休のあとぐらいかな。
今度は大バァちゃんもいないし、老人会もみんな詳しいこと知っているわけじゃないから、どうするよって話になって、とりあえずってことで縛られてる。
「でもね、このままだと手が腐り落ちるんだって。
大バァちゃんがあたしから見て曾婆ちゃんじゃないかもしれないってのはそれ。
神様に気に入られた子供はゆっくりとしか年をとらない。
でも、鎖で括られた手から先は普通に年を取る、腐る手なんだって」
イヤな話でしょ、と苅谷は笑った。「だから昨日あんたと行き合って、ちょっとイタズラしたくなったんだ」
さらっと云われて、ムッとした。「なんで巻き込むの?」
「狙ったわけじゃないよ。マジ偶然。あんたが生理中だって分かったから、ちょうどいいかなって」
「はぁ?」
「よく穢れって云うじゃん? だから神様が嫌がるかなって思ってさ。やられっぱなしも何だかシャクだし」
苅谷の指のことは同情するけれども、そんな理由でわたしを酷い目に遭わせたことは納得できないし、釈然としない。「わたしがそれってどうして分かったの」
「におい。気付かなかった? 身体のにおい変わるの。あたしはまだないんだけれども、まぁ、たぶん来ないと思う」
「来たっていいことないよ」わたしはため息交じりに応えた。
すると苅谷は同情気味にそうだねぇ、と頷いた。「なんでそんな面倒背負い込む必要あんだろうね、進化論って嘘ッパチじゃね?」
そんな物云いがなんだかおかしくて笑った。「合理的じゃないよね。貧血になったり、欠陥だらけで淘汰されなかったのはおかしい」
さっきまで呪いだとかを真剣に話してたその口で理科を話題にするとは思わなかった。
「まったく何が生命の神秘なんだか」苅谷はふっと薄く笑って、「明日、ツゴモリっていう月の最後なんね。一日何も食べないで身体清めて、夕暮れから神社にいるよ。何もなければお終いだろうって」
「大丈夫?」
「心配してくれるんだ?」
「茶化さないで。どうなの」
「どうにも。仕方ないじゃん」苅谷の物云いは他人事のようだった。「老人会も手伝ってくれるし、どうにかなるんでないかな。それともあんた、来てくれる?」
答えられないわたしに苅谷は、「月の障りなんだから嫌がらせ出来るしね」ふふん、と意地の悪そうに口の端を曲げて見せた。「あんたが来てもたぶん誰も気付かないよ」
「そうなの?」
「たぶんね」
苅谷はよっと足を曲げ、軽くジャンプするように立ち上がった。
「長居しちゃったね。帰るよ。明日の準備もしなきゃだし」
気をつけてとも、頑張ってとも、掛けるにはどんな言葉も適当でないと思ったから黙って玄関まで見送った。
両手をポッケに入れたまま靴と格闘していたからサンダルをつっかけ、足下にしゃがんで手伝ってやった。
「ありがと」苅谷は履いた靴の爪先で、三和土をとんとんと叩いた。
「ねぇ」
門を出たところで何と無しに訊ね、後々酷く後悔した。
「習い事って何やってたの?」
「エレクトーン」