4(代用)
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あの神社、裏に小道があって、ぽろっと北の通りに出る近道があるんだ。
祠はないけど小さなお地蔵様が道端に立ってる。
ウチには大バァちゃんって人がいた。
あたしのお婆ちゃんじゃない。
母さんも大バァちゃんって呼んでたからあたしの曾お婆さんかもしれない。でもそれより上かもしれない。
不思議なひとだけど、一緒に暮らしていたんだ。
分家だか本家だかよく分からないってそゆこと。
あたしの名字はお父さんの。でも家と云うか敷地は母さんの実家になるのかな。
神社は宮司さんとか、あたしの知る限り特に管理する人はいなかった。
子供会とか老人会が入れ替わりで境内を利用して、その都度掃除したり修理したりするみたいな。夏休みのラジオ体操はあすこだったし。
何年も前に合併して市になったけど、村だった頃の氏子神社には違いないと思う。
裏道は別に使っちゃいけないってことはなかった。
ただ薄暗いし、道も広くないから注意するようにとは云われた。
小学校に上がって直ぐの、習い事の帰りにあたしは横着してその道を抜けようとしたんだ。
特に理由はなかった。
何の気なしに道を歩いていると、いつも立ってるお地蔵さんの首がいきなりぼてって落ちた。
家の庭に椿の木があるんだけど、まったくあんな感じ。
驚いた。家に帰ったら大バァちゃんがお地蔵さんのことを聞ねてきたから余計に気味悪くて。
普段は大バァちゃん、奥の家にいて何してるかちっとも分からないんだけど、まるであたしの帰宅を待ってたみたいだった。
大バァちゃんはお母さんに話をして、そのままこれ。袋、被せられた。
手首は金属で縛らないとダメなんだって。だから取り合えず針金でぐるぐるに巻かれた。
直ぐにあたしはイヤになっちゃった。
取って、て頼んでも大バァちゃんは首を横に振るし、母さんも大バァちゃんには逆らわないし。
お父さんが帰宅してやっと解いてもらえた。バカらしいって大バァちゃんを叱りつけてね。
でも大バァちゃんは自分の手を見せてお父さんを説得した。
大バァちゃんの手って、両手とも指が一本もないんだ。
時代が違うし、世代も変わった。
村の名前も消えて市になった。
それがお父さんの云い分。
嬉しかったよ。だって大バァちゃんとは殆ど顔を合わせないから良く知らないし。
大バァちゃんが住んでたのは繋がってはいたけれども別宅みたいな感じだもん。
指は、神様との取り引きなんだって。
お願い事ひとつに指一本。
気味悪いでしょ。気に入った子がいると、その子を呉れ、代わりに願いをかなえてやるって。
指は代用なんだって。
そうやって村を守ってきたみたいな話。
時代も違うし、村の名前もなくなったのに、なんてこったい、まだ神様いたんだわ。
で、あたしか、代わりに指かって話になるわけでさ。
大バァちゃん、老人会集めて対策するべって。
なぁ亜希子、指、一本呉れないかって。
和紙に包んだ枝切り鋏を持って来て。
冗談じゃないってお父さんは突っぱねた。「僕の実家に連れていく」って。
無理だって大バァちゃんは首を振った。
神様が邪魔する、あんたの娘は連れてかれるって。
あんまり真剣なもんで、お父さんはちょっと考えさせてくれって、あたしの手に袋を被せて一度、引っ込んだ。
あたしは自分のことなのに実感なかったな、他人事みたいに思ってた。
でね、夜中にお母さんに起こされて、お父さんとこっそり逃げなさいって云うんだから、驚くわ。
てっきり大バァちゃん味方だと思ってたから。
お母さんも古くさい話に我慢できなかったみたい。けど、親子三人は難しいから自分が残るって。
あたしはそっちが怖かったよ。あたしの代わりにお母さんに何かあったらどうしようって。
あたしね、お母さんには手を出さないでくださいって神様にお願いしちゃった。
バカでしょ。話、聞いてたのに。
でも手に袋してたからどうなんだろ。
聞いてもらえたかもしれないし、そもそも関係なかったかもしれない。
あたしの指がないってことはオチ分かるよね。
大バァちゃんの言葉通り、合併前の村の境界から出られなかったんだ。
すっごく細い月が昇ってたのを憶えてる。
お父さんと袋越しに手を繋いで一緒逃げてる筈が神社に出ちゃって。
信じてなかったお父さんも流石に怖くなったと思うよ。
むしろ信じてなかったから余計に怖いと思ったんじゃないかな。
神社を出てもまた神社に戻っちゃうの。
何度か繰り返してお父さん自分の髪を掴んでブチブチ千切り始めて、あたしすっかり怖くなって。
どっちもひどい親でしょ、子供を怖がらせるなんて。
そうなんよ、最後の最後でお父さん取り乱しちゃったんだ。
あたしを連れていかないでくれって。
ゴウゴウ風が吹きつけて、雑木林がガサガサ鳴って、つるっと袋が抜けちゃって、あっ、て気付いたら手が血まみれ。
*
「小指、どっかにいっちゃって、未だに見つからないんだ」苅谷はフゥ、と小さく息を吐いた。「お父さんと一緒に家に帰った。すんなり帰れたんだ。次の日、大バァちゃんがぽっくり死んじゃった。お昼にお母さんが見にいったら死んでた。連れてかれたのかもね」小さく肩を竦め、「お葬式が終って暫くぶりに神社の裏道を通ったら、お地蔵さんの首は誰かが触ったのか、どうしたのか分かんないけど、きちんと戻ってた」
苅谷は両手をポッケに戻した。「あの晩のことはウチではなかったことになった。大人って便利だね。あたしの指に限らず、まるまる全部、最初からなかったみたいな」